山梨県富士吉田市・旧外川家住宅を訪ねる ― 富士山信仰を支えた「御師」の家 | 名宝を訪ねる ~日本の宝 『文化財』~

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今回は「御師の家」旧外川家住宅を訪ねます。

 

 

ここまで世界遺産「富士山」に関わる文化財を紹介してきましたが、御師の家の紹介で一旦、区切りとさせていただきます。

 

富士山以外の文化財もまだまだありますので。

 

富士吉田市の吉田地区には世界遺産の構成資産となった「御師の家」が2件あります。

 

(「推しの家」ではありません。…)

 

 

そのうちの一件である「小佐野家住宅」は、今も住居として利用されていることから非公開となっています。マニアとしては、そういわれるとますます見たくなりますが、今は諦めています。

 

 

もう一件が、この旧外川家住宅。こちらは富士吉田市が買い取って「ふじさんミュージアム」の分館として管理され、一般公開されています。

 

すなわち江戸期から残る御師の家で、私たちが気軽に目にできるは、この旧外川家住宅のみ。

 

文化財マニアとしては訪ねないではいられません。さっそく訪ねてみましょう。(令和6年4月現在、耐震補強工事のため長期休館しているそうです。令和8年3月末まで予定。)

 

 

 

 

駐車場は外川家住宅のすぐ隣にありました。整備されていますね。

 

御師の家は必ず、表通りから奥まったところに表門があります。畏まった感じがします。表門の脇には富士講の碑がありました。

 

富士講の影響の大きさを感じて「こんなところにも富士講の記念碑があるんだ。」と感心せずにいられません。

 

旧外川家住宅(表門の外から)

 

表門をくぐると、そこは外庭と呼ばれる空間があります。そして神聖な場所へ入る儀式の場なのでしょう、御手洗川という用水が庭先を横切って流れています。

 

古くは富士登山のために来宿した講社の人々がここで手足を清めてから入宿したんだそうで、これは他の御師の家の敷地も同様なのだそう。

 

外庭

 

そして玄関先へ進みます。

 

玄関

 

ひとつの玄関に見えますが、正面の大きな間口が「式台玄関」、富士講の先達(代表者)など格上の人のみが使える玄関となっています。その左側の狭い部分が「中の口」といい、御師の家族の通用口です。

 

ちなみに先達以外の富士講信者は、庭へ回って縁側から主屋へ上がったそうです。

 

御師の家は間口が狭く、奥に細長い敷地に建てられているのが特徴です。外川家住宅も例外でなく、玄関のある主屋と、敷地奥にある裏座敷から成っています。

 

現在は我々のような見学者も、遠慮なく式台から上がって大丈夫です。

 

玄関を入りましたら、まずは主屋を探索してみましょう。

 

主屋は、玄関先から左手側の空間が御師の居住空間、右手が富士登山を目指す富士講の人々の宿泊空間となっています。

 

宿泊の空間「中の間」

 

私は古民家を見るときは必ず小屋組や屋根裏も見るようにしています。

 

「御師の家」は先にも述べたように奥に細長い空間をつくるのが特徴です。桁や梁材は太いですが、屋根を支えている小屋組は意外と細い材ばかりです。

 

大きな屋根を支える必要がないから当たり前なんですが、古民家を見慣れていると結構合理的に材を選んでいるんだな、と感心してしまいました。

 

屋根裏の小屋組

 

そして左手の居住空間。

 

囲炉裏があることで、ここが居間のように見えます。でもこの部屋は「火地炉の間」と呼ばれています。

 

ここは台所というより、調理場ですね。

 

部屋の真ん中を仕切るように棚がありました。

 

火地炉の間

 

この棚は、富士登山に向かう人々のための弁当を用意して並べる棚なのでした。

 

御師は宿坊の機能も担っていましたから宿泊者の朝・夕食、登山中の弁当なども準備してこの棚に並べていたそうです。今でいうホテルのモーニングや昼食サービスですね。だから家人の食事だけでなく宿泊者の調理も行う場だったわけで、むしろ調理場という雰囲気です。

 

そして実際の家族の語らいの空間となっていたのは、こちらの部屋でした。

 

「居間」です。

 

居間

 

居間には浅間大神を祀る神棚がありました。

 

さすが富士山信仰の拠点だった場所、まさに「御師」の家ですね。

 

神棚

 

そして宿泊者の空間だった座敷にまわってみました。古民家らしく、押板がありました。

 

座敷にあった押板

 

ここまでが主屋です。主屋は外川家では古くからの建物となります。座敷の釘隠しはこんなデザインでした。

 

座敷の釘隠し

 

これが、裏座敷に行くと全然違うデザインなんです。それは建築年代の違いではありません。その話は後ほど。

 

 

さて、裏座敷へ行ってみましょう。

 

裏座敷は講社の信者が増え、宿泊者が増加したことから主屋だけでは手狭となり増築された、とのこと。

 

主屋とは渡り廊下で繋がっています。

 

裏座敷

 

裏座敷は10畳敷きの「広間」、やはり10畳敷きの部屋で、祈祷を行う神殿がある「御神前」、そして「下段の間」と、上り床になった「上段の間」から成っています。

 

広間

 

広間から奥の二間を望む

 

御神前は宿泊した講社の人々の前で祈祷などを行う空間でした。今も神殿があり、食行身禄の像や紙垂も置かれてます。

 

御神前

 

そして、富士講の先達が宿泊した「上段の間」と、その付き添いの人たちが宿泊した「下段の間」があります。

 

下段の間(手前)と上段の間

 

上段の間には床の間や書院風に付書院があり、上品な印象です。さすが一番偉い人用の部屋ですね。

 

ちなみに床の間に掛かっていた掛軸は、ふじさんミュージアムで見ましたね。食行身禄の「御身抜」というヤツです。

 

富士講の信者にとっては仏教でいう曼荼羅のようなものだったのでしょう。

 

上段の間

 

上段の間から見たお庭は、ちょっと荒れ気味ですが神木や石祠があって、御師の家らしい庭です。

 

裏座敷の縁側から見た庭

 

ちなみに、裏座敷に使われていた釘隠しはこんなデザインです。主屋の座敷のものとは全然違うでしょう?

 

裏座敷の釘隠し

 

これ、裏座敷を寄進した江戸の富士講の紋なのだそうです。富士山の「ふ(不)」の字ですね。

 

というか、こんな建物を寄進するほど、富士講ってお金集められたんですね。まったく、宗教っていい集金システムだわぁ…

 

 

 

 

以上で旧外川家住宅の訪問は終わりですが、富士山関連の世界遺産はまだまだあります。

 

実は後日、静岡県側にある世界遺産の史跡も見に行ってきました。それもいずれこの場で紹介します。

 

それではまた。

 

 

 

 

 

 

 

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旧外川家住宅(平成23年6月・重要文化財 山梨県富士吉田市上吉田)

 

 「御師」とは自宅を宿泊所として提供しながら富士山を信仰する人たち(富士講)の登山の世話をした人々です。さらに富士講信者に代わって祈祷をしたり、富士山信仰を広めるために江戸やその道筋で宣伝活動を行なって富士山への誘客も担いました。富士吉田市の上吉田地区には御師が暮らした街並みが残り、その家を「御師の家」と呼びました。江戸時代の最盛期には86軒の御師が上吉田地区に住まいを構え富士山信仰を支えていましたが、時代の変化につれて信仰の登山がレジャー登山へと変化したため、御師の役割も必要とされなくなって終焉を迎えました。そのような中で、旧外川家住宅は明和5(1768)年に主屋が建てられ、幕末に裏座敷が増築され、富士山の信仰登山が隆盛を迎えた江戸時代後期の御師の家の姿を残す最古の住宅で、貴重な建物です。今でも建物内には富士山の神を祀る神殿が備わり、客室となった広い座敷が残るなど御師の家の暮らしぶりをうかがい知ることができます。