金魚の運 動
その日、俺はいつも通り趣味の悪いカーテンを開けて、頼んでもねぇのに毎日同じように昇る太陽様に嫌気を感じながら、寝室からリビングへとできるだけゆっくりと移動した。
いつもと変わらない一日の始まり。
何にも得られなかったコンプレックスだらけの人生を、係長という肩書きだけで覆い隠しているような情けない俺の生き方。でも、誰にも文句を言われる筋合いはねぇ。俺は俺の至高の人生。お前はお前なりのくだらねぇ人生。知ったこっちゃねぇ。
ただ、同期のマヌケどもよりは早く出世できたものの、それで俺の優越感が満たされたわけじゃない。中小企業には、いまだ年功序列という“野心溢れる若者をダメにしてあげようシステム”が、グリースを塗りたての女のあそこみてぇに円滑に活用されている。実力社会?何の話だ?こういう社会に生きていると、必然的にプライドを捨てる術を覚える。プライドを保つためには、プライドを捨てるしかない。それに気付けねぇ頭の悪い若い奴らが、俺のような中途半端な年齢層に可能性を与えてくれる。皮肉なもんだ。
俺の名前は金魚運動。
一時期、世間の注目を一身に浴びたものの、途端に忘れ去られたしがないサラリーマンだ。
今はとある広告代理店で営業部の係長をしている。
歯は磨かねぇし、顔も洗わない。一日の始まりに俺が最初にやるのは、リビングに隠してあるであろうカミさんのヘソクリを探すことだ。
不幸にも、俺は三年前にどうしようもねぇ女と結婚しちまった。「結婚は地獄」だって?冗談じゃない。地獄よりもっと悪い。洗ってねぇ配管みてぇ。
半年前、子供が生まれた。
カーヴィーダンスと名づけた。
生後一週間にして「ワイパーワイパー」だなんてわけのわからねぇ言葉を口にしやがった優秀な子供だ。ご覧の通り、俺の人生は順調そのもののように見える。会社ではそれなりの役職に就き、クズみてぇな嫁と、俺の琴線に侮辱という名の矢を突き立てるような子供にも恵まれた。結婚と同時に、おそらく返せねぇであろう借金と引き換えに夢のマイホームも手に入れた。全部、ステータスという名の幻と、口が達者なエセ供給者にたぶらかされて、だ。かつての旧友と会えば、誰もが異口同音に「立派になったなぁ」と言う。
果たして、本当にそうだろうか?
世間が俺に注目した時、未熟だった俺はそれだけで調子づいた。
女なんて手当たり次第。
俺のために太った女どもは投資したし、
圧力鍋の使い方も知らねぇような主婦どもが金の成る木をすくすくと育ててくれた。
見たこともねぇような現金だって手にした。
誰もが俺をもてはやし、俺の機嫌を損ねるような奴は、途端にマーケットから駆逐された。
ところが今やどうだ。
世間はあっと言う間に俺の存在など忘れ、俺はまるで流された後の糞。
華やかな世界で生きることを決意した俺は、その瞬間に一気に奈落の底まで突き落とされた。「一発屋」と呼ばれるような奴らは、大体こんな気持ちになるのだろう。プライドはズタズタ。広角レンズのように開けていた俺の未来は、時間に比例してどんどん絞りがきつくなっていく。これなら、夢を見ている方がまだマシだ。良くなったのは、無責任な消費者の体調と下半身事情だけ。
だが、こんなところで躓いてはいられない。
安物のスーツに腕を通して、いつも通り車のキーを手に玄関のドアを開ける。この瞬間の言いようのない嫌悪感。ドアを開けると陽光が目を刺すように舞い上がり、アスファルトの上で暴れる得たいの知れねぇ化学物質が俺の気力を阻害する。蒸し暑く、気だるい。もし俺が心療内科で受付のババァを日常的にセクハラできるくらい偉かったら、俺のことを迷わず「鬱だね!」と診断するだろう。
三人の子供達がランドセルを背負って、何事かをわめきちらしながら右から左へと走り去って行く。この時間、毎日目にする光景。俺は、このガキどもに随分と前からあだ名をつけている。
右から順番に、「ホホジロザメの鼻くそ」「ニートの素(もと)」「ヤれないビッチ」だ。
玄関から車庫に向かい、運転席のドアを開けるまでに、俺はできるだけ三人のこのどうしようもねぇガキどもに心の中で悪態をつく。全力を尽くして、だ。洗練された美しい悪態をつける日の俺は、大体調子がいい。新規の契約が取れる日ってのは、ガキどもをこてんぱんにこき下ろせた日だ。まさに、今日の俺がそう。これまでの中でも、もっとも研ぎ澄まされた汚ねぇ言葉が俺の心の中で循環する。冴えてるね。
運転席に乗り込んで、仕事用の鞄を助手席に放り投げる。キーを挿し込みセルを回す。ギヤをロウに入れてハンドルを握り、アクセルを踏む。会社に着くとアクセルから足を離してギヤをニュートラルに入れキーを抜き、助手席に投げ出した鞄を手に取ってからドアを開けて外に出る。馬鹿馬鹿しいったらありゃしねぇ。
その日、俺は出社してから早々と部長に呼び出された。
こういう時ってのは、大体よくない知らせが舞い込んでくる。
絶好調な日であっても、例外はない。
揚がってないフライドポテトを差し出されたような気分になるが、今となっちゃもう慣れたもんだ。
どうも、先日の商談でクライアントに提示した書類に不備があったらしい。
書類を作ったのは俺じゃない。
しかし、その書類を持って営業をしたのは俺だ。
部長室に入るやいなや、完全にハゲた中年以上おいぼれ以下のダメ亭主が冷たい視線を俺に投げかけてくる。
かつて、俺は“部長”という肩書きにあこがれていた。
消費者の忘却の彼方で失意の底にいた俺にとって、肩書きってのは少なくとも自尊心を保つために必要なものだった。
しかしどうだろう。
今、俺の目の前にいる“部長”という肩書きを持ったこの男は、俺よりも背が小さく、気も小さく、「トライアスロンの大会に出場することが夢なんだ」と語りながら、脂ぎったハンバーガーを頬張っているようなどうしようもねぇ男だ。嫁さんとはセックスレス。二十歳になった息子とは音信不通。それでも、こいつは部長という刃物を振り回しながら、お前よりはマシな人生を歩んでいるであろう俺に対して偉そうに講釈を垂れようとする。この男が社内の便所で大便をしようものなら、誰もがすぐにそれを察するだろう。水洗便所の便器の中に、流しても流しても流れねぇ白い脂が浮いているからだ。
中小とは言え、ここは立派な広告社。
家畜は家畜小屋がお似合い。
ここはてめぇのような肉付きのいいブタがいる場所じゃねぇ。
「君、この前の商談で、このでたらめな契約書を先方に提示したらしいな」
開口一番、部長がこう言いながら見覚えのある書類を指の先でパシッとやった。
でたらめなのは俺じゃねぇ。てめぇの人生だろ。
もちろん、思うだけで口にはしない。
「プランニングも企画内容もでたらめ。それにここ!数字も全部でたらめじゃないか!」
お前の人生計画、人生設計、それにファッションセンスの方がでたらめじゃねぇか。
「申し訳ございません」
本心とは裏腹に、俺は形式的に古びた言葉を口にする。この瞬間の俺の気持ちを知りたいか?変態に犯されているロボットのような気分だ。悪くはない。ただ、察しの通り人間的でもない。
「ただ、企画の方で手違いがあったようで──」
俺の言葉を遮るように、いかれたブタがこう怒鳴る。
「言い訳はいい!」
俺は知っている。俺が今口にしているこの言葉も、あるいはステーキにもなれなくて廃棄される運命の下にあるこの頭に血がのぼったブタが口にしている言葉も、すべてが形式的で儀式的なものだということを。
怒り、憤り、そういった人間的な感情は、ここにはない。
「先方から指摘があった。どうして指摘される前にこのくだらないミスに気付けないんだ?契約書がでたらめじゃ、この前の商談なんかただの時間の無駄じゃないか!もう少し真剣に──」
まさに今のこの時間こそが時間の無駄でしかないことに気付けねぇ、哀れなブタ。同情するよ。風俗では勃つんだって?笑っちゃうね。
部長?
これが?
冗談だろ。
「申し訳ございません」
俺はあくまで機械的に機械的な言葉を口にするだけ。
社会では、感情なんか無意味。クラブでいい女ぶりたがっている若年ビッチが、貧相な耳たぶからブラ下げているでっかいリングくらい無意味。このブタみてぇな淫売、そろそろ黙ってくんねぇかな。
一通り臭い息を浴びてから、俺は部長室を出る。
これは、何も珍しいことじゃない。
定期的に部長室に呼ばれては、部長の口内細菌を眺めるという作業を俺はこなしている。日課とは言わないが、女が月に一度悩まされる“アレ”みてぇな具合で、俺も部長という肩書きを持ったブタの“アレ”に悩まされる。
大体そいつが午前中のうちに終わるってのが救いだ。
正午。
この時間、社内は一気に活気を増す。
仕事よりも昼飯の方が大切だと思っている奴は、意外なほどに多い。
ご多分に漏れず、俺も“仕事なんかクソくらえ組合”の一員だ。
あるいは、
ブタ野郎の悩みの“一因”なのかもしれないな。
こうやって、俺は日常をこなしていく。
過去など忘れて。
人は悩み、戸惑う。
困惑し、苦悩する。
そんな人間は、俺の他にどれだけいるだろう。
おそらく、
どれだけ多くても驚くに値はしないのだろう。
世間なんてのは、
想像するよりも狭い。
そして、
苦しい。
長い一日の中で、束の間に訪れるこの安穏とした時間。
俺はいつも通り、クズみてぇなカミさんが与えてくれるクズみてぇな餌にパクパクとありつく。
愛妻弁当なんて、そんな大それた名称で呼べるような代物じゃない。
商業的に失敗したエセキャラクターの寄せ集めみてぇな弁当。
だが、背に腹は代えられねぇ。
この情けなくひもじい俺の人生。
それでも、かつては俺にも栄光があった。
金魚運動。
誰もがそれに没頭し、夢中になった。
そう、俺の名前は金魚運動。
たまに思うんだ。
俺は、いまだにこの吐き気を催すような“社会”という名の金魚鉢の中で、必死になって金魚運動を続けているんじゃないかって。
俺だけじゃなく、
あいつも、あいつも、
こいつも、こいつも。
本当は躍起になって口をパクパクさせながら、必死に酸素を体内に取り入れようとしているだけなんじゃないかって。
もちろん、それで腹筋が割れることもなければ、太腿の醜いセルライトが消え去るわけでもない。
俺達は、ただただ、生きるために運動し続ける。
この、狭くて息苦しい金魚鉢の中で。
おそらく、
これが人生なんだろう。
了
無題
こんあんあ、邪美露苦猥です。
ふう、ちょっと休憩。
最近どうにも忙しい。
でもまぁ、それはいいことだ。
なんかいつも忙しい忙しいみたいな気持ちなんだけど、
こういう状態がずっと続けば、
もうそれが普通になってもおかしくないはずだよな。
でも、
人間ってそううまくできてない。
忙しいもんはやっぱり忙しい。
やっぱり慣れないなぁ、忙しさって。
まぁ、そんなわけで幸先はいい。
仕事も遊びも。
どうにもここ数年充実している。
ただ、
ここにきてとうとう腰痛が……
今まで腰が痛くなったことなんてただの一度もなかったから、
俺は腰の痛みと無縁なのだと思っていた。
だが!
やっぱりデスクワークというのは腰にくるのだろうか。
最近、腰がいてぇ。。
ある日から突然いてぇ。。
めんどくせぇ。。
なので、整体受けたり先生の指導を仰いだりしながら、何となく改善を意識して仕事をしています。
まぁ、「腰痛持ち」と言われる人らからすれば、全然たいしたことのない症状だ。生活に支障が出るわけじゃないし、それほど痛いわけでもない。
ただまぁ、腰が痛くなるってことは腰痛持ち予備軍であるということなのだろう。何か臭うってことは、臭いものがどこかにあるということみたいな感じなのだろう。もしかすると、後ろの席の奴が漏らしている可能性もあるということなのだろう。
いや、もしかすると、その臭いの源は、自分自身であるという可能性もある。今一度自分のパンツをよく確認してみるべきだ。
こういう時こそ冷静に。どうだ、ふっくらはしていないだろうか。生暖かい感触はないか。最後にトイレへ行ったのはいつだ。タイムテーブルを把握しておくというのも大切なこと。なぜなら、時間の経過によって、パンツの中の“ブツ”がズボンをつたって、膝の方まで進出している可能性もあるからだ。いずれにしても、これ以上悪化しないよう気をつけたい。
腰とか膝は、もうコレ、人の運命なのかね。
歳ってことかね!
そこまで歳じゃねぇはずなんだがな!
じゃ。






