無題
この前、赤ん坊が生まれた友人宅へ遊びに行き、子どものお守りをしてきた。
で、
どういうわけかその流れでプチバーベキューをすることになった。
休日を存分に満喫できてよかったんだけど、
まぁ、
これはけっこー前の話なんだよね。
ブログに書こう書こうと思って写真まで撮ったんだけど、
ここまで時間たっちまうと「もういいや」って気分になる。
ちなみに俺、ブログの下書きで書き溜めて、時間のあるときに一気に更新するということがよくある。
だから、まるでブログ内の出来事が昨日今日起こったことのように書いても、
実はずっと前の日に書いたやつですなんてこともよくある。
別にわざわざそれを告知する必要もないのだけど、
かと言っていちいち下書きした記事を書き直す気にもならんし、
これがせめてもの俺の誠意だ。
信仰がないくせに宗教に入るとか、最悪だろ?
それって、信仰心を持っている人への裏切りだし、宗教に対するこの上ない冒涜だ。
それと一緒。
ちなみに、この記事は今書いている。
まぁ、書いている時はいつも“今”か。
なんかもうよくわかんねーや。
言ってる意味わかる?
俺はよくわからなくなってきたよ。
じゃ。
無題
はい、そんなわけで休日終わり!
あっと言う間やなクソが!
まぁまぁ、それは世間の皆様も同じ想いでしょうから、あえて言いますまい。
予定通り、女子軍団とバーベキューしました。
予定と違うのは、なんたらかんたらっつー所から、なんとかかんとかってところに場所を変更したことくらい。
うむ、やっぱり川原でのバーベキューは楽しいね。
休日ということもあってか、人がそこそこたくさんいた。
川にも少し入ったよ。
さて、僕はどこにいるでしょう?
やっぱりファミリー多いね。
大学のサークル連中みたいのもいた。
色々いた。
人間って、こんなに種類いたっけ?っつーくらいいた。
そんな中に紛れるの術。
ロケンロー!
と、叫ぶ元気はない。
実はこの日、あろうことか熱中症ギリ手前くらいみたいなことになってしまった。
ちょっと、最初から張り切り過ぎたんだろうな。
炎天下で張り切って動き回ってたら、ものすごい勢いで汗は出てくるわ、尋常じゃないくらい身体が熱いわで、「今日すげぇあっつい」なんて思ってたら、見た事がないくらいに顔が真っ赤になっていたそうな。
火おこししてたから、自分が熱くなっているのに気付かなかったのかもしれない。
まぁ、自分で自分の顔は見えねぇから、顔が真っ赤になっているなんて言われるまで気付かなかったんだけど、「そう言われてみるとクラクラする……あ、なんか変だ。これヤバイのか?」ってな感じになって、途中から劇的に休憩。今までさんざん活発に動き回ってた奴が、いきなり静か。後先考えないでちょーしこく性格は、どうやらガキの頃から変わっていないらしい。
冷たいおしぼりもらったり、冷えピタ張ってもらったり、氷で頭冷やしてもらったり、なぜか休日の真っ昼間に半ば看病されながらビール飲みました。
とにかく頭が異常なほど熱かった!
身体が冷えるまでけっこー時間かかったけど、途中からは完全復活。
きっと、こうやって熱中症になってブッ倒れるんだろうな。いい勉強になったよ。
途中から、まるでスコールのような雨が一気に降ってきて、その後すぐに止んでまた晴れたんだけど、この日ほど雨が気持ちよかったことはない。人生で一番気持ちのいい雨だった!
「バーベキューに雨」は「ショートケーキにイワシ」くらいにあってはならないものだけど、この日に限っては大歓迎だった。暑くてしかたなかったからな!
そんなこんなありながら、楽しく過ごしましたとさ。
その日の夜、帰宅してから友人達に手作りピザを振る舞った。
よく食べるよ。
例によって客人達には我が家に一泊してもらい、翌日は昼食にそばを食いに行った。
途中、気がついたら僕達、信号機のようになっていました。
うむ、いい休日だった。
彼女達は、定期的に遊びにきてくれる。
この日の夜に帰って行ったが、いつものことながら、人を見送るのってすげぇさびしいよね。
まぁ、それがあるから次会えるのが楽しみでもあるんだろう。
さて、現実に戻るか。
無題
おはようございます、プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステルです。
ここ二日間は、非常に健全な日々を送っております。
夜、一時頃就寝。
朝七時頃起床。
ベッドに入ると、ものの三十秒くらいで眠りに落ちる。
こんなに寝つきがいいのは何年振りだろう。
ところで、「ないものねだり」という言葉がある。
人ってのは、大なり小なりコンプレックスを抱えているものだ。
「ないものねだり」ってのは、つまりコンプレックスの表れでもあるのだろう。
自分がどういうものに、どういう人間にあこがれているのかを考えてみると、本当の自分が見えてくる。
たとえば僕は、知的で物腰柔らかく、誰からも慕われるようなおおらかな人間にあこがれる。
平和的で、慈悲深く。
つまり、
僕はその対称にいるということなのかもしれない。
バカで騒々しく、誰からも憎まれるような──
うるせぇ大きなお世話だよバカヤロウ。
一方、
常識に囚われてばかりいる退屈な人間は、あまり好きじゃない。
それは、僕が非常識な人間だからなのだろうか。
こんなことを考えながら、ふと思った。
常識に囚われるのが人間であり、
それが人間の常識なのかもしれない、と。
きっと、そういう人間ばかりだから、ガマ口上という伝統芸が生まれたのだろう。
ガマ口上の主役は、四六のガマである。
これは、前足の指が四本、後ろ足の指が六本という、一見すると奇形にも思える珍しい蛙だ。
四肢五本ずつの指を持つ人間にとって、きっとそれはあまり異端で非常識的な存在だったに違いない。
この噺は、まさに常識に囚われる人間への皮肉のように思える。
ただ、僕はこうも思う。
常識に囚われている限り、差別や偏見はなくならないのかもしれない。
そして、常識に囚われるのが人間であるのなら、
おそらく差別や偏見はなくなるものではないのだろう。
差別、偏見を、人間的な、常識的な価値観として肯定するか、
それとも、
差別、偏見を、歪んだ価値観と糾弾して非常識と蔑むか。
人は、どちらの選択もできる。
つまり、
常識や非常識になんて、何の意味もないということだ。
これも人間だからこそと思うと、人はやっぱり矛盾ばかりで奇々怪々だ。
ん?
なに真剣に読んでんの?
まだ朝の八時だぜ?カンベンしてくれよ。



