嘘が嫌い
こむあんま、色彩天国372です。
世の中は、“嘘”でできています。
でも、
その嘘を知らなければ、すべては真実になり現実となります。
世の中の多くのものは、たいてい人知では理解できないくらい複雑です。
でも、
その難解な構造を知らない限り、人にとって物事は単純なものです。
物事は、複雑になるまでは単純です。
問題は、いつ何を複雑なものとして認識するか。
知っているか、知らないか。
それだけが、嘘と真実の狭間、
単純と複雑の狭間だと思います。
世の中は、嘘ばかりだ。
“嘘な生き方”はしたくない。
嘘が嫌いだ!
溶け山君の疑問
先生「はい!溶け山君!」
溶け山君「最近、平和について考えるんです」
先生「とーけーやーまーくーん!君も成長しているんだねぇ!そんな哲学的なことに想いを馳せるようになったなんて、先生嬉しいよー!」
溶け山君「人類に、本物の平和を実現させることって、本当に可能なんでしょうか?」
先生「あっちゃちゃー!やっぱり訊いちゃったよ!バカだなぁ、溶け山君。君はバカだなぁ。質問する前に考えなきゃあ!ネズミだって自分の頭で考えるってのに、君は少なくともネズミ以上人間以下だよー!」
溶け山君「僕は、人間くらい頭のいい動物だったら、合理的に理想を実現することはできると思います」
先生「とーけーやーまーくーん!すごくいい!すごくいい意見だよ!先生感心しちゃったよ」
溶け山君「でも、それじゃあどうして、いまだに戦争とか紛争とかあるんですか?」
先生「まーた訊いちゃったたっははー!自分で考えることをやめた君は、一体その脳みそを何に使っているのか、先生、そっちの方が疑問だよー!」
溶け山君「うーん、でも先生、こればっかりはいくら考えてもわかりません。人間が愚かだからですか?」
先生「とっほほー!溶け山君!何様だよー!うんこ代表として、人類の皆様に謝罪しときなよたっははー!」
溶け山君「僕はこの疑問に答えを見つけて、将来は人類の平和に貢献したいです。先生はどう思いますか?」
先生「もうあっちに行けばいいのに」
~平和でも 消えゆくものに 変わりなく~
平和に皮肉を込めてくだらない一句
貧乏ということ
こんあんあ、シッキーです。
貧乏。
貧乏。
貧しく乏しいと書いて貧乏。
【貧しい】金銭・物資などが乏しい。
【乏しい】足りない。すくない。 ──広辞苑より
なんて悲観的でネガティブな言葉だ。
でも、
貧乏は、おそらく経験しないよりも経験した方がいい。
おいらも経験した。
電気を止められたり、ガスを止められたり。
やがては家賃も払えなくなったり。
てゆーか、けっこーひどい経験だった。
おいらアホだから、あまり切実に受け止めてなかっただけで。
お金がないってのはつらいことだったけど、その経験で「お金の大切さを学べた」と言えるほど、多くのものを学んだわけでもない。
アホなんだ、結局。
俺が学んだのは、お金がないと生活できないという実感だけ。
あとはまぁ、
お金って生活するためには大切なものだけど、実はそれほど大切なものじゃなかったという実感だろうか。
それでもやっぱり僕にも見栄はある。
飲みに誘われても行けなかったり、
誰かと何かをする時はいつもお金の心配をした。
当時、彼女とデートとか、一大事ですよ。
資金計画を綿密に練って、買い物をするときはお金をよく計算して。
この作業がすごく嫌いだった。
算数が嫌いだったし、数字的なものに弱いんだろうな、バカだから。
サイフの中に入っているお金を、十円単位で気にしたあの感覚、今でも忘れていない。
そのくせ、物の価格ってのに興味がないもんだから、おいらはいまだに物価の相場ってのがよくわからない。
肉が100gいくらすんのか、まったく見当がつかん。
まぁ、自分でそういうもんを買う機会がないからってのもあるんだろうけど、
多分、お金とか物価とか価格ってものに対する興味のなさは、今も昔も変わっていない。
武士は食わねど高楊枝という言葉があるけど、
こういう精神を先人からしっかりと受け継ごうという人間が、今はどれだけいるんだろう。
この「武士は食わねど高楊枝」という言葉。
すごく簡単に訳すと、
「貧しくてもプライドだけは捨てるな」みたいなことなんだろうけど、
それを誰のために行なうかが一番大切だと思います。
この辺を勘違いしてはいけないよね。
飯が食えなくても、楊枝を口に加えて「俺は大丈夫だよ」というこの誇り高い武士の精神は、周りから「あいつ情けねぇ奴だな。何が武士様だよ」と言われて傷つくことを恐れる気持ちから行なわれているものではないと思う。
「俺は大丈夫だ。だから、安心しろ」という、農民なりへの配慮。
「俺はいつでも戦う準備はできている、だから安心してお前らはお前らの生活をしろ」という、武士の武士としての配慮。
自分のためにではなく、人のために高楊枝を加える。
僕は、ずっとこういう風に解釈しています。
そんで、
その精神ってとても美しくて人間的だと思います。
「俺はニートってことにプライド持ってるよ。女が稼いでくれるし。今日も俺なりのプライドを持ってスロットで稼いでくっか~」みたいにね、この崇高で高尚な先人の言葉を、とんでもなく独り善がりな勘違いで汚す奴が世の中にはガチでいたりする。
女に食わしてもらうなんて、それはそれはモテる魅力的な男なんだろう。いいよな、その若さとファッションセンス──なんて思うところもあるけど、それよりも「お前、自分に嘘つくんじゃねぇ。本当は今の自分に満足してねぇだろ。不安もあるし、不満もあんだろ。自分に正直になるのに度胸がいる場合もあるけど、早いうちに正直になった方がお得だぞ」って言いたい。
「多くの人間は、お前に今すぐ立派になることなんて期待してねぇんだ」って。
こんなもん、プライドでも何でもねぇ。
「強がり」って言ったら、まだかっこいい。
本当はただの独り善がり。
まぁ、幼稚だ。
俺も似たり寄ったりだったかもしんねーけど。
だから、同情もしないし軽蔑もしない。
ただ、ちょっと悲しくなる。
ある意味で、共感しているところがあるのかもしれねーね。
「年収○○以下の男とは結婚したくないわ~」なんてことを口にする女も同じだ。
でも、若いうちってこんなもんだよね。
中学生男子が「昨日も女とヤッたよ」って言うのと似てる。
それに、こういう精一杯の強がりを言って、自分の中の自尊心を保たなきゃならない場合ってのは、人間には少なからずある。
それを解決してくれるのが、“金”だ。
だから、金に惑わされる人間が増えるんだろう。
僕は「男はこうあるべき」という女はあまり好きじゃないし、「女はこうあるべき」という男もあまり好きじゃない。まぁ、言ってんだろうけど。
言いたくなるその気持ちはわかる。だから、こういう言葉を非難するわけじゃない。ただ、男こそ「男はこうあるべきだ」と自分達の存在を自戒し、女は「女はこうあるべき」と謙虚に自戒することこそ、理想なんじゃないかと思うんです。
男なんてね、みんなフェミニストであるべきだと思うよ。
でも、
女がフェミニズムを叫ぶから、めんどくせぇことになんだ。
そういう女に対しては、「大丈夫だよ!世の中の男はお前のこと女として認識してねぇから!」って言いたくなっちまうよ。しょーがないよ。「情けねぇなお前」って言っても通じないんだから。俺は断固として、不健全で気持ち悪い主張には反論するよ。そいつの主張が問題なんじゃない。そいつの人間性が問題なんだ──ってよ。
結局ね、美しい言葉なんて、単なる幻でしかないんですよね。
時代は刻一刻と変わっていくし、言葉もどんどん変わっていく。
諺に何を学ぼうが、それが何の意味もなさないことはよくある話。
「貧乏は買ってでもしろ!」と、腕にロレックスの時計をはめて、ベンツとポルシェを乗り回しているブヨブヨ太ったバブル経験者のパッとしねぇおっさんに言われても、何も感じない。それと一緒。
貧乏ってのは、罪なことじゃない。
それを罪にするのは、その人の精神性だ。
金がないってのは、悪いことじゃねーだろ。
人に迷惑をかけることはよくないけど、
今のこの世の中、仕事とか金がねーのはしょーがねーことだもの。
俺だって、もし仕事とか金を失っても、それを咎められたくねぇわ。
俺が金のために老人を騙すようなクズに成り下がっちまったならまだしも。
「金がねーからって人に迷惑をかけるんじゃねぇ!」なんて言うんじゃなく、お互いに助け合えばいいじゃんって思うんだよね。不況がもたらす殺伐とした空気を、思いやりで充実に塗り替えられたら、これほど美しいことなんてねぇだろ。
少し金を持っている奴が、少し金を持ってない奴に庭の雑草抜きをやってもらって、それで対価を払う。「お金ないからお金ちょうだい」「はいあげる」なんてのは美しくないし健全じゃない。対価なんて金じゃなくてもいい。「普段お世話になってるから──」なんつって、自分家でとれたトマトを差し入れるのだって、十分な助け合いになるじゃん。
こういう意味では、田舎の人っては思いやりがある。
あるいは、
俺が田舎者だから、こんな寝言をほざいているだけかもしれない。
まぁ、
理想論ね。これ、あくまでも。
こういう主張が無理だし無駄なのはわかってんだ。
でも、傲慢で自分のことしか考えてない人間はやっぱ嫌いだ。
金持ちであろうが、貧乏であろうが。
金なんかよりも大切にするべきものなんてたくさんある。
よく考えてみろと。
お金って大切だけど、
そこまで大切か?
こういう話ってちょっとシビアだから、また誰かに怒られちゃうかもな。
この辺にしとこう。
おいらは、これからも高楊枝をくわえていようと思う。
貧乏だった頃に比べれば、おいらもずいぶんと変わった。
あの頃のことは、遠い昔のようであまり思い出せない。
ただ、あの頃の感覚とか、感情とか、変な気持ちは記憶の片隅でまだ活き活きと生きてる。
おそらく、これから俺がジジィになっても、この感覚はずっと残っているんだろう。
若い奴に、若かった頃の貧乏自慢をするような退屈な老いぼれにはなりたくねぇと思いつつ、
それでも、
いつまでも高楊枝を加えていたい。
生活が変わっても、変わらない部分を大切にしていきたいと思うんです。