岩手県平泉町・中尊寺の建造物を訪ねています。
今回は私が、中尊寺では金色堂以上にぜひ見たかったものを紹介します。
それは、釈尊院五輪塔!
この五輪塔は、金色堂の前を通り過ぎて続く参道の奥にあります。
今は「立入禁止」の標識があり、普通には入れません。
「立入禁止」の標識の奥に…
なおこの道、先の記事にも書きましたが、奥大道跡とされています。
五輪塔を見るには、中尊寺の事務局へ直接電話して事前予約が必要となります。
予約した場合、「讃衡蔵」の受付に声を掛けます。
「事前にお願いした者です。」とお話すると、五輪塔まで案内していただける係の方が出てきました。
中尊寺の僧侶の方です。
「本日はありがとうございます。」とお礼を述べると、誓約書へのサインをお願いされました。
といっても、要するに周辺にあるものや環境を破壊しないことを約束する内容の書面でした。当たり前のことなので、サインを入れます。
そして係の方に伴われて、五輪塔へ向かいました。
金色堂の前を通り過ぎ、立ち入り禁止の標識の脇をすり抜けて、奥へと進んでいきます。
「こちらです。」
と案内されたのは、参道から分かれて掘割の斜面を登る、足場の悪い細い階段でした。
その上は狭い平地が開け、小さな墓地になっていました。そこに真新しい覆屋が掛けられた、人の背丈ほどの石塔がありました。
釈尊院 五輪塔
それこそが中尊寺へ来たら絶対見たい!と思っていた石塔、釈尊院五輪塔でした。最近整備されたばかりとのこと。
普通の人は、こんな墓石というか、地味なものに興味は湧かないでしょうね。
係の方にも、
「私も五輪塔というものについては必要なので勉強しましたが、五輪塔には興味なくて…。興味がある方には分かるものがあるんですね。」
といわれてしまいました。
五輪塔に刻まれた梵字
この石塔があるところは斜面途中の平場にあり、すぐ下は参道の掘割になっています。
立入禁止なのは、大勢の観光客が来たら足元の安全が確保できない、というのが理由だとか。
だから事前に予約さえすれば、この五輪塔は誰でも見せてもらえるようです。
私は石塔などの石造物にとても興味あります。この石塔は、紀年銘があるものとしては日本最古の五輪塔なんだそうです。
だから中尊寺に来たら、どうしても見たかった。
仁安四(1169)年の銘があり、藤原秀衡の時代にあたるそうです。平安時代に遡ります。
福島県玉川村にある岩法寺の五輪塔より古いんですよ。
五輪塔 裏面
銘文がどこにあるかはわかりませんでした。
水輪が樽のような形なのが気になりました。五輪塔っぽくないので…
地輪と水輪
地輪も直方体で横寸より立寸の方が長く、縦長なのが特徴的ですね。
やはり起源に近いものは通常に見るものより形態が変わっていて不思議ですね。
火輪頂部のホゾ穴
火輪は軒の反りが少なく、軒幅も狭いです。
だから古さを感じません。このあと見る願成就院宝塔もこんな感じです。この地域の特徴かな?
風空輪は塔に乗せられていません。火輪頂部にほぞ穴があるので、ここに乗っかっていたんだろうな、とは思いました。
しかも風輪は失われているそうです。空輪は傍らに落ちてました。
係の方が足で地面を掘りながら、
「ここに来ると、風輪の破片が落ちてないかな、っていつも探しているんですよ。」
とおっしゃってました。
空輪の破片
石塔に触らなければ、写真は好きなだけ撮ってくださいとのお話でした。だから思う存分写真を撮りました。(採寸は触ることになるので禁止だそうです。)
その間、案内係の方は、蚊を避けながらじっと待っててくれました。
雨上がりで大量の蚊が発生していて、そんな中を案内してくださって、本当に申し訳なく、ありがとうございました。
奥大道の跡(右折方向)
帰り際、釈尊院五輪塔からさらに先へ延びる参道を見ながら、係の方が奥大道について教えてくださいました。
「(上の写真のように)この道は今、左に曲がっていますでしょう?奥大道は右に曲がって衣川を渡っていたんですよ。」
へえ〜っ。今は藪に帰っていて面影ありませんね。
ただ、ここから右に行くと関山を下り、衣川を越えることになります。
その先は奥州市衣川区となり、「接待館遺跡」があるのです。
接待館遺跡には、奥大道沿いにあったとされる関の明神という祠や、奥大道に沿って市が開かれたといわれる「七日市場」の地名、奥州藤原氏の饗宴の場だったとされる建物跡とそれにかかわる土塁などが残っています。
「この下は接待館遺跡じゃないですか。昨日見てきましたよ。まさかここで中尊寺と結びつくとは…。」
なんてお話しながら戻ってきました。
ここで係の方によくお礼を述べてお別れし、続いて峯薬師堂にある願成就院宝塔を訪ねました。
峯薬師堂
宝塔は薬師堂の右手にある池のほとりにポツンとありました。
お堂にお参りする人は大勢いましたが、この石塔に気を止める人は全くいません。
「また喰いついているのは俺だけか…。こんな地味なものに興味を示す人はいないよな…。」
願成就院宝塔
この宝塔は銘がありませんが、特徴から平安時代に遡ると考えられています。
安山岩製でしょうか。釈尊院五輪塔も安山岩製のようです。古い石塔は加工しやすい石材を使っているので、質感からして古そうです。
宝塔 右側面
笠の軒幅が狭いのは釈尊院五輪塔とも共通する特徴です。
宝塔は笠石の上に普通は九輪があります。このように宝珠が乗るのはこの地域の特徴だそうで「平泉形宝塔」と呼ばれています。
五輪塔の火・風・空輪にも似てますよね。
宝塔 左側面
塔身に刻まれている梵字は金剛界四仏でしょうか。
このように四方に梵字がある場合、密教の影響を受けて金剛界四仏が刻まれていることが多いです。
梵字は種類が多いので覚え切れません。間違えてたらごめんなさい。
塔身
笠石
実は、中尊寺に平安時代まで遡る宝塔と五輪塔があるのはかなり重要なことと思います。
というのも、五輪塔の起源は宝塔であるとの説があり、宝塔の塔身が球形になっていったものが五輪塔だというのです。
そして、この平泉の中尊寺に平泉形宝塔がある。
この宝塔の笠石は五輪塔の火・風・空輪によく似ている。
その近くには(銘がある五輪塔では)日本最古とされる五輪塔がある。
この五輪塔の水輪は樽のような、球を縦に伸ばしたような形状である―――
もしかして五輪塔は平泉が起源ですか?と、ちょっと考えてしまいました。
もちろん、五輪塔の起源はハッキリしておらず、今ではあまり議論されていません。あくまで私の妄想ということで。
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中尊寺 釈尊院五輪塔(昭和29年9月・重要文化財 岩手県西磐井郡平泉町平泉)
釈尊院五輪塔は紀年銘を持つ五輪塔としては日本最古のものとされています。反花座がある基礎の側面に「仁安四(1169)年己丑四月二十三日 檀主」と刻まれており、江戸時代の地誌には「壇主 秀□」とあったと書かれています。藤原秀衡の時代と合い、秀衡の発願で造立された可能性があります。
年代が確定する石造五輪塔として貴重な遺存例のため、重要文化財に指定されました。
中尊寺 願成就院宝塔(昭和29年9月・重要文化財 岩手県西磐井郡平泉町平泉)
願成就院宝塔は峯薬師堂の本堂の傍らにあり、紀年銘はありませんが基礎の上に背の低い塔身を乗せ、軒幅が狭く、五輪塔の空風輪に似た形状の宝珠を乗せた一石から造り出す笠石などに平安時代の特徴があり、12世紀後半の造立と見られます。塔身上部のくびれと五輪塔の空風輪に似た形状の宝珠を乗せる笠石は地域の特徴で、平泉形宝塔と呼ばれています。
古い石造宝塔の遺例として、重要文化財に指定されました
参考文献:
『世界遺産 中尊寺』 中尊寺・編、中尊寺(2010)
『五輪塔の起原』 薮田嘉一郎・編、綜芸舎(1958)
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