こんにちは。吉高志堂です。
絶対、どんなことがあっても試験に出ない世界史の時間です。
今回、若干、時期を逸した観はありますが、改めて「アルプスの谷 1641」の舞台
となった十七世紀のサヴォイア公国について、解説してみたいと思います。
知っていても全く役に立たない、というよりも、一生涯、使う機会の訪れ
ない知識だとは思いますが、人生には無駄も必要と、ここは潔く諦めていた
だき、しばしお付き合いいただければ幸いです。
さて、このサヴォイア公国、現在の北イタリアに位置し、その中心都市
は、2006年の冬季五輪で一躍有名になったトリノ(Turin)市です。十七世紀
のサヴォイア公国は、現在のイタリアのヴァッレ・ダオスタ州、
ピエモンテ州とフランス東部サヴォワ地方や現アルプ=マリティー
ム県までを含んでいました。
これ以前には、スイスのジュネーブを含んでいましたが、1536年にカトリ
ックのサヴォイア公国から独立、ジュネーヴ共和国となり、宗教改革の結果、
十七世紀にはプロテスタントの一派である改革派の拠点となりました。
( ここは大事なのでアンダーライン )
サヴォイア公国は元々は神聖ローマ帝国の一部でしたが、この土地がサヴ
ォイア家の始祖となるウンベルト1世・ビアンカマーノに与えられ、以来、この地は
サヴォイア伯領として発展、1416年にサヴォイア公国となりました。
( 公国とは、まだ中央集権的な国家の統一にまで至らない地域で、公爵領が
国家としての主権を持っている状態を指します )
サヴォイア家という名前は、あまり日本人には馴染みがないと思いますが、
トリノ周辺だけで王宮を中心として 22 もの世界遺産があり、本家のハプス
ブルグ家に迫る財力があったようです。 と書きましたが、行ったことがないので
よく知りません。以下のリンクで、御一緒にサヴォイア家の栄華に思いを馳せて
みましょう。
次週は、この物語に暗い影を投げ掛けることになる
サヴォイア公妃クリスティーヌ・マリー・ド・フランス と ピエモンテ内戦 について、
お話したいと思います。