<東京都>~2016年東京で迎えるお正月・3日目(矢切の渡し・帝釈天)④ | 花咲く旅路

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「寅さん記念館」、「山田洋次ミュージアム」を見て、

 

せっかくのなので、「矢切の渡し」に乗ることにしました!

 

お正月なのでいっぱいなのかと思いましたが、そんなに人並んでなかったんですよね。

 

 

 

 

 

 

江戸川     の堤防にあがりました。

 

 

 

 

 

                       道標や供養塔が建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢切の渡し      の乗り場です。

 

 

 

 

 

小説「野菊の墓」や、歌謡曲「矢切の渡し」で有名な、唯一現存する「江戸川」の農民渡船で、

「千葉県松戸市矢切」と「葛飾区柴又」を結んでいます。

「徳川幕府」は江戸防衛のため川に橋を架けませんでした。

街道に続く渡し舟は厳しく管理されていましたが、

一方で対岸に農地を持つ農民のための渡船は許されていました。

旅人の中には事情により街道の経由がはばかられ、

農民に扮装して川を渡る者もあったといいます。

現在は片道200円で乗船することができます。

特段、松戸市に渡る理由はありませんが、せっかくなので往復で乗船することにしました。

 

細川たかしが歌ってましたね~

関西人のわたしが、まさか「矢切の渡し」に乗る日が来るとは!

これが有名な「矢切の渡し」かと思うとテンションがあがりますニコニコ

 

 

 

 

 

そんなに待つこともなく乗船。

乗り場を川から眺めます。           天気よくて気持ちいいですね~♪

 

 

 

 

 

モーターはついていますが、船頭さんの手漕ぎです。

 

 

 

 

 

「北総鉄道」の橋が望めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

10分ほどの乗船で対岸へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対岸の「松戸市」に渡りましたが、こちらには目的地もありませんので、

すぐに引き返します。

ほとんどのお客さんがわたしと同じ行動でした。

 

 

 

再び「江戸川」を渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堤防を越えて、「帝釈天」に向かいます。

このあたり、見どころがいっぱいですね~

 

 

 

 

 

 

 

 

「江戸川」の堤防から、

「帝釈天」参道の賑わいを望む。        屋台いっぱい、人もいっぱい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柴又帝釈天(題経寺)

「柴又帝釈天」の正式名称は、「経栄山題経寺」という日蓮宗のお寺です。

「題経寺」は、1629年、開基の「日栄上人」が「柴又」に寄った際に、

立派な枝を持つ松と、その下に霊泉が湧いているのを見つけ、

庵を設けたのが始まりといわれています。
「日栄上人」が心を奪われた松は、参拝者を出迎えるように広がる「瑞龍の松」です。

「題経寺」の本尊は、「帝釈天の板本尊」。

片面に南無妙法蓮華経のお題目、両脇には法華経薬王品の経文が彫られ、

もう片面には右手に剣を持った帝釈天の姿が彫刻されています。
宗祖「日蓮」が自ら刻んだという伝承のある「帝釈天の板本尊」でしたが、

長年所在不明になっていました。

それが、中興の祖と云われる9世「日敬」の時代に、本堂の修理を行ったところ、

棟木の上から発見されたそうです。

見つかったのが1779年の春、「庚申の日」だったことから、「庚申」が縁日となりました。

「庚申日」になると、「帝釈天の板本尊」が開帳され、

誰でも帝釈堂に入って本尊前で参拝できます。

1783年、「日敬」は自ら「板本尊」を背負って江戸の町を歩き、

「天明の大飢饉」に苦しむ人々に拝ませたところ、不思議な効験があったため、

「柴又帝釈天」への信仰が広まっていったそうです。

「柴又帝釈天」が著名になり、門前町が形成されるのもこの時代からと思われ、

近隣に数軒ある川魚料理の老舗もおおむねこの頃(18世紀末)の創業を伝えています。

 

正月三が日とあって、すごい人出でした。

 

 

 

二天門

 

「二天門」

1896年(明治29年)に江戸期最後の名匠と名高い、

「坂田留吉」によって造りあげられました。

「帝釈天」の配下の四天王のうち、右側に南方守護の「増長天」、

左側に西方守護の「広目天」が安置されています。

「日光東照宮」の「陽明門」を模したといわれ、施された木彫りが実に見事です。

 

 

 

 

帝釈堂

 

 

 

 

「帝釈堂」

「日蓮聖人」が刻んだと云われる「板本尊」を祀ります。

仏教における天のひとつ「忉利天」にあると考えられる「帝釈天」の居城を、

現世で拝礼できる場所です。

お堂の正面に飾られた荘厳な額縁には、喜びが現れる城という意味をもつ、

「喜見城」と書いてあります。
「二天門」と同様に「坂田留吉」が仕上げた総欅造りの建物で、

周囲には法華経説話に関する彫刻が施されているのが見どころです。

内殿は1915年(大正4年)、拝殿は1929年(昭和4年)の完成です。

 

 

 

 

祖師堂

 

 

「祖師堂」

「帝釈堂」の向かって右に建ちます。

「帝釈堂」と同様、入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建ちます。

日蓮宗寺院としての本来の「本堂」で、本尊は「大曼荼羅」になります。

 

 

 

大鐘楼              大客殿

 

 

 

 

 

 

 

 

「大鐘楼」

1955年(昭和30年)、「林亥助」によって完成された総欅製で、

寅さんの映画では効果音でお馴染みです。
 

「大客殿」

1929年(昭和4年)に完成した大規模な木造建築です。

「帝釈天」を訪れる信徒の接待所として設計されたものです。

材木はすべて良質な檜で作られており、これほど大きな木造建築物は、

現代では再現できないといわれるほど貴重な建物です。
広さ150坪を誇る敷地内には、歴史的な建築や彫刻ギャラリー、

庭園「邃渓園」など、多くの見どころがあります。

 

もう少し落ち着いた時期に来て、ゆったり庭園や「彫刻ギャラリー」を見てみたいですね~

 

 

 

 

 

瑞龍の松            南大門

 

 

「瑞龍の松」

「帝釈堂」の前に枝を広げる樹齢400年~500年の見事な松です。

 

 

 

 

 

 

浄行菩薩

 

 

 

 

 

人生劇場 青春立志の碑

 

大正から昭和にかけて活躍した小説家「尾崎士郎」の文学碑です。

新聞連載小説「人生劇場」がヒットし有名になりました。

 

 

 

 

 

 

        賽銭がいっぱいニコニコ

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帝釈天」の参道。

すごい賑わいです。

 

 

 

 

 

趣のある店舗が立ち並びます。

これが寅さんの世界なんですね~

 

 

川千家             金子家

 

 

「川千家」

1778年の創業。

「柴又」でうなぎ、こい、川魚といえば「川千家」といわれる老舗です。

 

「金子家」

創業は大正年間の手焼きせんべいのお店。

 

 

 

 

 

 

亀家本舗

 

 

「亀家本舗」

1901年(明治34年)創業のお団子屋さん。

1971年(昭和46年)に現在の建物になりましたが、

建て直す前の店構えは「男はつらいよ」の「とらや」のモデルとなりました。

 

 

 

 

 

 

門前とらや

 

1887年(明治20年)に「柴又屋」として創業した草だんごで有名なお店。

1969年(昭和44年)に第1作目の「男はつらいよ」の映画に使用され、

第4作目まで「寅さん」の実家として撮影が行われました。

1989年(平成元年)に現在の建物に建て替えられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)