<富山県>~2016年冬、北陸新幹線初乗車で薬都・富山へ(3日目①・岩瀬散策) | 花咲く旅路

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2016年1月末から2月頭の「富山紀行」、いよいよ最終日3日目です。

 

 

 

 

 

朝からゆったり大浴場、サウナへ。

富山のドーミーインも最高でした。

入浴客が少なくて満足。

水風呂はかなり冷たかったぁ~

 

 

 

 

 

 

 

この日は、雪雪の結晶でした!

 

 

ホテルの部屋の窓からパチリカメラ

降ってるし、うっすら積もってますやん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時前までホテルでゆっくりしてチェックアウト。

 

 

 

「富山駅」に向かって歩きます。

雪積もってるので滑らないように気をつけながら。 道路では融雪の水が流れていました。

 

 

 

 

 

 

初日に観光した「富山城」も雪景色。

 

 

 

 

 

                       「松川」も雪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「富山駅」からは、    富山地方鉄道富山港線   で、

「岩瀬」に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20分ほどで、   東岩瀬駅    に到着。

 

 

 

 

 

現在の駅の傍には、   旧岩瀬駅舎    が残ります。

 

 

「旧富山港線」時代から唯一残る駅舎です。

現在は休憩所として利用できます。

「岩瀬まち歩き」の案内板も掲示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから、   岩瀬   を散策します。

「岩瀬」は古くから日本海側の主要港として知られ、

927年に編纂された「延喜式」でもその名が見られ、

室町時代末に成立した日本最古の海洋法規集「廻船式目」にも名を連ねました。
掲載されている港は博多津(福岡県福岡市)・堺津(大阪府堺市)・安濃津(三重県津市)の3津と

三国湊(福井県坂井市)・本吉湊(石川県白山市)・輪島湊(石川県輪島市)・

岩瀬湊(富山県富山市)・土崎湊(秋田県秋田市)・十三湊(青森県五所川原市)の7港である事から

「岩瀬湊」は「三津七湊」、「日本10大港湾」として認識されました。

江戸時代に入ると富山城の外港として整備され、「神通川」舟運の起点や、

「北前船」の寄港地としても多くの物資が運び込まれていました。
「五大家」と呼ばれる「馬場家」、「米田家」、「森家」、「畠山家」、「宮城家」の

「廻船問屋」は繁栄を極め、大きな影響力をもつようになります。

また、「岩瀬」は「加賀藩」の参勤交代で利用する「北陸街道(北国街道)」沿いに

あったことから、藩主の「前田家」が宿泊や休息で利用する御旅屋が設けられた他、

多くの旅人が宿場町として利用しました。
明治時代に入ると街道制度が廃止され、汽船や鉄道、国道などの交通網の発達や

港湾の整備が行われた事で舟運や北前舟が衰退し経済的な優位性が失われましたが、

「北前船廻船問屋」森家や馬場家(国登録有形文化財)をはじめ、

多くの町屋が軒を連ねる古い町並みが残され当時の繁栄ぶりを窺うことが出来ます。
1873年(明治6年)に大火があり、約1000戸あった家屋の内、

650戸が焼失しましたが、当時、「廻船問屋業」が全盛を迎えており、

「廻船問屋」を始めとした財力によって岩瀬独自の家屋様式「東岩瀬廻船問屋」などの

家屋として再建されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪はもうやんでいますが、寒い日です。

 

 

 

静かな町並み。                養願寺

 

 

「養願寺」

1390年頃、「西岩瀬」の地にありました。

1394年に火災により全焼、1401年に「東岩瀬」に借地移転し再建しました。

1475年に寺院を開山し、「養壽」が初代和尚となりました。

その後、災害などで何度も被災し、1874年(明治7年)に現在地に移転しました。

 

 

 

 

 

 

 

岩瀬小学校           書店なども建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

「養願寺」の傍に建つ、    忠霊塔   食堂天保

 

 

「食堂天保」

江戸時代からの土蔵造りのお食事処です。

気軽に白えび料理を楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧北国街道(大町新川町通り)

 

 

当時の面影を現在にとどめています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山港    方面へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

琴平神社            社殿

 

 

 

 

境内。                    港がすぐです。

 

 

 

 

 

       常夜燈         海上安全祈願塔

    

 

創建は1820年、「宗徳天皇」と「素戔嗚尊」の分霊を勧請したのが始まりと

伝えられています。

当初、「神通川」の川州の網干場に鎮座し「金毘羅堂」と称していましたが、

1874年(明治7年)に現在地に遷座し、

1914年(大正3年)に「祇園社」が合祀されました。

境内にある「常夜燈」は1865年に「佐渡伝次郎」によって建てられたもので、

当時は「北前船」など「岩瀬湊」に往来する船に対しての燈台の役割を果たしていたとされ、

高さが約6mと、通常の「常夜燈」よりかなり高く造られ、

”元治二年 往来安全 天照皇太神宮”の銘が刻まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西宮神社            正源寺

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和レトロ館 吾楽俊      町並みもレトロ。

 

 

「昭和レトロ館 吾楽俊」

昭和の品の数々を一般の方が趣味で収集し、展示しています。

相当数ある蓄音機、ラジオ、テレビ、時計などは所有者によって修理され、

ほとんどが可動するそうです。

家具、看板、玩具ほか雑貨も多くあります。

 

 

 

 

 

 

 

路傍の祠。

 

 

 

 

 

 

 

蒲方の井戸

 

「蒲方の井戸」

「北前船・長者丸」で遭難した「米田屋次郎吉」は、

ハワイなど4年間余にわたって流離の労苦を体験した人物。

優れた和算の才能を持った人物です。

井戸は「次郎吉」の生まれた地にあります。

目が悪く、井戸で毎朝目を洗い、お不動さんにお参りしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

佐藤釣具店

 

 

 

 

 

 

富山信用金庫          富山第一銀行

 

 

 

 

 

 

 

桝田酒造店

 

 

 

 


1893年(明治26年)創業、銘酒「満寿泉」で知られる酒蔵です。

富山の旬の幸とともに味わえるようこだわって造られる酒は、

県内外で多くの人に愛されています。

和風建物の佇まいが、「岩瀬」の持つ街並みの雰囲気の魅力をさらに引き出しています。

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)