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先日、東京上野の国立博物館(東博)へ行ってきました。なんでも、特別展『はにわ』が開催されているとか。国宝に指定されている「埴輪 挂甲の武人」の修理が完了して戻ってくるのを記念した展覧会なんだそうで(会期:令和6年12月8日まで)。
「埴輪 挂甲の武人」は何年前かはここ、東博で頻繁に展示されていました。しばらく見ないな、と思ったら修理に出されていたんですね。
「埴輪」がテーマの特別展も実に56年ぶりなんだとか。どんな埴輪が集められたのでしょうか。早速行ってみました。
なお今回の展示は、特別な断りがない限りすべて撮影可能だということなので、写真撮りまくっちゃいました。
会場は平成館となっています。
2階左手の第一展示室からスタートです。
入口には今回の目玉展示の一つ、「踊る埴輪」が展示されていました。
この埴輪も修理が行われ、今回修理後初のお披露目となったそうです。今は熊谷市となった、埼玉県江南町の古墳から出土したもので、踊るようなしぐさを表現していることから「踊る埴輪」と呼ばれています。有名な埴輪です。
熊谷市に行くと、この埴輪をモデルにした看板やモニュメントをたくさん見かけます。(旧)江南町も“踊る埴輪のふるさと”をPRしていましたね。
最近の説ではこの埴輪、踊っているのではなくて馬子、馬を引いているところを表現しているのではないかとされています。腰から鎌を下げているのは飼葉を刈るためだとしています。出土状態がわからないそうなので、具体的なことは明らかにできないでしょうね。
今回は写真を撮る観覧者の人だかりができていたので、スルーしました。上の写真は総合文化展(東博の常設展示)で見た、修理前のものです。いずれ再び常設展で展示されるのを待つことにします。
大阪の古市古墳群にある大山陵(伝・仁徳天皇陵)古墳などから出土した、宮内庁書陵部所蔵の埴輪も展示されていました。大山陵は5世紀頃の築造とされていますが、なるほどその頃の技法と見られる埴輪ですね。古墳の年代決定の根拠になっている埴輪群のようです。
残念ながら、これらは撮影禁止だったので写真がありません。「宮内庁書陵部」所蔵品なら撮影禁止も仕方なし、です。あそこはそういうのに厳しいので。
そのロビーの真ん中には、圧倒的な存在感を訴えながら日本最大級の円筒埴輪、奈良県桜井市・メスリ山古墳からの出土品が置かれていました。
これが見たかったんだよなぁ…
だって、そのデカさも噂で聞いていましたが、なんてったって、埴輪の起源、最古のハニワといわれたものですよ。
マニアだったら見たくなるでしょ?
隣にいる人と比べてみてください。2倍以上の高さがあるから、その大きさがわかります。
そして、最も気になるのがココ。
後世の円筒埴輪だと〇になる穴が、▽形なんですよ。これもこの埴輪のポイントです。タガ状突帯の取り付け方もわかるこの部分、ほんと重要なポイントですよ。▽穴については後ほど説明します。
ちなみに今回の訪問記で紹介しているものでは唯一これだけが重要文化財指定品です。
続いて見えてきたのは大阪の今城塚古墳、真の継体天皇陵といわれるあの古墳の埴輪です。
ここでの注目はコレ、盾形埴輪。
一見、よく見かける盾形埴輪ですが、注目してもらいたい。
何が注目かというと、ポイントは裏側です、
よく見ると線刻画が描かれているんですよ。
解説もこのことには触れておらず、見ている人たちも明らかに誰も裏側に注目していなかった。気付いていないんだと思います。
鹿でしょうか、角があります。
なぜ、この絵のことが解説にも触れていないのかわかりませんが、こういった発見があるのはおもしろいです。
ここまでが、大王の墓から発見された埴輪たち、といったところでしょうか。
その次にあったのが埴輪の起源に関わる展示コーナーです。
コーナーの冒頭にあった展示がコレ。
これも見たかった展示のひとつです。特殊器台・特殊壺形土器といいます。
吉備地方といわれる岡山県でよく出土する、弥生時代も終わりに近い頃の土器です。
そのような理由から東日本の博物館ではまずお目にかかることがないもので、だから見たかった。
人の背丈ほどもある巨大な土器です。やはりお墓から見つかります。吉備地方だと墳丘墓ですね。
で、この土器が何でここに展示されてるかというと、これこそ埴輪の起源とされているからなんです。
岡山大学の教授だった故・近藤義郎先生が明らかにした説なのですが、円筒埴輪や朝顔形埴輪の源流がこの土器とされています。
見てください。この穴。
円弧文の中央の穴や、突帯との隙間に開けられた文様帯の上下にある▽△の穴。
円筒埴輪や朝顔形埴輪の穴は、焼く時の割れを防ぐといった機能的なこと以前に、この土器のデザインが簡略化して、円弧文の沈線文部分が消えていった結果、残されたものと考えられているのです。
そしてタガ状突帯もあるでしょう。円筒埴輪の起源はこの特殊器台土器とされる所以です。朝顔形埴輪は特殊器台に特殊壺が乗った状態のものがデフォルメされていった結果なんだとされています。
ここでさっき上げたメスリ山古墳の円筒埴輪に見られた穴が▽形だった意味もお分かりいただけたかと思います。上側のタガ状突帯に沿って作られていますしね。
そして今回の展示には、そのデフォルメの過程にあるだろう、奈良県天理市・東殿塚古墳から出土した朝顔形埴輪も展示されていました。
こちらの埴輪は、円弧文がまだ表わされています。
この辺のことが、古代吉備地方と大和王権の繋がりについて議論される所以でもあります。ちょっと誇大すぎやしないかと思う説もありますけどね。
そして東殿塚古墳からの出土埴輪には、鰭(ひれ)付きの楕円筒埴輪もあります。
モザイクのところは、カメラを構えた自分が写っていたので処理させてもらいました。
この埴輪も、埴輪の意味を考えさせられる絵が線刻で描かれているんです。
船、です。
古代で船といったら、『古事記』に出てくる「天の鳥船」じゃありませんか。
死者を天へ送る意味があるんでしょうね。先の朝顔形埴輪も含めて、葬礼の儀式が形骸化する以前に築かれたのが、東殿塚古墳だったということでしょうか。
それに結びつけてか、舟形埴輪の展示もありましたよ。
展示はこのあと、形象埴輪や人物埴輪、九州で見られる石人などの多彩な埴輪の展開が紹介されていき、やがて今回のメイン展示、「国宝 埴輪 挂甲の武人」と、その兄弟といわれる4体の埴輪の展示へ進むんですけども、それらは過去に別の博物館へ見に行った際に紹介していたり、いずれ別途紹介しようと思っているものばかりなのでここでは割愛します。
あまりここでネタをばらしてもよくないでしょうし。特別展は令和6年12月8日までやってます。会期途中の展示替えはないようなので、ぜひ足を運んでみてください。
それではまた。