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先日、富士山麓にあるサクラの樹(狩宿の下馬ザクラ)を見たくて、静岡県富士宮市を訪ねました。
その際、世界遺産の構成遺産となった史跡も訪ねてきました。
以前、山梨県側の世界遺産「富士山」構成遺産を紹介しました。今度は静岡県側なので、山梨県内の遺跡とはまた意味合いが違い、それもまた興味深くおもしろかったので別途まとめて紹介したいと思います。
今回は世界遺産とは関係なく、とある立派な五重塔があるお寺をお参りしました。もちろん、重要文化財に指定されたその五重塔が目当てです。
また、そのお寺の所有地にあるため、遠目にしか見られなかった遺跡も訪ねてきました。
そのお寺の名は多宝富士大日蓮華山 大石寺といいます。
または日蓮正宗 総本山 大石寺。
このお寺の名前を聞いて、思うことがある人は多いでしょう。まあ、そのことは置いといて、とにかく訪ねてみましょう。
私も思うことがあるお寺ですから訪ねるのは長いこと躊躇していたんですが、境内の散策は信徒以外でも問題ないとのこと。
今回、狩宿の下馬ザクラを訪ねるに合わせて大石寺の五重塔も訪ねることにしました。
広い駐車場があるのですが、それは信徒向けとありました。一般参詣者はお断りとのこと。広大な駐車場には車一台止まっていませんでしたが。まあ、そういう宗門ですから。
とにかく三門からお参りするために、「大石寺専用駐車場」とあるところに車を停めることにしました。
そして三門へ進んでいきました。
すると、そこに現れた風景はとにかく素晴らしいの一言でした。丁寧に刈りこまれた樹木、薄紅色を添える満開を迎えた桜、そして青い空に聳える白雪をたたえた富士山。
そこに瓦葺きのいかめしい屋根を載せた、朱色の建物が強烈なコントラストを与える三門。
とにかく、大石寺の三門とその風景を収めたこの一枚の写真をご覧ください。
まるで絵葉書のようです。この寺院がいかに良い場所を占めて建てられたかがわかります。
宗門の巨大さを象徴しています。
山門をくぐった後も宗門の巨大さを物語る風景が続いていました。
サクラの並木となっている参道の両側には、塔頭(寺院内寺院)がずらっと並んでいました。
石畳の参道の両側には左右6坊ずつ、実に12坊にも及ぶ塔頭が並んでいます。そんな参道がおよそ500mほども続いていました。
参道の先には二天門と御影堂があり、その裏には日蓮正宗で一番重要とされる奉安堂があります。
御影堂の手前では参道から分かれて通りが続いており、その先には本坊(寺院の事務を担う場所)がありました。本坊には客殿や内事部のビルがあります。
客殿は寺院風の建物ですが、鉄筋コンクリート造で特筆すべきはその大きさ。見上げるような大きさで驚かされました。
その先には内事部という事務掛が入るビルがあるのですが、これがまた周りの風景にそぐわない巨大で現代的なビルです。ちょっと面くらいました。
御影堂にお参りして、やっとお寺らしい建物に出会い安堵を覚えました。
ただお参りするだけなら、何のことはない普通の巨大寺院です。ここまで来て肩の力がようやく抜けたのでした。
この御影堂、静岡県指定の文化財です。内部の撮影は禁じられていたので外観と正面の向拝唐破風の見事な彫刻だけを撮影させていただきました。
鮮やかな朱色に強烈に映える強烈な緑色で塗られた龍、同じく強烈な緑色で対比された松の中に飛ぶ鶴など、鮮やかな色合いが目蓋の裏に残ります。
堂内の見事な欄間の絵画や彫刻、須弥壇はしっかりと記憶に残さんと、つぶさにしっかりと拝んで、さらに北方にある建物に向かうべく、御影堂を後にしました。
さらに北にあったのは、大石寺で一番重要な建物、奉安堂でした。ここには日蓮正宗が最も大切に扱っている、宗祖・日蓮上人の直筆とされる本門戒壇之大御本尊なるものが安置されているそうで、信徒以外の人にはその門戸は固く閉ざされているというほど、重要視されている建物です。
おそらく、中央に「南無妙法蓮華経」と書かれた、髭題目の曼陀羅のようなものと思われますが、私は信徒でないので拝むことはおろか、建物内にも入れません。なので、御本尊の実物を拝むこともできないのでした。
なので、そんな奉安堂は遠目に眺めるだけにして、とにかくお目当ての五重塔へ向かいました。
奉安堂の前を西へと歩いていくと、やがて谷川を渡って杉木立の中へ。すると五重塔への参道が続いていました。
幽玄な雰囲気に包まれた参道を進むと、まもなく杉木立が開け、高台に朱色の鮮やかな五重塔が現れました。
「おお、これが…」
さすが東海道随一といわれたというだけの塔です。大石寺の五重塔は各層のバランスが取れた、巨大な塔でした。
近世の塔は遠近法などあまり気にしていないものが多く、初層から上階までの各層のサイズがほぼ均一で下から眺めた時のバランスが悪いものが多くあります。しかしこの五重塔には、そんなものは感じません。
江戸時代中期の享保年間、時の大石寺法主・第26世日寛が、第6代将軍・徳川家宣の夫人、天英院と共に「塔を建てましょう。」と発願して基金を集めたのがその始まりとされています。その後、さらに基金を集めて第31世・日因のときに建立が始まりました。
建造は延享3(1746)年から寛延2(1749)年にかけて行われました。
昭和28(1953)年と平成28(2016)年に大修復工事が行われています。
平成の大修理が終わったばかりだから、彩色がとても鮮やかで目にまぶしいです。
初層は屋根の垂木が平行垂木なのをはじめとして和様を基調としています。これは二~四層も同様でした。
この塔の見所は、初層屋根下の四隅にある鬼の像です。
方位除けとして飾られているのでしょう。四体とも表情やポーズが愛らしく、またそれぞれが違っていて、見ていて飽きません。
また、五層目だけは扇垂木で禅宗様を基調としています。
最上部には相輪が。
なぜ最上層だけ扇垂木なんでしょうか。不思議ですね。
最後にもう一枚。南側から。
ちなみに、五重塔南側はやや高台になっていて、どなたかの墓所となっています。
帰ってから調べたら、どうも昭和28年の五重塔修復工事に多大なる貢献をした、元信徒団体である某学会の第2代会長のお墓だったようです。
五重塔を撮影のためにちょっと踏み入れさせていただきました。もちろん、ちゃんとお礼参りもしましたよ。
さて大石寺は、国指定史跡となっている縄文時代の遺跡も所有・管理しています。といいますか、大石寺の所有地から遺跡が見つかった、というべきでしょうか。
そちらも訪れました。
その遺跡は大石寺の北方1kmほどのところにあります。千居(せんご)遺跡といい、考古学的には大きな配石遺構が出土したことで有名です。
でも、一般にはあまり知られていません。
現地は柵で囲われ、普通には入ることができなくなっていました。遺構は埋められ、芝生の広場となっています。
しかし、どうも配石遺構は露出しているようです。
事前の調査が足らず、「どうせ埋め立てられて遺構は見られないんだろう?」って思いこんで訪ねたので、見られる遺構があるのはショックでした。
遠目に配石遺構を恨めしく眺めながら一応撮影した写真が、下の写真です。
現地の解説では「配石遺構」とありますが、要はストーンサークルなんです。なぜストーンサークルと表示しないのか、わかりませんが要はストーンサークルです。
富士山に対して防波堤のように、裾野に平行となる方向に弧を描いて安山岩製の巨石が並べられています。
時期は縄文中期~後期と見られています。原始の富士山信仰と関わっているのでは、とも言われているそうで、もっと注目されてもいい遺跡だと思うんですけどねぇ…。
本当にそうなら、世界遺産に入れてもいいんじゃないかと思うんですが…。
追加の調査などは行われていないようなので、注目されないんでしょうねぇ…。
遺跡には入れなかったと述べましたが、どうも大石寺に事前にお願いすると入らせてもらえるようです。今度来る時はお願いしてみよう。
次はいつ来られるかわかりませんが…。
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大石寺五重塔(昭和41年6月・重要文化財 静岡県富士宮市上条)
大石寺の五重塔は、江戸時代の寛延2(1749)年に建立された、三間四方・五層の塔婆です。江戸時代中期の塔婆建築としては数少ない遺例で貴重とされています。屋根は初層~四層目までは平行垂木を採用した屋根ですが、五層目だけ扇垂木となっています。初層には建立に功績があった法主・日因の直筆とされる本尊の写しが納められています。毎年2月16日には塔の扉が開けられて御本尊を拝む「お塔開き」が行われます。
千居遺跡(昭和50年6月・史跡指定 静岡県富士宮市上条)
千居遺跡は昭和45、46(1970、71)年に発掘調査され、縄文中期後葉の環状集落跡と、それが富士山噴火の火山灰に埋もれた後に、やや西側にずれて築かれた配石遺構が出土しました。特に配石遺構は周辺の河原から採取された石を利用し、2列・40mに渡って弧を描くように北西から南東にかけて並べられ、その内側に沿って、円形に石を並べた小さな配石が6ヶ所発見されています。原始的な富士山信仰との関わりを指摘されています。