今日も名古屋は朝から雨でしたが、昼過ぎに雨が止んだのでインターネットでチェックしていた名古屋の名所・旧跡(神社・仏閣)を周ってみました。
最初に桃巌寺に行ってみましたが、なかなか赴きのあるお寺でした。みどころも盛りだくさんです。
桃巌寺:織田信秀(信長の父)の菩提を弔うために三男信行が建立。今は弁天様のお寺として芸能人などの参拝者も多いそうです。
また「ねむり弁天」をはじめ男女和合の寺宝も多いみたいです。
高さ10mの名古屋大仏(昭和64年建立)もあります。

雨が降ったり止んだりで、それも凄い土砂降りにあいかなりの間山門であまやどりしていましたが、やぶ蚊に刺され大変でした。
名古屋にこんなお寺があったんですね。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋



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桃巌寺
所在地 愛知県名古屋市千種区四谷通2-16
位置 北緯35度9分40.5秒
東経136度57分52.65秒
山号 泉龍山(せんりゅうさん)
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 天文年間(1532年〜1554年)
開基 織田信秀
正式名 泉龍山 桃巌寺
別称 東山弁天

桃巌寺(とうがんじ)は愛知県名古屋市千種区にある曹洞宗の寺院。山号は泉龍山。


歴史
天文年間(1532年〜1554年)、末森城主であった織田信行(織田信長の弟)が父・織田信秀の菩提を弔うために城の南に位置する末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に建立した。後に現在の松竹町に替地となったが、正徳2年(1712年)または正徳4年(1714年)に現在地に移されたとされる。

開基は織田信秀とされており、開山は龍泉寺輪住二十世、慈眼寺三世住職などを務めた快翁玄俊。桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」から取られており、恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像を本尊とし、信秀が所有していたと伝わる辨天画像や竹生島から勧請した十五童子像を守護神として祀る。

境内
裸辨天や歓喜仏、日本一とも言われる直径1メートルの木魚などの他、年に2回御開帳される「ねむり辨天」でも知られる。

信秀廟所
城山八幡宮の西南に位置する揚輝荘の敷地南端に面した一角(かつての桃巖寺領)に、信秀の墓石と三基の五輪塔があった。墓石は信秀250回忌の寛政13年(1801年)に再建されたもので、信秀と信行に加えて柴田勝家の名も記されていた。昭和26年(1951年)、信秀没後400年にあたって桃巌寺境内に移された。

ねむり辨天
1月1日〜5日と、5月7・8日に御開帳が行なわれる。

名古屋大仏
名古屋大仏坐高10メートル(台座も含めると15メートル)の巨仏で昭和62年(1987年)に建立された。

奥の院
北設楽郡設楽町に相輪塔を置く。

アクセス
名古屋市営地下鉄名城線・東山線 - 本山駅から徒歩5分。