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今回は新潟県魚沼市にある、佐藤家住宅を訪ねました。
現在の新潟県は豪雪地帯ですね。しかし江戸時代には北前船という商船が活躍し、上方の様々な商品や文化を日本海側にもたらしました。新潟県もその恩恵にあずかった地域の一つです。
またそのような裕福な経済環境から「豪農」といわれた上層部の農家が多い地域でもありました。今でも新潟県内を車で走っていると、大きな屋根と庭を備えた「豪農の館」を各所で見かけます。
佐藤家住宅は豪農ではなく、「中農」といわれた農家ですが、越後地方で見られる民家形式「中門造り」ではこの地方で一番古い民家なんだとか。この中門造りは豪農の館でも取り入れられた民家形式ですので、勉強も兼ねて訪ねたという次第です。
では早速。
魚沼市は平成の大合併で誕生した新しい自治体で、魚野川に沿った小出町、堀之内町を中心として周辺の6町村が合併しました。佐藤家住宅はそのうちの旧守門村にあります。
関越自動車道の小出ICを出て、旧小出町市街地を抜けると国道252号・国道290号の重複区間が右へ分岐しています。この道を旧守門村方面へと進んでいきます。
約30~40分ほど走ったところで「重要文化財 佐藤家住宅」と書かれた標識が現れます。その標識は山の方へ登る道を示していますので、それに従って国道から外れて山の方へ向かいます。
「こんな山奥に、民家があるのか?」と思うような道をまた10分ほど走ると、集落が現れます。
人の息づかいを感じてホッとしていると、佐藤家住宅が見えてきました。
あまり人が訪ねてくるような場所ではないらしく、見学者は私しかいませんでした。周囲も静かな山村で、ゆっくりと古民家を見学できました。
それでいて見学料は100円。文化財保護のためならもっと支払ってもいいと思うのですが、ずいぶん控えめです。住宅へ入る際に料金箱に投入します。
一見、岩手県から青森県にかけて見られる「南部曲がり屋」の様でもあります。でも、これが中門造りといわれる形式の民家で、曲がり屋とはまた違うのだそうです。
何が違うのか、このあと訪ねた目黒家住宅でお話を伺いました。
大きな違いは、母屋に接続するウマヤに出入口(今でいう玄関)が付帯しているかどうか、なんだそう。
曲がり屋は主屋に出入口があるものですが、中門造りはウマヤの部分に出入口があるのです。だから、このウマヤのある建物の付属部分を「中門」というのです。
佐藤家住宅は豪農のお宅ではないので、さほど大きな建物ではありません。縁側に庇があるのは雪国の特徴で、冬にはここに雪囲いをつけて建物を雪の重みから守るそうです。
裏へ回っても雪国らしく閉鎖的な外観で、窓が一つもありません。物置小屋が付属していますが、これは後から新しく造ったもので、指定物件には入っていません。
住宅の中も至って質素です。
出入口から奥を見通すとニワ(当地ではドマのこと)への通路になっています。中門造りは豪雪地帯の知恵から生まれた造りで、ニワへの出入口が雪に埋まらないようにするための構造なんだそうです。
中門にはウマヤや物置があり、雪が降っても必要なものは出し入れできるし、馬の世話もできる、という工夫なのです。
チャノマ(居間)はいたって普通の古民家のものでした。囲炉裏があり、家族が囲炉裏を囲ってここで過ごすのです。
その隣には来客用の部屋、デイも見えました。
デイには天井があります。これは来客用の部屋だから、屋根裏を見せないでキレイな天井の下で過ごしてもらおうという当時の民家の気遣いなのです。
だから、デイの壁には押板もありました。押板は書院造から民家に取り入れられました。床の間の原形です。現在の住宅でも、床の間があるのは客間ですよね。
押板があると古民家でも特に古い民家だと考えられます。押板がある家はたいてい、18世紀初頭~前半より前に建てられています。
それより新しい民家は床の間になりますから。そう、佐藤家はこの地方の中門造り民家では一番古い建物なのです。
ニワには水が引かれ、水汲み場が設けられていました。建物内に水場を設けるのも、雪国だからでしょう。
屋根裏も見学できました。梁や小屋組の材がやたら太いのも、雪国だからです。雪の重みに建物が耐えられるように、太い材を使うのです。
これで佐藤家住宅の紹介は終わりになりますが、実は佐藤家を訪問したこの日、私は中門造りや豪農のお宅を、あと2軒訪ねています。
その後魚沼地方を代表する中世の山城にも登ってきました。1日で。文化財が絡むとそこまでする自分に、自分でも驚くほどタフだなぁと思います。
次回は中門造りの豪農の家、目黒家住宅を訪ねたいと思います。豪農の家は、驚くほど大きかったですよ。
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佐藤家住宅(昭和52年1月 重要文化財 新潟県魚沼市大倉)
佐藤家は上杉謙信の家臣の末裔と伝えられる旧家です。佐藤家住宅は旧守門村でも高台にある大倉集落にあり、解体修理の際に元文3(1738)年の墨書が発見されて建築年代が判明しました。
中門造りといわれる形式の民家で、桁行は8間、梁間4間、寄棟造の主屋正面右寄りに入母屋造の中門がつく構造をしています。平面図的には広間型三間取りで古態を示しています。
全体に構造材が太く堅固な造りで、豪雪地帯の民家にふさわしい造りです。また古い民家の様態を示していて貴重であり、重要文化財に指定されています。