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今回は栃木県下野市にある甲塚古墳を訪ねました。実はこの古墳を訪ねたのはもう5年も前になります。ただ、現状は当時とほとんど変わっていないことを確認していますので、そのまま紹介したいと思います。
この古墳は調査の手が入った当時、とても注目されました。その理由が埴輪の出土状態です。
なんでも、墳丘本体は土取りや盗掘を受けていてかなり破壊が進んでいるにもかかわらず、なんと墳丘第一段目に並べられた埴輪列は奇跡的にほぼ撹乱されることなく、当時の状態が復元できるほどの良好な状態で発掘されたのです。
墳丘の損壊は今でもその痛々しさが伝わってくるほどなのに、です。
そんな事情から、墳丘は保存されたものの自治体からの文化財指定も受けていない状態で、一方出土品は一括して国指定重要文化財となりました。
なんだかな~…
それでも出土品は、一目見ていずれも一級の価値があることがわかります。
甲塚古墳は、隣接する下野国分寺、国分尼寺跡と共に史跡公園「しもつけ風土記の丘」として整備されています。
その中心施設である「しもつけ風土記の丘資料館」には国分寺、国分尼寺跡や周辺の遺跡から出土した遺物が展示され、甲塚古墳出土品もここで常設展示されています。
甲塚古墳出土品は先年、復元修理作業が終了し、ときどき展示替えが行われながら展示されています。
今回は埴輪を見るだけでなく、墳丘が残る甲塚古墳も訪ねました。先に古墳から紹介します。
甲塚古墳を訪ねる
甲塚古墳は下野市内に整備された史跡公園「しもつけ風土記の丘」の一角にあります。前方部が極端に短い「帆立貝式」とされる前方後円墳です。
6世紀後半ごろの築造とされています。墳丘の第一段目が広くとられてテラス状を成す、典型的な「下野型古墳」です。
ここは下野国分寺跡、下野国分尼寺跡などの史跡を中心に整備された公園で、近隣には下野国府跡、下野薬師寺跡といった官衙遺跡や日本の中央における歴史にも名を遺す寺院跡、琵琶塚古墳や摩利支天塚古墳などの古墳もあります。
史跡の集中する地域で、古代には下野国の中心地だったと考えられています。
甲塚古墳の隣には、下野国分寺跡が広がります。
後円部の墳丘第二段目です。
撮影のために立っているこの位置の足元から多量の埴輪が出土したのだと思うと、恐れ多い気がしながら撮影しています。
後円部頂は大きく抉られています。盗掘や土取りのためとのことです。だから、後円部については埋葬施設の存在など、全く分からなくなっています。
ただ、前方部にはかつて横穴式石室が存在しました。実は前方部前方に凝灰岩製で石棺式の横穴式石室があるのも下野型古墳の特徴なのです。
その痕跡なのか、墳丘南側には草が抉れたようになっている場所がありました。
だとすると後円部にはもともと埋葬施設がないのかもしれません。
古墳本体はこのくらいにして、ここから出土した埴輪を見に行きましょう。
しもつけ風土記の丘資料館に、甲塚古墳出土品を訪ねる
しもつけ風土記の丘資料館には、甲塚古墳の出土品を中心に展示があり、栃木県南部の古墳について分かりやすく解説されていました。
円筒埴輪がありました。
円筒埴輪は年代特定の重要な史料になります。その形状やタガ状突帯の本数でおおよその年代がわかるので必見です。
皆さんは、「ありきたりすぎてツマランわ
」とか思っていませんでしたか![]()
ダメですよ、きちんと観察しなくては
埴輪の起源なんだし。
地域性も顕著に現れたりするんですよ。
円穴は偶数段に相対するように配置されています。下に行くほどすぼまるのは時代的なものです。
この円筒埴輪で特徴的なのは、内側に残る斜めに走る刷毛目痕です。仕上げの手法らしく、これは地域的な特徴とのことです。
粘土の積み上げの痕跡も観察できますね。
続いては本邦ではここで初めて発見された、「機織りをする埴輪」です。
甲塚古墳出土品を代表する埴輪です。
この埴輪が注目されたのは次の2つの点から、すなわち
1.機織りをしている埴輪は例がない
2.当初の彩色の跡が各所に残っている
点です。全体の復元レプリカが一緒に展示されていたのですが、それはなぜか写真を撮り忘れていました。ぬかったわ…。
機の構造がわかる点も貴重でしょう。
頭部は失われていたらしく、髷の部分だけ出土したようです。彩色が残っています。
髷の形状から、機を織っているのは女性だったことがわかります。
腕も別に展示されていました。接合できなかったんですね。
服には多数の円文が施されていました。
この円文、どんな道具でつけたんだろう![]()
竹?竹にしては、細い線ですよねぇ。
まさか、鉄の輪とか?でも鉄は貴重品だったろうからねぇ、ちょっと考えにくいわ。
この埴輪、人気の展示物なんですよ。
機織り埴輪は形状が違うものがこれを含めて2体出土しているそうですが、こちらの方が機織り機がしっかり残っているので人気なんでしょうね。
私もこれが見たくて、修理が終わって展示されるまで2年ほど待っていたのですから。
続いては帽子をかぶった男性の埴輪です。
一見、鍬を担いだ農夫のようですが、よく見ると担いでいるのは刀の柄のようです。
儀式に参加している武人のようですね。
続いては女性の埴輪です。
巫女の埴輪でしょうか、肩に柄杓を担ぎ、頭には器を載せているんですかね?
もう一体、女性の埴輪がありました。
お、この埴輪の服の模様は…
機織り埴輪の服と同じ模様ではありませんか。
これを見ると、縁の中心に針を刺したような跡があります。押型文だと思っていたのですが、もしかして、コンパスみたいな道具で一個一個描いていた、とか![]()
でも、それなら竹で簡単に作れるし、線が細い理由も説明がつきますね。細かい仕事してるんだねぇ![]()
さらに、盾を持つ人を象ったとされる埴輪もありました。
古墳を守るように、埴輪列からやや外れた位置に置かれていたようです。
葬送の列に加わっていただけでなく、埴輪そのものに呪い的な意味がある埴輪なんですね。
立派な馬形埴輪もありましたよ。装飾の少ない馬と、馬具で飾られた馬がありました。
脚を長く表現するのは地域的な特徴でしょうね。
あと、こういった土師器や須恵器が出土しています。
高坏の足は時代の特徴をよく表しているもので、下へわずかに広がりながら落ちて最後に広がる形状は6世紀の特徴です。
甲塚古墳の築造年代を推定するのに重要です。また、これだけ多数出土しているのも祭事を象徴していて、貴重でしょうね。
これで甲塚古墳とその出土品の紹介は終わりなのですが、展示の都合で今回は展示されていない埴輪が多数あります。
ここを訪ねて数年経ちましたので、展示替えされて別の埴輪が見られるかもしれません。また訪問したいと思います。



























