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無題


マックのポテト、一番うまい。
でも、冷めたら一番まずい。

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無題

「懐メロ」って、反則的だと思う。

どんなにいい音楽を聴かされても、どんなに素晴らしい演奏を聴かされても、小さなころから親しんできた音楽に勝るものはない。

ただ、物を創る人間っていうのは宣教師じゃないから、懐古の情に浸って過去の産物を再現し続けたいなんて思わないわけ。

「物を創る」っていうのは、「形を創る」とは違う。「形のないものを形にする」ということこそ、「物を創る」という真髄だ。勉強してできることなんて、やりたいと思わないんだよな、この類の人間は。音楽をやるのに、音楽理論なんて必要ないのと同じ。
音楽好きは音楽しか楽しめないけど、物創りが好きな奴は人生そのものを楽しめる。その人生の楽しみなり喜びにこそ、夢がある。人生の喜びこそ、芸術性の究極だと思うんだ。「限界がない」ってすごいじゃん。創造、発想、自由にこそ、果てのない航海の旅があるんだぜ。これ、すげぇ楽しいよ。

僕は、この楽しみを人に伝えたいわけじゃなくて、ただ自分が楽しく生きたいだけなんだと思います。その楽しみをできるだけ人におすそ分けしたいっていうのが、物を創って形にして誰かに観たり聴いたりしてもらう理由かもしれません。

マイケルジャクソンとか、スティングとか、デビッドシルビアンとか、好きなミュージシャンはたくさんいます。たまも好きだし、コーンもメタリカも好き。ビルエバンスもマイルスデイビスも好きだし、ニューロシスとかケイブインとかも好き。

だけど、俺はそいつらになりたいわけじゃない。

そいつらが与えてくれた楽しさで、自分の世界を豊かにしていきたいだけ。

人に与えるためじゃなく、

自分が楽しむために。

それがすべてで、それがスタートラインでありゴールラインだとも思います。

「物を創る」という行為に始まりはあるかもしれないけど、生きている限り終わりがない。なぜなら、人はより多くの楽しみや幸せを探そうとするからね。欲深い。幸せに対して貪欲なんでしょう。その喜びの目的を内的な世界に見つけてしまった時点で、僕は自分自身でいる限り一生涯に渡って人生が楽しいんだろうと思います

「みんな、俺みたいに変わらない幸せを見つけたらハッピーなのに」
「この幸せを伝えたい」というのが、僕が物を創る次の目的なのかもしれません。

風呂で歌っている鼻歌がちゃんとした曲になったら、絶対楽しいでしょ。「こんなもの作ってみたい」と思ったそれが形になったら、絶対楽しいでしょ。それを日常的にできるようになったらもっと楽しいでしょ。

「物を創る」って、実はそんなに難しいことじゃねーんだぜってのを、僕は実演しているだけ。言い換えれば、「ろくでなくてもしょーもない奴でも、俺みたいに幸せな気分で生きられるんだぜ!」というのを誰かに教えたいということなのかもしれないね、なんかもうちょっといいや眠くなってきた。

ネットを介して伝えられるものって限られるけど、俺は少なくとも身近にいる人達の幸せに貢献したいと思って生きてる。その幸せの輪を、できるだけ商業的にではなくたくさんの人に伝えたい。その努力をするかどうかは別として、僕は今日も一生懸命生きています。毎日を楽しんで。おやすみ。






美味しんぼの問題



水俣水銀石綿。「大丈夫大丈夫」つって大丈夫じゃなかったんだから、これ、民間企業だったらとっくに信用ないわ。

この国、権力者にとって独善的な社会だ。信用に値しない。

美味しんぼの作者の意図だってね、騒いでる奴らとは違うところにあると思うよ。

ただ、いまや政治的な問題でもある福島のことを「漫画なんだからいいじゃん」と一刀両断するのも乱暴だし。

一番の問題は、政府なり学者なりが客観的な可能性について言及しないところでしょ。

結局、誰も判断しちゃくれないんだから、自分で危機管理するしかない。これって民主主義として救いのない形だし、冷静さを欠いて自己主張するやつが大多数いるって時点で終わってる。政治思想とか利権とか、色々な紛いもんがあるからいけねぇ。きっと日本は救えるよ。ただ、バカは救えないってなだけ。オリンピック誘致?そんな自己都合なバカな話があるか。家屋壊れかけの自宅に客呼ばないっしょ?呼ぶなら、問題解決してから何の不安も心配もなくお客さんに遊びにきてもらうってのが普通だよ。厚顔無恥もはなはだしいわ。


俺は、北海道の山に出掛けるときは、ヒグマ対策するよ。でも、会ったことはない。ヒグマを目撃したやつはけっこーいる。だから、できれば北海道の山には行きたくない。リスク管理ってそういうもの。最悪のケースに備えながら、正と負の可能性を天秤にかける。実態がどうあれ、可能性について考えて行動するのが理知的な行動だ。

福島の場合も、「放射能はむしろ体にいい」と言うやつがいても、「今回の出来事は、むしろ人類の健康に貢献した」って言う人いねーじゃん。放射能ぼらまいても、絶対誰にも褒められない。すべてはそこに集約されている。

本当の意味での復興支援は、問題が孕む可能性を考慮した上に成り立つものだ。真実がどこにあるかはともかく、合理的かつ冷静な支援を国がしようとしないところに諸悪があるよね。これ、紐解くと震災云々以前の深刻な問題だ。腐ってるよ、この国の政治。暴力とか侵略という露骨な形の方が、わかりやすくて野蛮なだけまだ健全。イラクとかメキシコなんて、できるだけ行きたくねーもんな。だからみんないかないし、世界的にも深刻な政治状況にあることが認知されてる。
隠蔽とか嘘とかごまかしとか欺きとか、そういう知恵のある悪の方がよっぽど悪質だ。なんにも解決するつもりねぇんなら、まだ石棺の方が賢くさえ思える。

俺、大人って色々な形で腐ってると思うよ。何か自分が得するものに肩入れして本音とは違う主張をする腐った人間っているから、そういうものに左右されず、避難地域の人も近隣の人も遠い場所にいる人も、冷静に情報なり物事を受け止めてもらいたいと思う。何も信じなくていいし、何も思い入れなくてもいい。ただ物事を客観的に見て、可能性を考慮した上でリスク判断をしていけぱいい。いざという時に後悔しないためにも。

差別とか風評被害とか、そういうものに惑わされちゃいけないと思います。言葉って、多くは「言葉を広く発信できる人間の意図や主張」があるんだから。その「誰かが発信した言葉に自分の価値観を預ける」という行為は、身近なところにいる大切な人間に対して不誠実極まりない。真実は、いつも合理的な場所にあるんだし、ほとんど主観なんて必要ない。情報をえり好みせず、天秤にかけていけばいいだけの話。賢い人間は、この時点で「自分にとって都合のいい情報」は除外する。「都合のいい情報」って、大体はリスクがないからね。

誰かが得したり楽したりするために、誰かが苦しんで悩み抜く社会なんて、健全であるわけがないでしょ。まぁ、だから世の中に健全な社会がないんだろうなって思うけど。とにかくいつも合理的かつ客観的、懐疑的であるのがいい。発展とか進歩って、そういうところから生まれるもの。何かに盲目的になれば、見えるものも見えなくなるのが当然。

「政府が悪い!」つってもね俺とかお前に政治を変えられる力なんてないんだから、そんな大袈裟なこと考えなくていいよ。
ただ、自分の家族とか、これから生まれてくる子供とか、そういう人達のために身近なところで最善の選択をしていくべきだと、僕は思います。

山岡が鼻血を出した?
知るか。
漫画ばっか見て大局を見失うなんて本末転倒だぜ!
お前も花咲アキラにしてやろうか!

じゃ。


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