龍泉寺城と展望台は日曜日と祭日のみ公開のため、9月13日に行ってきました。
残念ながら、楽しみにしていた重要文化財の木造地蔵菩薩像や円空仏は他の博物館や展示会に貸し出ししていて観る事はできませんでした。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
龍泉寺

山門
所在地 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
山号 松洞山(しょうとうざん)
宗派 天台宗
本尊 馬頭観音
創建年 (伝)延暦年間
開基 (伝)最澄
正式名 松洞山 大行院 龍泉寺
札所等 尾張三十三観音25番
尾張四観音
文化財 仁王門、木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
龍泉寺(りゅうせんじ)は、愛知県名古屋市守山区竜泉寺にある天台宗の寺院。「松洞山大行院」と号する。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ。尾張三十三観音霊場の第二十五番札所である。「竜泉寺」とも表記する。本尊は馬頭観音。

歴史
「沙石集」によれば、尾張龍泉寺は龍王が一夜のうちに造立した寺で、馬頭観音が出た池の跡が見えるとされている。これを原型としたと思われる「龍泉寺記」(宝暦5年(1755年)記)には、延暦年間に伝教大師最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀ったのが開基とされている。

一方、弘法大師空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。

龍泉寺は庄内川を望む高台にあり、庄内川、崖、湿地に囲まれた要害の地であって濃尾平野を一望できるため、古くから戦闘の際には軍事的価値を認められて陣を置かれることが多かった。弘治2年(1556年)織田信行が城を築いたと言われ、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清須城北東方面の防衛線を築くために織田信長が一隊を龍泉寺に派遣している。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、小幡城に進出した徳川家康を討つべく羽柴秀吉が陣を張ったが(このことが後に「一夜堀」の伝説を生んだ)、秀吉が退却するときに放火されて建物が焼失した。慶長3年(1598年)に近辺の寺院密蔵院の僧侶秀純によって再興されたが、明治39年(1906年)2月に再び放火され、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが焼失した。その焼跡から、慶長大判切2枚、慶長小判98枚の入った小判容器が発掘され、これが基金となって本堂が再建されたというエピソードがある。

龍泉寺城
上述のように尾張の歴史上、龍泉寺は何度か軍事施設として使われたこともあり、「龍泉寺城」とされることもある。現在でも境内の周囲の一部には空堀状の跡が残されているほか、境内裏側の日本庭園の横には三層の模擬天守が建てられている。これは、重要文化財の木造地蔵菩薩像や円空仏などを所有する宝物館を兼ねている。

南座近くのレストランに集合して、今回の参加者全員で宮川町のお茶屋さんに向かいました。
宮川町は始めてでしたが、お茶屋さんが何軒も並んでいます。
18時ちょっと前で舞妓さんも何人か通りますが、今回ご紹介いただいた京都太郎さんに挨拶されていかれます。相当な顔なんですね。

舞妓さんと芸鼓さんがみえて、18時過ぎに乾杯となりました。
舞妓さんも芸鼓さんもきれいな方で、やはり立ち振る舞いも優雅です。女将さんもきれいな方でした。

舞妓さんの踊りと芸鼓さんの歌と三味線も堪能できましたし、お座敷遊びも「金毘羅ふねふね」と「とらとら」の二つもできました。

18時から20時半までとても楽しい時間を過ごすことができました。
ふく紘さん、小扇さん、しげ森の女将ありがとうございました。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-舞妓 芸鼓

今回、お茶屋さんに一緒に行かれる方達との待ち合わせ時間まで、まだ少し時間がありましたので建仁寺にも寄ってみました。
ゆっくり参拝する時間はなかったので境内を少し歩いただけですので、またゆっくりと参拝したいお寺です。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建仁寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建仁寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建仁寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建仁寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建仁寺





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
建仁寺

法堂
所在地 京都府京都市東山区小松町584
位置 北緯35度0分3.55秒
東経135度46分25.19秒
山号 東山(とうざん)
宗派 臨済宗建仁寺派
寺格 大本山、京都五山三位
本尊 釈迦如来
創建年 建仁2年(1202年)
開基 源頼家、栄西(開山)
正式名 東山 建仁禅寺
文化財 風神雷神図(国宝)
方丈、勅使門、絹本著色十六羅漢像16幅ほか(重要文化財)

建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。

京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、よく日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。

今日行く宮川筋のお茶屋さんの近くの駐車場を探して、運良く安いコインパーキングに留めることができました。平日の1日最大金額を設定しているパーキングはたくさんありますが、土日祭日も設定しているところは少なくここは土日祭日もOKで1日1,200円とかなり安かったです。1台分だけ運良く空いていました。
時間がまだあったのでパーキングのすぐ脇にあった、摩利支天堂(建仁寺 禅居庵)とゑびす神社に寄ってみました。
禅居庵は建仁寺の塔中の一つで、非公開ですが禅居庵の一部である摩利支天堂だけは自由に参拝できます。
摩利支天は狛犬ならぬ、狛猪なんですね。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-摩利支尊天堂(建仁寺 禅居庵)



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-摩利支尊天堂(建仁寺 禅居庵)



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-摩利支尊天堂(建仁寺 禅居庵)




摩利支天堂の道路を挟んだ斜め向かいにあるゑびす神社にも寄ってみました。
比較的小さい神社ですが、商売繁盛の神様として京都では「京のゑっべさん」と言われて親しまれているようです。
「えべっさんにお参りする時は本殿の正面からお参りしてから左へ廻って横の戸を軽く叩いてお参りすると願いが叶う」と言われているみたいです。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-ゑびす神社


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-ゑびす神社


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-ゑびす神社


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-ゑびす神社


比叡山 延暦寺も学生のときに数回行った以来なので、30年振りぐらいかな。どんなとこを観たのかは、ほとんど忘れていました。
でも比叡山はやはり建物も仏像も見所満載ですね。
特に根本中堂はすばらしいですね、あの独特の雰囲気は密教ならではしょうか。本当に圧倒されてしまいました。
東塔だけでかなり時間が経ってしまい、西塔も横川も行けませんでしたので、また来ることにして、今回のメインテーマの「お茶屋さんで舞妓さん」に向けて京都市内に下りました。
今回の延暦寺で京都(宇治・大津)の世界遺産17のうち16を制覇して、残りは西芳寺(苔寺)だけになりました。
西芳寺は往復はがきで予約が必要なのでついつい残ってしまいましたが、早めに予約しないと。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-延暦寺




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
延暦寺

延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。

概要
最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。

「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称である。延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(824年)のことであった。

名僧を輩出
大乗戒壇設立後の比叡山は、日本仏教史に残る数々の名僧を輩出した。円仁(慈覚大師、794 - 864)と円珍(智証大師、814 - 891)はどちらも唐に留学して多くの仏典を持ち帰り、比叡山の密教の発展に尽くした。

なお、比叡山の僧はのちに円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになった。正暦4年(993年)、円珍派の僧約千名は山を下りて園城寺(三井寺)に立てこもった。以後、「山門」(円仁派、延暦寺)と「寺門」(円珍派、園城寺)は対立・抗争を繰り返し、こうした抗争に参加し、武装化した法師の中から自然と僧兵が現われてきた。

平安から鎌倉時代にかけて延暦寺からは名僧を輩出した。円仁・円珍の後には「元三大師」の別名で知られる良源(慈恵大師)は延暦寺中興の祖として知られ、火災で焼失した堂塔伽藍の再建・寺内の規律維持・学業の発展に尽くした。また、『往生要集』を著し、浄土教の基礎を築いた恵心僧都源信や融通念仏宗の開祖・良忍も現れた。平安末期から鎌倉時代にかけては、いわゆる鎌倉新仏教の祖師たちが比叡山を母体として独自の教えを開いていった。

比叡山で修行した著名な僧としては以下の人物が挙げられる。

良源(慈恵大師、元三大師 912年 - 985年)比叡山中興の祖。
源信(恵心僧都、942年 - 1016年)『往生要集』の著者
良忍(聖応大師、1072年 - 1132年)融通念仏宗の開祖
法然(1133年 - 1212年)日本の浄土宗の開祖
栄西(1141年 - 1215年)日本の臨済宗の開祖
慈円(1155年 - 1225年)歴史書「愚管抄」の作者。天台座主。
道元(1200年 - 1253年)日本の曹洞宗の開祖
親鸞(1173年 - 1262年)浄土真宗の開祖
日蓮(1222年 - 1282年)日蓮宗の開祖


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-比叡山


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-比叡山


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-比叡山


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-比叡山

近江神宮(大津市) 20090905
9月5日に久々に京都に出かけました。

今回は比叡山延暦寺と夕方からは宮川筋のお茶屋さんで舞妓さんの踊りを観賞する企画に参加させていただくのが目的です。

8時35分頃に春日井インターで名神高速に入りましたが、今回初めて一宮で渋滞に遭いました。帰りの一宮の渋滞はいつものことですが、朝の行きの渋滞は初めてです。
そのため大津SAには2時間近くかかりました。

大津で高速を降りて、比叡山に向かいました。
三井寺に寄ろうか迷いましたが、三井寺もかなり見所が多いので短時間ではもったいないので今回は止めました。

そのかわり、近江神宮にちょっとよってみました。
七五三のお参りの親子連れが何組か参拝していました。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-近江神宮





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近江神宮

鳥居と社名標
所在地 滋賀県大津市神宮町1-1
主祭神 天智天皇
社格等 官幣大社・勅祭社・別表神社
創建 昭和15年(1940年)
本殿の様式 近江造
例祭 4月20日

近江神宮(おうみじんぐう)は、滋賀県大津市に鎮座する神社。皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に鎮座した、新しい神社である。

667年に飛鳥から当地へ近江京として遷都した由緒に因み、遷都を行った天智天皇を祭神として設営された。

社殿は「近江造」と呼ばれる独特のもので、国の登録有形文化財として登録されている。

天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などを飾ってあり時計博物館が併設されている。

また、小倉百人一首の一首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月にここで行われている。

名古屋20090823 龍泉寺

名古屋城の帰りに守山区の龍泉寺に寄ってみました。
自宅からは車で10分ぐらいのところにあります。
すぐ脇に竜泉寺の湯とゴルフ練習場があります。
前は竜泉寺ウォーターパークもありましたが、竜泉寺ウォーターパークは2年ぐらい前に廃業しました。
ゴルフ練習場は前はたまに行ってました。
竜泉寺の湯は春にリニューアルしてからはかなりの人気で、週末は駐車場がいつも一杯で、まだ入ったことはありません。

龍泉寺も行こうとは思っていたのですが、つい延び延びになって今回初めて行ってみました。
仁王門はなかなか立派で、多宝塔と鐘楼も見ごたえがありました。
今回は時間がなかったので、龍泉寺城と展望台は行ってないのでまた行きたいと思っています。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-龍泉寺







出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
龍泉寺
所在地 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
山号 松洞山(しょうとうざん)
宗派 天台宗
本尊 馬頭観音
創建年 (伝)延暦年間
開基 (伝)最澄
正式名 松洞山 大行院 龍泉寺
札所等 尾張三十三観音25番
尾張四観音
文化財 仁王門、木造地蔵菩薩立像(重要文化財)

龍泉寺(りゅうせんじ)は、愛知県名古屋市守山区竜泉寺にある天台宗の寺院。「松洞山大行院」と号する。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ。尾張三十三観音霊場の第二十五番札所である。「竜泉寺」とも表記する。本尊は馬頭観音。
歴史
「沙石集」によれば、尾張龍泉寺は龍王が一夜のうちに造立した寺で、馬頭観音が出た池の跡が見えるとされている。これを原型としたと思われる「龍泉寺記」(宝暦5年(1755年)記)には、延暦年間に伝教大師最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀ったのが開基とされている。

一方、弘法大師空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。

龍泉寺は庄内川を望む高台にあり、庄内川、崖、湿地に囲まれた要害の地であって濃尾平野を一望できるため、古くから戦闘の際には軍事的価値を認められて陣を置かれることが多かった。弘治2年(1556年)織田信行が城を築いたと言われ、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清須城北東方面の防衛線を築くために織田信長が一隊を龍泉寺に派遣している。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、小幡城に進出した徳川家康を討つべく羽柴秀吉が陣を張ったが(このことが後に「一夜堀」の伝説を生んだ)、秀吉が退却するときに放火されて建物が焼失した。慶長3年(1598年)に近辺の寺院密蔵院の僧侶秀純によって再興されたが、明治39年(1906年)2月に再び放火され、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが焼失した。その焼跡から、慶長大判切2枚、慶長小判98枚の入った小判容器が発掘され、これが基金となって本堂が再建されたというエピソードがある。
龍泉寺城
上述のように尾張の歴史上、龍泉寺は何度か軍事施設として使われたこともあり、「龍泉寺城」とされることもある。現在でも境内の周囲の一部には空堀状の跡が残されているほか、境内裏側の日本庭園の横には三層の模擬天守が建てられている。これは、重要文化財の木造地蔵菩薩像や円空仏などを所有する宝物館を兼ねている。
文化財
重要文化財
仁王門 - 慶長12年(1607年)建立。入母屋造杮(こけら)葺きの楼門。
木造地蔵菩薩立像

今日、昼から名古屋城に行ってみました。
名古屋には7年目になりますが、入場したのは今回初めてになります。
日曜なので結構、観光客も多かったです。
午前中はいいお天気でしたが、午後から雨がぽつぽつきたりしましたが、本降りにはなりませんでした。
まじかで観る名古屋城も良かったです。
内堀あとに鹿を放し飼いにしてるんですね、初めて知りました。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 加藤清正像



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 地階 内部



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 天守閣



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 展望台



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 内部



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城 模型



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-名古屋城の鹿






出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった城郭である。金鯱城、金城ともいい日本100名城にも指定されている。
名古屋城
(愛知県)
天守(大天守と小天守)
通称 金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 連結式層塔型(1612年築 非現存)
(1959年再 SRC造外観復元)
築城主 徳川家康
築城年 1609年(慶長14年)
主な改修者 名古屋城再建委員会
主な城主 尾張徳川氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 3櫓・1門、庭園、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(櫓3棟、門1棟)
再建造物 天守
位置 北緯35度11分7.77秒
東経136度53分56.71秒
概要
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。

大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称され、伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われている。大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。

大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期までは現存していたが名古屋大空襲(1945年)によって天守群と御殿を焼失し、戦後に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されている。

大須の帰りに代々の尾張藩主の廟が置かれていた建中寺に寄ってみました。

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-建中寺



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
建中寺

本堂
所在地 愛知県名古屋市東区筒井1丁目7番地57号
山号 徳興山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶安4年(1651年)
開基 徳川光友
正式名 徳興山 崇仁院 建中寺
文化財 総門など8つ(市指定文化財)、徳川家霊廟(県指定文化財)、徳興院(国登録文化財)
表・話・編・歴
建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区にある浄土宗の寺院。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。

1651年(慶安4年) に第2代尾張藩主徳川光友が、父である第1代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立した。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、四万八千坪(158,400m²)の境内に多数の堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。1785年(天明5年)の大火災で総門・三門などを除く多数の建物が焼失したが、翌1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて再建された。現在では境内の規模は創建当時よりも小さくなっている。

大須観音はのんびりと参拝できました。境内に鳩が多いのはいいのですが、鳩のえさを売っているのはちょっと驚きました。でも、鳩のえさは大須名物なんですね。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-大須観音 人形供養塔





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大須観音

観音堂
所在地 愛知県名古屋市中区大須2-21-47
位置 北緯35度9分35.13秒
東経136度53分58.23秒
山号 北野山
宗派 真言宗智山派
寺格 別格本山
本尊 聖観音
創建年 元弘3年(1333年)
開基 能信
正式名 北野山 真福寺 寶生院
札所等 日本三大観音
東海三十六不動尊10番
尾張三十三観音1番
文化財 真福寺文庫
〔古事記写本他(国宝)、絹本著色仏涅槃図他(重要文化財)〕
表・話・編・歴
大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。本尊は聖観音。寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」だが、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音霊場である。名古屋七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。
 歴史
元亨4年(1324年)に後醍醐天皇が大須郷(現岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺の始まりである。

その後、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によって現在地に移転、明治25年の大須の大火と第二次世界大戦の空襲による2度の焼失を被り、昭和45年(1970年)に再建し、現在に至る。

大須の地名はこの大須観音の門前町が発祥の地である。


文化財
真福寺文庫(大須文庫) - 大須観音にある文庫(図書館)。醍醐寺、根来寺と共に日本三経蔵の1つ。あるいは仁和寺、根来寺と共に本朝三文庫の1つと称される。15,000冊もの古典籍を所蔵。書誌学の世界では真福寺本、大須本と言う。国宝の『古事記』は「真福寺本古事記」として知られ、同書の現存最古の写本である。


国宝
古事記 3帖
漢書食貨志 第四 1巻
琱玉集(ちょうぎょくしゅう)巻第十二、第十四 天平十九年書写奥書 2巻
翰林学士詩集 1巻