<富山県>~2016年冬、北陸新幹線初乗車で薬都・富山へ(2日目①・呉羽山公園) | 花咲く旅路

花咲く旅路

旅、グルメ、MONO、自分を幸せにしてくれるものを記録します。

 

2016年1月下旬~2月頭の「富山紀行」、

 

2日目は、「呉羽山展望台」、「民俗民芸村」を観光します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドーミーイン」に宿泊しているので、

 

朝から大浴場・サウナでととのい、遅めのスタートです。

 

 

 

サウナ上がりのアルコールはしっかり朝からいただきますよてへぺろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時30分過ぎにホテルを出発。

「富山駅」まで歩いて、そこからはバスで向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

この日は天気が良いですね~

雪予報が一転、快晴でございます晴れ

「富山城」もきれいに見えます。        「シクロシティ」というレンタサイクル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「松川」沿いの「松川茶屋」。        「松川」の遊覧船。

 

 

 

 

「滝廉太郎号」とあります。

春の花見シーズンは最高でしょうね~

 

明治時代の作曲家「滝廉太郎」は、少年時代の2年間、「富山」で過ごしました。

「松川茶屋」内には記念館もあります。

 

 

 

 

 

 

 

千歳桜の碑石          観世観音堂

 

 

「松川茶屋」の裏に建ちます。

江戸後期、富山10代藩主の「前田利保」が藩主の座を「利友」にゆずった後、

1849年5月に新しく「東出丸(現在の桜木町一帯)」に「千歳御殿」を築きました。

「利保」は「千歳御殿」に移り、桜を多く植え、「千歳桜」と言われたそうです。

後年、「神通川」のバイパス工事の後、旧流路が埋め立てられ、

「松川」が誕生した1934年(昭和9年)、35周年を記念してこの碑を建て、

新しく「松川」の堤に桜の植樹をおこないました。

現在の桜は戦後植えられたものです。
碑石の右側には、「観世音堂」があります。

桜木町の遊郭で心中する者、勤めが辛くて身を投げる者、

泳ぎに入って水死する者がこの付近で多かったので、それを弔い、

霊を慰めるために明治に入って祭られたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

新聞少年の像

 

新聞宅配制度の象徴として、1963年(昭和38年)に、

県内の新聞販売関係者らが資金を出して建てられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノーベル街道    を駅方面へ。

 

「富山湾」でとれたブリを、「高山」を通り、「野麦峠」を越え、

信州「松本」にまで運ぶのに使われた「ぶり街道」。

近年、この街道沿いで5人の方がノーベル賞を受賞しており、

「ノーベル街道」と呼ばれるようになりました。

この街道にゆかりの「ノーベル賞」の受賞者は、

物理学者の「小柴昌俊」、「梶田隆章」、化学者の「田中耕一」、「白川英樹」、

「生物学者」の「利根川進」になります。

 

 

 

 

 

 

 

街道沿いのオブジェ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山駅   に到着。            富山地方電鉄  の駅へ。

 

 

 

 

「富山地方電鉄」の車両です。

 

 

懐かしいなぁ~

富山には仕事で来ることが多かったのですが、

一度、「富山駅」からこの電車に乗って「宇奈月温泉」まで行ったことがあります。

釜飯食べて、「黒部峡谷トロッコ」で終点の「欅平」まで行き、

「名剣温泉」に日帰り入浴したのはいい思い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「富山駅」からは11時5分発のバスに乗り、「呉羽山展望台」を目指します。

 

 

 

 

バスは10分ちょいの乗車です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスは「富山市民俗民芸村」のバス亭に到着。

「民俗民芸村」の観光は後にして、先に「呉羽山公園」へ。

ここから20分ほど山頂へ向かって歩きます。

 

 

 

 

 

 

雪が残ります。               ずっと、上り。ちょいしんどいあせる

 

 

 

 

 

 

だいぶ上がってきました。           おお、眺望良し!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金尾柳神斎の碑

 

 

 

 名を「栄蔵」といい、「富山市」が生んだ明治の武道家です。

若い時から力が強く、志を立てて上京し、剣術を「徳川家茂」の教授「榊原健吉」に学び、

また柔道を「嘉納治五郎」に学びました。
上達して富山に帰り鹿島町に百畳敷きの道場を開き、柔道と剣道を教えました。

数100人の弟子の中から柔道では「板坂氏」や、

剣道では近代の名剣士「中山博道範士」も出ています。

水泳も達者で、「神通川」で溺れた人を18人も助け、何度も表彰されました。
 この碑は1929年(昭和4年)に建立され、碑銘は日本柔道の開祖「嘉納治五郎」の筆で、

裏面には漢学者「塩谷温」が漢文で「柳神斎」がどんな人だったかを詳しく紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ「展望台」です。

 

 

 

 

「展望台」に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

呉羽山展望台


 

富山市西部にある「呉羽山公園」は、

「立山連峰」の大パノラマを一望できるスポットとして人気です。

標高76.8mの山頂付近には「展望台」があり、

眼下に「神通川」と「富山市街」を見下ろし、その向こうには「立山連峰」を見渡せます。

北には「富山湾」を隔てて遠く「能登半島」までが望めます

周辺には、夜景が見える喫茶店やカフェレストランのほか、観光スポットも点在し、

春になると桜の名所としても有名です。

 

 

 

 

富山市街。

 

 

 

 

 

「北陸新幹線」の高架が見渡せます。

 

 

 

 

 

少しぼやけてますが、「立山連峰」がそびえています。

圧巻の絶景ですね~

これは素晴らしい!

 

 

今でも心に残る素晴らしい景色でした。

 

 

 

 

 

 

 

佐伯有頼少年像

 

676年頃から759年頃、「飛鳥時代」から「奈良時代」にかけての人物。

「立山開山縁起」に登場する人物で、越中国司「佐伯有若」の息子とされます。

霊示を受け、神仏習合の一大霊場である「立山」を開山したといいます。

出家して「慈興」と号したと伝えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

公園内を散策します。                          

 

 

 

 

 

 

大正天皇御製詩碑        昭和天皇御製碑

 

 

「呉羽山展望台」の後ろの小高い丘の上に、

「大正天皇の御製漢詩碑」と、「昭和天皇の御製歌碑」が建っています。

1909年(明治42年)9月29日、皇太子「嘉仁親王殿下」(後の大正天皇)は、

「富山県」に行啓され、10月1日、雨の上がった秋晴れの日、「呉羽山」を訪れ、

「白壁茶屋」より徒歩で「呉羽山頂」に登られました。

それ以後、この山頂を「御野立所」と呼び、「皇儲駐駕處」という石柱が建てられていました。

その後、1951年(昭和26年)、「サンフランシスコ講話会議」において

平和条約調印を受け、祖国復興の心の拠り所とし、併せて「大正天皇」の聖蹟を長く記念、

保存すべく、御製詩「登呉羽山」の中で”眺望此ノ如キハ多ク得難シ”とお詠みになられた

「皇儲駐駕處」に、御製詩「登呉羽山」の詩碑が建立されました。

「昭和天皇」の御製碑は、1958年(昭和33年)7月、

「第13回国民体育大会」が富山県で開催されたことを記念して建立されました。

刻まれた御製は、「昭和天皇」が皇太子の時の1924年(大正13年)11月3日、

「摂政宮」として「陸軍大演習統監」の時、秋天に気高く聳え立つ「立山連峰」の

秀麗な姿を詠んだ「立山の御歌」になります。

”立山の 空にそびゆる 雄々しさに ならへとぞ思う 御代の姿も”

 

 

 

 

 

「野立広場」

句碑が建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眺望の素晴らしいこの公園には、喫茶店やレストランなどもありました。

   

 

喫茶店 呉仁館          小料理屋、喫茶店   万里摩理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)