第1部 「告白」、第4章「審問」、第9節 (1) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

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第4章第9節後半は8月25日に投稿します。
 
なお、8月22日には、時代背景として、事件当時のサヴォイア公国に関する記事
を投稿します。
 
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む )
 
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第4章 「審問 」
 
 
9. アルベルタ・フォスカリ (フォスカリ夫人) の告白 ( 1 )
 
 
 
  審問官様、私はいつかこの日が来るものと思っておりました。
 
  この期に及んで何を隠すことがありましょう。 すべてをお話しします。
 
  どうぞお聞きください。
 
 
 
  私は夫アウグストと死別した後、その財産の大部分を受け継ぎ、このマレ
 
ドの街で暮らすことになりました。 前の夫との結婚については、世間の口さ
 
がない人たちがいろいろ言っているので、もしかしたら、お聞き及びかもし
 
れません。
 
  私の父はあまり人気があるとは言えない画家でした。 そんな父の工房を
 
パトロンとして支えていたのが、私の夫となる画商のアウグストです。 私自身、
 
幼い頃から絵を描くのが好きで、ゆくゆくは自分が父の工房を継いでいきた
 
いとさえ考えていましたから、長じては父を手伝って絵筆を取る毎日でした。
 
そんな私を見初めたのがアウグストだったのです。 私は芸術家としての父
 
を尊敬しておりましたが、私が乗り気でないのに、強引にアウグストとの結婚
 
を進めようとする父の姿を見て、とても失望しました。 ずっと後になってから
 
ですが、アウグストは前妻との死別後、私を狙って父のアトリエのパトロンに
 
なったのだという噂を聞いたことがあります。 父は私の結婚から数年後、以
 
前よりはずっと裕福な暮らしを楽しみながら、静かにこの世を去りました。
 
父はそれで満足だったのだろうかと、今でも時々考えることがあります。
 
  結婚した時、私は二十歳でしたが、夫は既に五十を超えていました。 結
 
婚生活は、私には満たされないものではありましたが、それが不幸なもので
 
あったと言うつもりはありません。 少なくとも経済的には、大変、恵まれたも
 
のでしたし、夫は大変優しく、私を喜ばせるためなら労を厭わない人でした。
 
私たちはトリノに住居を構え、機会を見つけては画商の仕事がてら、二人で
 
各地を旅しました。 フィレンツェやローマでは、新しい古典芸術の波に触れ、
 
大きな刺激を受けたものです。 私は結婚してもなお、画家として認められる
 
という夢を捨てたわけではなかったのです。
 
  しかし、時代は私たちに穏やかな生活を許してはくれませんでした。 先の
 
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオⅠ世が死去されてからというもの、ブ
 
ルボン家出身の御妃クリスティーヌ・マリー・ド・フランスと、スペイン・ハプス
 
ブルグ家を後ろ盾とするサヴォイア公のご兄弟、トマス様、モリス様との関係
 
は抜き差しならぬものになっていました。 私は世情には全く疎かったので、
 
危機がすぐそこにまで迫ってきていることには全く無頓着でした。 しかし、夫
 
は有力者にも知人が多く、いち早く身に迫る危機を察知していたに違いあり
 
ません。
 
 夫は私のために大きな馬車を用意し、下女と召使まで付けた上で、マレド
 
の別宅に先に行っていてくれと言いました。 「自分も用事が済んだら、すぐに
 
そっちに行く。 今年はアルプスで過ごそう」 と楽しげに付け加えながら。
 
 しかし、その約束が守られることはありませんでした。
 
 ヨーロッパ中で続いていた戦争に、このサヴォイア公国が巻き込まれる時
 
が来たのです。 1639年に入ってすぐ、トマス様の率いるスペイン軍と、クリス
 
ティーヌ様を守るフランス軍がピエモンテで衝突、内戦が始まりました。 美し
 
いトリノは激しい攻防に巻き込まれ、市街を占拠したスペイン軍と、砦に立て
 
こもったフランス軍が、お互い一歩も譲らず睨み合うという事態になりました。
 
  私はかねがね夫のことを二人目の優しい父親のように感じていました。 し
 
かし、私は夫のことを全く理解していなかったのかもしれません。 日頃から
 
偉そうにしていながら、内戦の勃発を前にトリノから逃げた人たちも少なくな
 
かったでしょう。 しかし、夫は自分だけ逃げることを潔しとはしませんでした。
 
あの穏やかな夫が、市内に侵入したスペイン軍を相手に銃を取って戦う姿を
 
想像することは難しいのですが、事実はその通りです。 夫は激しい市街戦
 
の中で消息を絶ちました。
 
  夫は独り残された私のため、相当な財産を残してくれました。 夫の最期
 
がどのようなものであったのか、それを考えると、心の晴れることはありませ
 
んでしたが、それでも私は生きていかなければなりません。 私は夫の財産を
 
使って、ここマレドに自分のアトリエを開き、自分で絵を描くばかりでなく、夫
 
を真似て画商としての仕事も始めたのです。
 
  アトリエでは定期的に夜会を開き、地元の芸術家やその愛好者、街の有
 
力者を招きました。 集まった人々の中には絵画の方面だけでなく、詩人や音
 
楽家もいました。 歌手のジュリエッタや、その友人のマルティーナなどもその
 
一人です。 また地元の有力者の中には、マレド市長のマウリツィオがいまし
 
た。
 
  マウリツィオは既に中年でありながら容姿に優れ、また、地元の貴族の出
 
身ということも手伝ってか、私に接する態度は、始めから遠慮のないもので
 
した。 こと女性に関しては、袖にされたことがないのでしょう、思い上がった
 
男だと思わないこともありませんでしたが、私は彼を無視することができませ
 
んでした。 そして、或る夜、夜会が引けて、最後まで独り残ったマウリツィオ
 
は、私を強引に抱き寄せました。 私は抗うことが出来ませんでした。 その時
 
が来るのを、心のどこかで待っていたのかもしれません。
 
 当然、考えるべきことではありましたが、マウリツィオに妻がいるのを知
 
ったのは、関係を持った後のことです。 しかし、その事が二人の関係を押し
 
とどめる理由にはなりませんでした。 私はマウリツィオの妻になりたかった
 
わけではありません。 単純にお金の話をするのであれば、私には既に充分
 
な財産がありました。 しかし、この世界は女一人が気ままに生きていかれる
 
ほど、甘くはありません。 夫の死によって、私ははっきりと意識するようにな
 
っていました。 この世界、一寸先には、戦乱や飢饉、災害や疫病、さらには
 
裏切りや憎悪が待ち受けているのです。 夫が逃がしてくれなかったら、私も
 
また戦争で命を落としていたのかもしれません。 私には頼る人が必要でした。
 
  その点、要職にあるマウリツィオは最も好ましい相手に見えました。 私は
 
彼を必要としていましたが、もしかしたら、それは愛していたというのとは違う
 
のかもしれません。 勿論、いろいろな意味で彼の存在は私の慰めではあり
 
ましたが。
 
  私はマレドに来て以来、庭で薔薇を育てておりましたが、薔薇が花を咲か
 
せるようになると、自分もこの花たちのように、この地に根を張り、自らを誇
 
りながら生きていけるだろうかと、独り物思いに耽ったものです。 しかし、そ
 
のような他愛無い夢想も、儚く散る時がやってきました。 自分が危うい立場
 
に立たされていることに、すぐに気付かされることになったのです。
 
  私のサロンは地元の芸術家たちや気鋭の知識人の溜まり場とも言える場
 
所でしたが、それを快く思わない人々がいたのです。 マレドは一見すると交
 
易で栄えた都市でありながら、その内実は全くの辺境の地であり、ベネツィア
 
やフィレンツェのような洗練された都会とは全く違った所でした。 そこは迷信
 
に縛られ、猜疑心の支配する街なのです。 私のような人間を忌み嫌う人々、
 
その先鋭が異端審問官のジョットーでした。 新しい時代を語る人々の中には、
 
魔女狩りを公然と非難し、馬鹿にして鼻で笑うような者もいます。 神の犬とい
 
われたドミニコ会の修道士が面白く思うはずがなかったのです。
 
 
 
 事件は突然の嵐のように私たちを襲ってきました。
 
 最初にマルティーナが魔女として捕えられ、次にはジュリエッタが魔女の
 
一味として捕えられました。 捕えられた理由は全く分かりませんでしたが、
 
当然、私たちは彼女たちが魔女などではあり得ないと信じていました。 が、
 
これは何かの間違いだと思ったとしても、助ける手立てがありません。 下手
 
なことを言えば、自分の身が危ないのです。 私のサロンに出入りしていた女
 
性たちの内、二人までもが審問に掛けられたことから、日頃から威勢良く進
 
歩的なことを言っていた人々も潮を引くようにいなくなりました。それでも、私
 
は自分の身を真剣に案じることはありませんでした。 この街の市長であるマ
 
ウリツィオが自分を守ってくれるはずだと信じていたからです。
 
 しかし、嵐が過ぎ去るのを待つかのような不安の時にあって、初めて私は
 
マウリツィオという人間の本当の姿を知ったように思いました。 私はそれま
 
で、彼のことを鼻持ちならない自信家で、自分の特権的な地位を当然のもの
 
として享受しているような、単純な人間だと思っていたのですが、どうやらそれ
 
は間違いらしいと気付かされました。 本当の彼は、自分の人間的な弱さに悩
 
み、自らの罪の深さを絶えず意識しているような人でした。 生きることの喜び
 
を肯定しながらも、それがもたらす罪を無視することは、彼にはできなかった
 
のです。
 
  市長として、無実の人々が一方的に断罪され殺されていくのを黙って見て
 
いることは、もはや彼の良心が許さなかったのでしょう。 彼は或る夜、私を
 
抱き寄せ、思い詰めた表情で耳に囁きました。 トリノや近隣の国の高等法
 
院に使者を送って、マレドの異端審問に介入を頼むつもりだ、トリノの法院
 
なら、まだ行過ぎた異端審問に疑問を持つ人々もいるし、裁判に介入する力
 
も残っているはずだと。 マウリツィオは良心の人でした。 自分の弱さを認め
 
るが故に勇敢ですらありましたが、それは同時に大いなる弱点でもありまし
 
た。
 
  私は自分の腕の中に彼の弱さを感じ取らずにはいられませんでした。
 
 その時、私の中にひとつの疑念が頭をもたげました。 この男を信じていい
 
のか、自分の運命をこの男に預けていいのか、という疑念が。