<東京都>~駒込から谷中へ・年の瀬寺社仏閣巡り⑥ | 花咲く旅路

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2015年大晦日の東京散策も終盤差し掛かりました。

 

 

 

ひきつづき、昭和の趣のある町並み「谷中」の散策です。

 

 

 

 

 

谷中銀座

 

1950年代(昭和20年代)から続く、

全長170mほどの短い通りに立ち並ぶ、昔ながらの商店街です。

約60軒の店舗と飲食店が並んでいます。

 

 

 

 

大晦日の賑わいを感じます。

 

    

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

こーいう商店街が元気があるのがやはり東京ですよね~

地方都市だとシャッター商店街になって、郊外の大型モールに客奪われるパターンですもんね~

 

 

 

 

 

 

 

夕やけだんだん   からの「谷中銀座」の風景。

 

 

 

 

「谷中銀座」から「日暮里駅」に向かう坂(階段)です。

1990年に石段が改装された際の愛称募集時に、タウン誌「谷根千」編集者が命名しました。

階段の傾斜は15度で緩やかで、高低差は4m、段数は36段。

幅は4.4m、長さは15m。

 

 

 

 

「ベーゴマ」をやっていました。

興じてたのは外人さんばっかりでしたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「谷中」に別れを告げ、「谷中銀座」から「日暮里駅」方面への

御殿坂    を下がります。

 

 

西日暮里3丁目と台東区谷中7丁目の境を「七面坂」上から「日暮里駅」方面へ下る坂。

江戸時代から用いられていた呼称です。

当時の絵図などから、「天王寺」(現谷中墓地)の下を通り、

「芋坂」下に続いていたことがうかがえます。

1838年刊の「妙めお奇談」は、1624年~1644年の「寛永年間」の頃、

「白山御殿」(将軍綱吉の御殿)や「小菅御殿」(将軍御膳所)と同様の御殿が

このあたりにあったことにより付いたと云われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「御殿坂」の途上にもお寺が建ちます。

 

 

経王寺

 

 

1655年創建の日蓮宗の寺院で、

境内の「大黒堂」には「日蓮上人」作という「大黒天」が祀られています。
1868年の「上野戦争」に敗れた「彰義隊士」がここへ隠れたため、

新政府の攻撃を受けました。

1836年建立の「山門」には銃撃を受けた弾痕が今も残り、 

当時の激しさを今に伝えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本行寺

 

 

「太田道灌」の孫の「太田資高」が1526年に江戸城内平河口に建立し、

江戸時代に「神田」、「谷中」を経て、1709年に現在地に移転しました。
景勝の地であったことから「月見寺」とも呼ばれており、

花見寺(青雲寺)、雪見寺(浄光寺)などの寺院もあり、

風流を好む江戸の文人墨客が集まったことで知られます。
20世「日桓」が「小林一茶」と親交があり、

「一茶」は、”青い田の 露をさかなや ひとり酒”などの句を詠んでいます。

境内には、「一茶」の句碑、”のほか、

「種田山頭火」の”ほっと月がある 東京に来てゐる”の句碑があります。
墓地には、外国奉行・軍艦奉行・若年寄などの要職を歴任した、

江戸末期の幕臣「永井尚志」や、儒学者「市河寛斎」と書家「市河米庵」親子の

お墓があります。

 

 

 

       道灌丘碑        種田山頭火句碑

    

 

 

 

小林一茶句碑

 

「道灌丘碑」

戦国時代に「太田道灌」が「斥候台」を築いたと伝える「道灌物見塚」がありましたが、

現在は1750年建碑の「道灌丘碑」のみが残ります。

 

「種田山頭火句碑」

”ほっと月がある 東京に来てゐる”

 

「小林一茶句碑」

”陽炎や 道灌どのの 物見塚”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日暮里駅      に着きました。

  

 

 

 

 

「日暮里駅」はJRの「京浜東北線」、「山手線」、「常磐線」、「京成電車」、

「日暮里舎人ライナー」が乗り入れています。

「常磐線」で帰ってくるときに、

ここで「京浜東北線」に乗り換えて「蒲田」まで行ってましたね~

 

 

 

 

下御隠殿橋

 

「日暮里駅」北改札口を出た所、「日暮里駅」の東西を結ぶ跨線橋です。

橋の中ほどには、「トレインミュージアム」と呼ばれるバルコニーが設置。
「トレインミュージアム」からは、線路を走る様々な種類の電車を見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日暮里駅」から「上野駅」へ。

 

 

大晦日の、   アメ横    の賑わいを感じてみたかったのですニコニコ

 

 

「上野駅」と「御徒町駅」を結ぶ約500mの通りで、

400あまりの専門店が軒を連ねる日本有数の商店街です。

昭和21年、「アメ横」のベースとなる「近藤産業マーケット」が発足。
昭和22年頃、アメを売る店舗が増え、「近藤産業マーケット」を中心とした一帯が、

「アメ屋横丁」と呼ばれました。

昭和25年頃、「朝鮮戦争」勃発に伴い「駐留米軍」が増え、

米軍の将校から流出する品物が売られるようになり、
”アメリカ横丁”という意味で「アメ横」と呼ばれるようになりました。

食料品店をはじめとした日用品を扱うお店、輸入雑貨やアパレルを販売するショップ、

化粧品店など実にさまざまなジャンルの専門店がひしめきます。

年末の大勢の人出は定番の風物詩となり、

テレビやネットのニュースなどで取り上げられますよね~

買い物する気はないのですが、テレビでしか見たことのない賑わいを、

ぜひ、生で味わってみたかったニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大晦日、16時過ぎの「アメ横」は、テレビで見た通り、

たいそうな人出で、活気にあふれてカオスでした。

この中で値切りながら買い物してる人たち、尊敬するわぁ~

もうやわくちゃで、ゆったりショッピングなんかする雰囲気やないからね~

何が安くてお得なんか、見極める余裕もないわあせる

だが、これもひとつの経験。

 

 

 

 

 

 

 

 

「御徒町」まで歩いてこの日の散策は終了。

 

年の瀬の東京の風情を味わえた、いい散策でした♪

 

 

 

 

電車に乗り、「蒲田」まで戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は、「蒲田」の回転寿司屋さんに持ち帰りのお寿司を注文していますので、

 

それを取りに行って、自宅でゆったりと年末特番のテレビを見ながら、

 

お酒飲みまくって年越しといきましょう爆  笑