<富山県>~2016年冬、北陸新幹線初乗車で薬都・富山へ(1日目①・富山市内散策) | 花咲く旅路

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2016年1月末の旅行です。

 

 

 

 

 

 

2015年3月に「北陸新幹線」が開業して1年あまり、

 

関西在住時には何度も訪れていた北陸ですが、この時は東京に住んでいたので、

 

はじめて「北陸新幹線」に乗って北陸に向かうことにしました。

 

北陸3県でも、がっつりと観光したことのない「富山県」が今回の目的地。

 

関西からの方が近いので、わざわざ東京におる時に行く必要もないかと思いつつ、

 

「北陸新幹線」乗りたさに、行って参りました。

 

2泊3日の旅程です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当日は最寄りの東急「武蔵新田駅」を始発の5時25分で出発。

東京、雪予報の日でしたが、雨が降っていました。

 

 

 

 

 

「東京駅」から、6時16分発の   かがやき    で一路、富山へ。

 

 

かっちょええ~ですね。

「長野」まで乗ったことはありますが、その先はまだ通ったことがありません。

 

 

 

 

車内の様子。

 

 

 

 

 

旅の朝はやはり、   ビール   ニコニコ

 

 

 

朝一の電車で、車内は結構がらがらでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「軽井沢」あたりから雪景色、「長野」も積もっていました。

 

 

「長野駅」でお客さんがかなり下車して、車内はさらにがらがらに。

 

「長野」から先は初めて。

車窓の景色を楽しみました♪

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京」を出て、2時間ちょい、「富山」が近づいてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

富山駅    に、8時30分前に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関西在住時には、仕事で何回も訪れたことのある「富山」。

新幹線が開業して、駅もすごいきれいになっていますね~

 

 

 

 

 

 

「富山駅」外観。               向こうには「立山連峰」が望めます。

 

 

 

 

 

 

「富山」は”薬都”と呼ばれます。

”富山の薬売り”、有名ですよね~

300年以上の歴史を持つ、「越中富山の薬売り」。

「富山」が薬で有名になったのは、「江戸城腹痛事件」がきっかけ。

富山藩2代藩主「前田正甫」が「江戸城」に参勤した折、腹痛になった大名に、

「反魂丹」を服用させたところ、驚異的に回復したとされ、

この事件がきっかけとなり、大名たちは自国での販売を求めました。

当時の「富山藩」は度重なる河川の氾濫で水害が続発し、

その対策で財政が逼迫していたこともあり、「正甫」「殖産興業」の政策を採択。

当時では異例だった「領外勝手」の触れを出し、全国各地へ出向き、

薬の行商販売を行うことにしました。
その後、歴代の富山藩主は「反魂丹役所」の設置や薬草鑑定、栽培研究、

売薬商人育成に向けた教育の充実などに取り組み、

”富山のくすり”の保護と育成に邁進、今日の富山県薬業の礎を築くことになったのです。
この配置販売業が今日まで営々と受け継がれてきたのは、薬の効き目はもとより、

「先用後利」という独自の販売システムのお陰です。
医療が普及していない当時、いつ必要になるか分からない薬を数種類も常備しておくことは

困難でしたが、先に薬を預け、次回訪問時に使用した分の代金だけを支払うという商法で

あったため利便性が高く、地域の人々に広く受け入れられたのです。
そして毎年、定期的に、継続的に訪問することでお互いの信頼関係も深まり、

「親戚同然」の付き合いをすることも珍しくはなかったのです。
また、お得意先が使用する薬などのデータを書き記した

顧客台帳「懸場帳」の存在も欠かせません。
使う薬の種類や量を基に、そのお得意先に適した薬の配置が叶うとともに、使用歴に応じて

健康アドバイスも行えるなど、まさにマーケティングの原型がそこにはありました。
現在も売薬さんは県内で多くの方が従事しており、全国各地を訪問しています。

平成23年の人口当たりの医薬品生産額、製造所数及び従業者数は全国で1位であり、

薬都「富山」の歴史は続いているのです。

 

 

駅前には   薬売りの像   が建っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山には、路面電車が走っています。

富山地方鉄道富山軌道線

 

 

 

 

 

 

 

 

1930年に前身である「富山電気鉄道」が創立、1943年に民鉄5社が合併し、

現在の「富山地方鉄道」になりました。

富山県東部を中心に鉄道を運営する民営鉄道会社で、路線は富山市街地から宇奈月温泉、

黒部峡谷や立山アルペンルートなどの観光地を結ぶ鉄道線と、

富山市の中心部を運行している軌道線があります。

規模は鉄道線が93.2km、軌道線が7.6㎞と、総延長は100㎞を超えます。

 

「軌道線」は、市の中心部~富山駅~岩瀬浜を結ぶ市内電車です。

地元では”市電”の呼び名で親しまれています。

車両のデザインは新旧様々で、スタイリッシュなデザインの低床車両や、

木をふんだんに使ったインテリアのレトロ車両も走っています。

市民の通勤通学、買い物、まちなか観光の足としても便利に利用されています。

 

「鉄道線」では、昔、「富山」から「宇奈月温泉」まで乗車し、

「黒部峡谷」のトロッコ列車に乗った思い出があります。

秘湯の「名剣温泉」にも行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山駅前の風景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、出張で来たときに、            ありました、「北の門」。

よく寄っていた居酒屋さんを見に行きました。  懐かしやぁ~ニコニコ 

 

 

 

 

 

 

富山といえば「鱒寿司」、

お土産によく買って帰ってました。

こちらは老舗の「青山総本舗」。

自分はよく「ますのすし源」のを        富山のマンホール。

買ってましたが。               薬用効果をもつ「アザミ」柄。               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅から、市電の走る、   すずかけ通り   を往きます。

 

 

 

 

市電の駅がありました。            県庁前公園

 

 

 

 

 

 

富山県庁

 

駅から10分位歩いて、官庁街です。

 

 

 

 

 

 

 

やはり北陸も雪国。

車道にはありませんでしたが、

道路脇に除雪された雪。            松川    に架かる  安住橋

 

 

 

 

 

 

松川              川沿いには遊歩道。

 

 

「松川」は、「神通川」の旧河道で、「富山城跡」、「富山県庁」などのある、

市街地の中心を流れています。
大小のビルが林立する谷間を流れる「松川」両岸には、

ソメイヨシノなど470本あまりの桜並木が続き、遊歩道が整備されています。
「桜橋」から上流の7つの橋を中心に彫刻が置かれ、

「松川べり彫刻公園」として整備されています。

遊覧船も運航しています。

 

 

 

遊歩道には、彫刻や万葉歌碑が建ちます。

 

 

遊歩道は後で散策するとして、まずは「富山城趾公園」へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「松川」の  七十二峰橋  を渡ると、 内堀に架かる、   景雲橋

 

 

 

 

 

 

 

 

富山城趾公園    の、   日本庭園   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                高見之通之像

 

 

「日本庭園」

かつて「富山城」の「本丸」に存在した「庭園」をモチーフに、

訪れる1年前の、2015年に整備された池泉周遊式の和風庭園です。

滝の流れる池泉を中心に園路を巡らせ、江戸時代の庭園文化を今に伝えながら、

新緑、紅葉、雪景色と四季折々に美しい景色を見せています。

 

「高見之通之像」

富山県出身の政治家です。

東京帝国大学英法科を卒業し、その後弁護士になりました。

東岩瀬町長、富山県売薬同業組合長を務め、

1917年の第13回衆議院議員総選挙で初当選しました。

立憲政友会総務、政友本党党務委員長を歴任し、

戦後は自由民主党富山県連最高顧問に就き1962年亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)