大須で有名なコメ兵を見たかったのですが、あいにく休みでした、残念。
信長の焼香事件で有名な万松寺の本堂は地下1階、地上5階の鉄筋コンクリート造りに再建されていました。


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萬松寺

所在地 愛知県名古屋市中区大須3丁目
位置 北緯35度9分32.85秒
東経136度54分16.88秒
山号 亀岳林(きがくりん)
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 天文9年(1540年)
開基 織田信秀
正式名 亀岳林 萬松寺

萬松寺(ばんしょうじ)は、愛知県名古屋市中区大須にある曹洞宗の寺院。山号は「亀岳林」(きがくりん)。近年では「万松寺」の字を当てる事が多い。
由緒
天文9年(1540年)、織田家の菩提寺として織田信秀が開基。信秀の叔父にあたる雲興寺八世・大雲永瑞和尚を開山に迎え、那古野城の南側に建立された。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年(1610年)、名古屋城を築く際に小林邑(現在の大須3丁目)に移建した。

移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、「故亜相源敬公大夫人霊廟」(徳川義直室高原院の廟)が置かれるなどしていたが、幕末頃から徐々に衰退。大正元年(1912年)に37世・大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放する事を決断し、開拓された町は現在の大須3丁目となって、萬松寺は再び賑わいを取り戻す事となった。

しかし、昭和20年3月12日の名古屋大空襲で大須も焦土と化し、本堂が再建されたのは平成になってからである。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。

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大須大須(おおす)とは、愛知県名古屋市中区中心部にある地名である。

起源
名古屋開府(いわゆる清洲越し)による名古屋城の城下町の整備に伴い、もともと岐阜県羽島市にあった大須観音が徳川氏の命により名古屋城下に移転。北方にあった萬松寺(織田信秀の伯父によって開山)も、境内地を城下町にするため現在地に移転。その後、西別院(西本願寺名古屋別院)も設立され、門前町として発展した。


歓楽街の時代
明治維新後、萬松寺が境内を一般の商業用地として開放。名古屋市内随一の歓楽街として栄えた。劇場、演芸場、映画館などが数多く作られた。遊郭(旭遊郭)も設置されたが、遊郭は1919年に現在の中村区大門地区に移転した。


電気街・電脳街として
戦後、客足が栄に流れ一時寂れた時期もあったが1970年代後半に入り、第一、第二アメ横ビルや商店街などにも家電店、パソコンショップが集まり、秋葉原、日本橋(にっぽんばし・大阪)に次ぐ電気街(2006年7月の調査によると、電器店、パソコンショップ等の数は秋葉原、日本橋、大須の順で多い)として発展し、日本三大電気街の1つとして数えられるようになった[要出典]。しかしアーケード商店街がメインであり、駅前の大型店進出(名古屋駅前ビックカメラ)により日本橋の例と同様に電気街としては縮小傾向にある。また、電脳街としてもグッドウィルや九十九電機などが店舗統廃合するなど、名古屋駅近辺に進出したビックカメラグループや栄に進出したヤマダ電機などの影響や業界再編の波で縮小傾向にある。


年表
1612年 - 江戸時代に大須郷(岐阜県羽島市大須)に開山された大須観音が移転してくる。
1965年 - 大須演芸場オープン。
1967年 - 地下鉄名城線開通(上前津駅)。
1970年 - 大須観音の本堂再建。
1977年 - ラジオセンターアメ横ビル(第1アメ横ビル)オープン。
1977年3月11日 - 地下鉄鶴舞線開通(大須観音駅・上前津駅)。
1984年 - 第2アメ横ビルオープン。
2003年12月6日 - 大須301ビル開業。
2006年5月30日 - 大須商店街は「がんばる商店街77選」に選ばれた。

現状
この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。このタグは2009年6月に貼り付けられました。

コメ兵本社
東海地方のオタク街
他の電気街と同様オタク街としても発展しており、その歴史も長く、古くは同人ショップが全国化する10年以上前からDカルトが存在していた。メイド喫茶(あいさつなど現在のメイド喫茶の形態は大須が発祥)があり、今や秋葉原名物となったおでん缶も名古屋が発祥であるなど有名だが、久屋大通のコミックとらのあな、名駅地区のメロンブックス・アニメイトなど東京資本の店は大須以外に立地している。しかし2005年には、ゲーマーズ名古屋店が久屋大通から大須に移転し、2007年末にはまんだらけも名古屋店を大須に移転、2008年8月にWonderGOO、9月にはK-BOOKSが進出している。


様々な施設がある街
また、コメ兵、矢場とん、寿がきや食品、大須ういろの本店・本社も大須にある。このため中古品売買店、名物の飲食店や通常の飲食店、おみやげ物の店舗も多数ある。

萬松寺、大須観音といったお年寄りも多く訪れるスポットもある。また、大須の再生には若年者の自営業開始が相次いでいる事も寄与している。

古くには衣料品の問屋が多かっただけあり現在でも衣料品の店舗が多く、若者向けの衣料品店も多く出店。

そのほかに郵便局、銀行があり、大須演芸場、古着屋、各国料理店、飲み屋、家具屋、仏壇屋、ゲームセンター、パチンコ・パチスロ店、射撃場、銭湯、ライブハウスなど無いものは無いと言われるほど何でもある(但し、名駅・栄地区で盛んな百貨店、高級ブランド品販売、ビジネスホテル、カラオケボックスはほとんどない)。

よって浅草、秋葉原、原宿、池袋、巣鴨が全て足されたような地区だと言われる。このため、オタク系趣味の者の隣に若いカップルやお年寄りが歩き、家族連れや外国人が店頭の商品を見ているという、他の街ではあまり見られない光景も見受けられる。


アーケード街
大須の主要通の新天地商店街広大なアーケード商店街が広がり人通りが絶えない、老若男女・国籍・人種も様々で県外から買い物に訪れる人も少なくない。また、アーケードを外れた裏道や路地にも様々な店舗がある。この大須のカオス的な良さは、小規模店舗を積極的に開いたこともあろうが、隣接する栄地区の企業の本店・支店や百貨店、ブランドショップが建ち並ぶ「高級感」に対して作り上げられた面もあるといえる。
近年、全国各地の商店街が衰退・縮小する中で、再生し更なる発展を遂げた稀な例である。
なお、電子マネーEdyやiDのシステム導入に積極的であり、約半数の店がEdyやiDでの支払いが可能である。

今週は夏休みを取ったので、家でゆっくりしていましが、19日に午後から車で大須に出かけました。
名古屋の大須は東京でいうと浅草と秋葉原を足して5ぐらい?で割った感じでしょうか。
大須に行く途中にある上野天満宮と日泰寺の納骨堂に寄ってみました。納骨堂には入れないので裏側の塀から覗いただけですが。
裏側にも四国巡りのお地蔵様がいっぱいありました。

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上野天満宮

所在地 愛知県名古屋市千種区赤坂町4丁目89番地
位置 北緯35度10分51秒
東経136度57分25秒
主祭神 菅原道真
創建 平安時代中期
例祭 10月24・25日

上野天満宮(うえのてんまんぐう)は、愛知県名古屋市千種区赤坂町にある神社。(天満宮)  無病息災、各種試験への合格祈願に御利益があるとされ、名古屋天神とも呼ばれる。名古屋市により史跡・名勝に指定されている。
歴史
起源:平安時代中期に安倍晴明一族が当地に住んだ頃、菅原道真の御神霊を祀ったのが起源とされる。
祭事
1月1日 一番祈祷
1月15日 うそ替え / 左義長祭
1月25日 初天神
7月24日・25日 夏越しの祓(茅の輪神事 / 赤丸虫封じ)
10月24・25日 例祭
その他
全国各地の天満宮の多くにも共通することだが、上野天満宮の境内にも二体の『なで牛』と呼ばれる牛像があり、頭をなでると賢くなる、身体の具合の悪いところをなでると良くなると言われる。

天龍寺のあとは妙心寺に行きたかったのですが、もう4時半過ぎていたので諦めました。
それで伏見稲荷大社に行くことにしました。
伏見稲荷大社は初めて参拝しましたが、千本鳥居にも圧倒されましたし、なにか不思議な空間でした。
千本鳥居といいながら1万本近くはあるみたいですし、また石像にいたっては本当に無数にありました。
今回は夕方に行ったので、あんまりゆっくりできませんでしたので、また次回も参拝したいと思います。


夕方に行ったので上のほうはもうかなり暗くなっていましたが、下におりてきたらまだまだ明るかったのが印象的でした。


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五山の送り火はどこで観たらいいのか良くわからなかったので、とりあえず、銀閣寺の方に車を走らせましたが、京都大学付近で渋滞にはまりました。それでも車から北の方向に「法」と銀閣寺方向に「大」の一部を観ました。
あのお盆の送り火はやさしい灯りでなんだか、故郷の子どものころのお盆の懐かしさを感じました。




伏見稲荷大社
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千本鳥居
所在地 京都市伏見区深草藪之内町68
位置 北緯34度58分01秒
東経135度46分23秒
主祭神 宇迦之御魂大神
社格等 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社
創建 和銅年間(708~715年)
本殿の様式 流造
札所等 神仏霊場 巡拝の道123番
例祭 5月3日

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。

式内社(名神大)、二十二社の上七社の一社で、旧社格は官幣大社。

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神(しのおおかみ)を配祀して、五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益がある。


歴史
和銅年間(708~715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まる秦氏にゆかり深い神社であるが、秦氏来住以前の原信仰が基礎となったとされる。和銅以降秦氏が禰宜・祝として奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』所引の山城国風土記逸文(但しこの風土記は延長3年(925年)に編纂の始まったもの)には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下の様に記されている。

秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)達の先祖である伊侶巨秦公は稲を多く持ち富裕であったが、稲を舂いて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産み社となった。伊侶巨秦公の子孫は先祖の過ちを認め、その社の木を抜いて家に植え寿命長久を祈った。

延喜式神名帳には「稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記載され、名神大社に列し月次・新甞の幣帛を受けた。明治4年(1871年)には近代社格制度のもとで官幣大社に列格するとともに正式社名を「稲荷神社」とし「官幣大社稲荷神社」となったが、戦後昭和21年(1946年)に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり「伏見稲荷大社」と改称した。これは神社本庁が伊勢神宮を本宗とするのに対し大社側として別の見解を取ったためで、神社本庁との関係は良好である。伏見稲荷大社の神札は、一社式の神棚(稲荷宮)で祀り、神宮大麻(伊勢神宮の神札)とは独立した神棚に祀るように推奨されている。

社家には学者が多く、国学者の荷田春満も当社の社家出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社がある(元は末社であったが、現在は独立した神社)。

応仁の乱の戦渦が去った15世紀後半には、神仏習合の下に伏見稲荷本願所に真言宗東寺の末寺の愛染寺が神宮寺として建立されたため、稲荷山では仏教系の稲荷として荼吉尼天も礼拝され[3]、また愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理していた。しかし、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって1868年(慶応4年)に愛染寺や社内の仏殿、本殿内の仏像類は廃された。ただし、祭礼時の東寺神供だけは現在も残っている[4]。

境内
現在の本殿は、応仁の乱で焼失した後に明応8年(1499)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

また17世紀初創建の「御茶屋」も重要文化財に指定されている。

稲荷山には信者から奉納された約一万基の鳥居があり、特に千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ名所となっている。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まった。

無数の石碑(その数、一万基、あるいはそれ以上とも言われる)が存在し、「お塚」と呼ばれている。各石碑には「白狐大神」や「白龍大神」などといった神名が記されている。参拝者の中には、石碑の前にひざまづいて「般若心経」や「稲荷心経」などを唱えている人もおり、日本で神仏分離が行われる前の信仰(→神仏習合)が今でも保たれているのを見ることができる


天龍寺の裏の出口から出たところに野宮神社があります。
縁結びを前面に出している神社で若い女の子がいっぱいいました。
結構真剣にお参りしている様でした。
このあたりは竹林がうっそうとしている小道で散策するにはいいところです。
神社の前には人力車に乗って記念写真を取っている女の子のグループもいましたし、カップルも団体客もいっぱいでかなり混雑していました。


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野宮神社
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野宮神社

黒木の鳥居
所在地 京都府京都市右京区嵯峨野宮町1
位置 北緯35度01分04秒
東経135度40分27秒
主祭神 野宮大神(天照皇大神)
社格等 村社
例祭 10月第3日曜日


野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区の嵯峨野にある神社である。祭神は野宮大神(天照皇大神)。旧社格は村社で、現在は神社本庁の被包括法人となっている。

伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる。天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中から新たな斎王が卜定され、嵯峨野の清らかな場所を選んで作られた野宮に入って一年間潔斎した後に伊勢神宮へ向かった。その時の行列を「斎王群行」といい、現在では毎年10月の例祭において「斎宮行列」としてその様子を再現している。

野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の制度は南北朝時代の後醍醐天皇の代を最後に廃絶し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、戦乱の中で衰退した。後に後奈良天皇、中御門天皇らの命により再興され、皇室からの厚い崇敬を受けた。

天龍寺は10年ぶりぐらいでしたが、かなり忘れていてほとんど初めてみたいの感じでした。
天龍寺の中では観光客がいっぱい休憩していて、まるで休憩所みたいになっていました。
お盆で五山送り火もあるので、嵐山もかなり渋滞して人出もかなりありました。


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天龍寺
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天龍寺

大方丈と曹源池
所在地 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
位置 北緯35度0分57.47秒
東経135度40分25.58秒
山号 霊亀山(れいぎざん)
宗派 臨済宗天龍寺派
寺格 大本山、京都五山一位
本尊 釈迦如来
創建年 康永4年(1345年)
開基 足利尊氏、夢窓疎石(開山)
正式名 霊亀山 天龍資聖禅寺
札所等 神仏霊場 巡拝の道 第88番
文化財 絹本著色夢窓国師像3幅、絹本著色観世音菩薩像、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)
世界遺産

天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

起源と歴史
天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786年 - 850年)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 - 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位[[1259年 - 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。

足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。

天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の嵐電帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。

方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。


京都20090816 二条城
8月16日に京都の「五山の送り火」が観たくて、車で出かけました。春日井インターに10時35分ごろに入って、大津インターに11時55分ごろに到着しました。しかし、駐車場はいっぱいでしたので、そのまま出て京都東インターから高速をおりました。
4月から京都の世界遺産を中心に周っていますが、今日、二条城と天龍寺に行くと残りは西芳寺と比叡山延暦寺の2つになります。
西芳寺も比叡山も学生のころ数回行ったことはありますが、30年振りとなるので楽しみです。
二条城はそんなに観光客は多くなく、ほとんど外人の観光客ばかりでした。二の丸御殿はいいのですが、その後の本丸と庭園を周るのは暑くて大変でした。

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二条城
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二条城(にじょうじょう)とは京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。
徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
概要
京都市街の中にある平城で、後述するが足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは、徳川氏によるものである。

城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録された。

8月15日に金城埠頭のポートメッセなごやに行ってきました。
国内最大級の野外フェステバルと銘打たれたコンサートを8月に全国5ヶ所でやるみたいです。
長女(小6)が行ってみたいというのでチケットを取りましたが、友達とのお泊り会と重なって行かないというので1人で行ってきました。
凄い人でしたが、若い女の子の2人連れやグループ、カップルがほとんどで家族連れやおじさん・おばんさんは少数ながらちらほらいました。
でもおやじ1人ではちょっと寂しいものがありました。席は巨大な会場の丁度真ん中あたりでした。ただ通路側の連番の席でしたので隣の席は当然空いてますが、更にその隣の2席も開いていましたので、本当に1人でぽつりと座るはめになりました。
ステージは1時開場、3時開演で8時40分ぐらいまでの長丁場でした。
私はTRFとガール ネクスト ドアがお目当てでいきましたが、もちろん倖田來未と浜崎あゆみも楽しみではありました。
その他にリンドバーグやマイ リトル ラヴァーなどのおじさん達も知っている名前もありました。
出演アーテチィストは十数組ありましたが、人気の度合いが残酷なほど良くわかりますね。倖田來未と浜崎あゆみはやはり別格の人気ですね。倖田來未の時にみそのが特別出演で1曲だけ一緒に歌ってかなり受けていました。
TRFもとりから2番目で、若い子もかなりのっていましたが、座っている子もいることはいました。
浜崎あゆみはとりだけあってさすがに会場全員総立ちで、歓声も凄いものでした。但し、帰りのことを考えて途中で帰る人もいましたが、私も帰りの渋滞を考えて最後まではいませんでした。
来年、子どもが行きたいといったら行ってもいいですが、どうなるんでしょうか。
写真は野外会場に入場前の建物の中で、グッズ販売や屋台や催し物があります。入場してもう一つの建物の中も屋台やグッズ販売・催し物会場となっていました。

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a-nation(エー・ネーション)は、日本の大手レコード会社・エイベックスグループが開催する夏の野外ライブツアー。2002年から毎年開催。

2009年 《第一弾出演アーティスト》
TRF
Every Little Thing
浜崎あゆみ
倖田來未
Do As Infinity
大塚愛
鈴木亜美
東方神起
AAA
GIRL NEXT DOOR
《第二・第三弾出演アーティスト》
SEAMO
島谷ひとみ
hitomi
BoA
My Little Lover
mihimaru GT
LINDBERG
DA PUMP
MINMI
《オープニングアクト》
AZU
坂詰美紗子
J-Min
JURIAN BEAT CRISIS
TRIPLANE
初音 feat.KEN THE 390
BRIGHT
Miray
moumoon
《シューティングアーティスト》
alan
上木彩矢
木山裕策
後藤真希
谷村奈南
福井舞
BRIGHT
moumoon
May J.
《パワーステージ》
稲森寿世
the generous
JANEL
DUFF
TSUYOSHI
東京プリン 他

BoAが2006年以来、3年ぶりに出演した。また、前年に出演したメインアーティストのうち安室奈美恵、EXILEなどは出演しなかった。
触法行為により活動を停止していた小室哲哉がシークレットゲストとして参加し、音楽活動を再開させた。また、day after tomorrow活動停止後、公での音楽活動を停止していた五十嵐充もかつて在籍していたEvery Little Thingのサポートとして参加した。

8月01日(土) 熊本県合志市:熊本県農業公園(カントリーパーク)
8月08日(土) 愛媛県松山市:ニンジニアスタジアム(愛媛県総合運動公園陸上競技場)
8月15日(土) 愛知県名古屋市:ポートメッセなごや野外特設会場
8月22日(土)・23日(日)東京都調布市:味の素スタジアム
8月29日(土)・30日(日)大阪府大阪市:長居陸上競技場(長居スタジアム)
名古屋では超メジャーな八事の興正寺に初めて参拝にいってみました。
そんなに期待はしていなかったのですが、さすがというべきか見所はかなりありました。
五重塔もなかなか渋くていいです。ご本尊の大日如来像もいいお顔をされています。

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興正寺
所在地 愛知県名古屋市昭和区八事本町78
山号 八事山
宗派 高野山真言宗
本尊 大日如来
創建年 1686年(貞享3年)
開基 天瑞圓照
正式名 八事山 興正寺
別称 八事観音
札所等 知多四国八十八ヶ所霊場88番
名古屋二十一大師霊場21番
東海三十六不動尊36番
名古屋七福神(寿老人)
文化財 五重塔(重要文化財)

重要文化財 五重塔興正寺(こうしょうじ)は、愛知県名古屋市昭和区八事本町の興正寺公園内にある高野山真言宗の別格本山。山号は八事山。通称は八事観音。本尊は大日如来。五重塔は1808年の建立で、1982年国の重要文化財に指定。東海地区唯一の木造五重塔である。
歴史
高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった天瑞圓照により1686年(貞享3年)に建立。1688年尾張藩二代目藩主徳川光友の帰依を受け、徳川家の祈願寺として繁栄した。

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小雨の中、名古屋では有名な覚王山の日泰寺に初めて行ってきました。
境内のなかまで車で入っていって、隅に自由に止めることができました。
小雨でしたので、閑散として静寂の中でお参りができました。
山門、五重塔などなかなか立派です。
このお寺はタイでお釈迦様のお骨が見つかり、そのお骨を安置するために建立されたということも初めて知りました。
そのため、日本で唯一、宗派に関係のない純粋に日本仏教のお寺なのだそうです。3年ごとに管理する宗派が交代するそうです。
そんなお寺が名古屋にあったんですね、初めて知りました。


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覚王山日泰寺
所在地 愛知県名古屋市千種区法王町1-1
位置 北緯35度10分17.6秒
東経136度57分18.67秒
山号 覚王山
宗派 超宗派
本尊 釈迦金銅仏
創建年 明治37年(1904年)
文化財 鳳凰台(名古屋市指定)
覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区にある超宗派の寺院である。 タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。

どの宗派にも属していない超宗派であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている(ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している)。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。

なお仏舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。

境内には仏舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。

起源と歴史
明治31年(1898年)仏教開祖釈迦(ゴータマ・シッダルータ)の遺骨仏舎利が発見される。インドにおいて、英国によって骨壷が発掘され、古代文字の解読の結果判明。
明治32年(1899年)遺骨仏舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
明治33年(1900年)遺骨仏舎利が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
明治37年(1904年)仏舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺として創建。
大正3年 (1914年)伽藍を整備。
昭和20年 (1945年)空襲により全焼。
昭和24年(1949年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。

境内
戦災で焼失したため、文化財指定されている一部の建物を除き、本堂・普門閣・山門などほとんどの建物が鉄筋コンクリート造りである。

本堂 - 昭和59年に落成。魚津常義設計、竹中工務店施行。内部中央には明治33年に仏舎利と共にタイ政府より贈られた釈迦金銅仏が本尊として安置されている。本尊両脇に飾られた絵画は高山辰雄の作品。
普門閣 - 本堂西側にある巨大な祭事場(多目的会館)。
五重塔 - 平成9年建立。高さ30メートル。
山門 - 昭和61年建立。左右に円鍔勝三作の阿難・迦葉像が納められている。
鳳凰台 - 大書院。名古屋市指定文化財。非公開。
八相苑 - 鳳凰台の北側。下記の草結庵の移築に伴って造庭された近代的な枯池式日本庭園。非公開。
草結庵 - 名古屋市中区の長栄寺から昭和37年に移築された茶室。江戸中期の表千家の茶人、高田太郎庵好みと伝えられている。三畳台目、相伴席付の席で、構成は藪内家の燕庵とほぼ同一である。非公開。
同夢軒 - 上記の草結庵の移築の際、草結庵の副席として建てられた茶室。五畳台目。非公開。
僧堂 - 現在、曹洞宗の専門修行道場となっている。東海地方にある本式の僧堂としては他に愛知学院大学の坐禅堂があるのみで、稀少である。
奉安塔 - 仏舎利を安置するため、大正7年に建てられた。伊東忠太によりガンダーラ様式を模して設計された。東側には広大な墓地がある。
所在地 [編集]
愛知県名古屋市千種区法王町1-1
交通手段 [編集]
地下鉄東山線、覚王山駅から徒歩5分。

今日も名古屋は朝から雨でしたが、昼過ぎに雨が止んだのでインターネットでチェックしていた名古屋の名所・旧跡(神社・仏閣)を周ってみました。
最初に桃巌寺に行ってみましたが、なかなか赴きのあるお寺でした。みどころも盛りだくさんです。
桃巌寺:織田信秀(信長の父)の菩提を弔うために三男信行が建立。今は弁天様のお寺として芸能人などの参拝者も多いそうです。
また「ねむり弁天」をはじめ男女和合の寺宝も多いみたいです。
高さ10mの名古屋大仏(昭和64年建立)もあります。

雨が降ったり止んだりで、それも凄い土砂降りにあいかなりの間山門であまやどりしていましたが、やぶ蚊に刺され大変でした。
名古屋にこんなお寺があったんですね。


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桃巌寺
所在地 愛知県名古屋市千種区四谷通2-16
位置 北緯35度9分40.5秒
東経136度57分52.65秒
山号 泉龍山(せんりゅうさん)
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 天文年間(1532年〜1554年)
開基 織田信秀
正式名 泉龍山 桃巌寺
別称 東山弁天

桃巌寺(とうがんじ)は愛知県名古屋市千種区にある曹洞宗の寺院。山号は泉龍山。


歴史
天文年間(1532年〜1554年)、末森城主であった織田信行(織田信長の弟)が父・織田信秀の菩提を弔うために城の南に位置する末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に建立した。後に現在の松竹町に替地となったが、正徳2年(1712年)または正徳4年(1714年)に現在地に移されたとされる。

開基は織田信秀とされており、開山は龍泉寺輪住二十世、慈眼寺三世住職などを務めた快翁玄俊。桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」から取られており、恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像を本尊とし、信秀が所有していたと伝わる辨天画像や竹生島から勧請した十五童子像を守護神として祀る。

境内
裸辨天や歓喜仏、日本一とも言われる直径1メートルの木魚などの他、年に2回御開帳される「ねむり辨天」でも知られる。

信秀廟所
城山八幡宮の西南に位置する揚輝荘の敷地南端に面した一角(かつての桃巖寺領)に、信秀の墓石と三基の五輪塔があった。墓石は信秀250回忌の寛政13年(1801年)に再建されたもので、信秀と信行に加えて柴田勝家の名も記されていた。昭和26年(1951年)、信秀没後400年にあたって桃巌寺境内に移された。

ねむり辨天
1月1日〜5日と、5月7・8日に御開帳が行なわれる。

名古屋大仏
名古屋大仏坐高10メートル(台座も含めると15メートル)の巨仏で昭和62年(1987年)に建立された。

奥の院
北設楽郡設楽町に相輪塔を置く。

アクセス
名古屋市営地下鉄名城線・東山線 - 本山駅から徒歩5分。