<神奈川県>~2015年秋の三渓園・本牧・横浜ウォーク⑥(本牧神社) | 花咲く旅路

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「本牧山頂公園」から、     本牧神社     に下ってきました。

 

 

 

旧来、「本牧岬」の先端に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、

鳥居の脚元には波が打ち寄せる、風光明媚な鎮守様でした。

「江戸湾を」往来する廻船からは航海安全の神、地元民からは生業の守護神と崇められ、

800年以上の永きに亘り本牧の地に鎮座して人々の信仰を受け続けていました。

1192年、「源頼朝」が「鎌倉幕府」を開くにあたり、

鬼門守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納したと云います。 

海岸に流れ着いた「大日孁女貴命像」を、1263年に奉斎、

「本郷村」の総鎮守としたといいます。

鎌倉将軍「惟康親王」より社領の寄進を受け、さらに室町中期には、

「関東管領」より社領の寄進を受けました。

「徳川家康」が関東入国後の1591年には社領12石の御朱印状を拝領、

明治維新に際して「本牧神社」と改称しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                本牧水天宮  本牧天神社

 

 

「本牧水天宮」

古くから社殿の右側に鎮座する末社としてその名が見えますが、

創祀の時期や由縁は定かではありません。

「安徳天皇」を奉祀し、子授け、安産、子供の守護神としての御神徳があり、

とりわけ「母子安泰」の鳥居をくぐると安産の霊験が得られます。

海運、漁業とゆかりの深い土地柄から、海上安全の神としても信仰されています。

 

「本牧天神社」

古くから祀られている社で、「菅原道真」を奉祀しています。

 

 

 

 

 

 

 

宇氣の稲荷社

 

 

 

「宇迦之御魂神」を祭る社です。

五穀豊穣の神として古くから崇敬されてきた神です。

この神社では社号に「宇氣」の文字を冠し、「保食(うけもち)=食べ物」を意味しています。

食べ物は人間生活の基本であり、また、富の象徴でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

熊野速玉神社

 

古くは「熊野龍王権現」と見え、末社として祀られていました。

この地区が漁業の盛んな地域であることから、

大漁満足、航海安全の霊験あらたかな大神として迎えられたと考えられます。

社に隣り合わせて「榎木」の樹がそびえ、「榎木」は「縁の木」につながることから、

木の周りを右回りに3度回れば良縁に恵まれ、逆さに3度回ると悪縁を断ち切り、

さらに新たな良縁に恵まれる神徳あらたかな神として崇敬を集めています。

 

 

 

 

 

 

       梛の木          歌碑

    

 

「梛の木」

古来より「梛の木」は海人が信仰し、先の尖った葉や赤い実をお守りにしてたそうです。
また、2つ仲良く並んだ赤い実をつけることから「夫婦円満、相思相愛の木」と言われ、
「固い契り」の象徴とされてるとのことです。

 

 

”一郷の禊の お馬流しかな” 鉄之介

「本牧神社」の「お馬流し」神事は、1566年から400年以上も受け継がれており、

神奈川県無形民俗文化財、神奈川県民俗芸能五十選に指定されています。

「お馬さま」とは、茅で作った馬首亀体(首から上は馬で胴体は亀のかたち)で、

頭部からの羽や、長い尾を含めると体長約1m。

馬首には白幣、口には稲穂をくわえ、亀体の中央には大豆と小麦をふかして、

黄名粉をまぶしたお供えと、神酒を白素焼き皿に容れて神饌とします。
「お馬さま」は、「旧本牧六ヶ村」(間門、 牛込、原、宮原、箕輪、台)に因み、

計六体が奉製されます。

もともとは六ヶ村それぞれで調えていたものと考えられますが、

いつの頃からか六体全てを「やぶ」の屋号を持つ「羽鳥家」の当主が奉製する習いとなりました。

7月下旬、神社境内の茅場にて神職と氏子が祓いを重ねて育成した茅を刈り取り、

「やぶ」の当主自身が斎戒沐浴し1週間かけて作り上げます。

この「お馬さま」にあらゆる厄災を託して

本牧の沖合い数キロの海上に流し去るのがこの神事の趣旨です。

一旦放流した「お馬さま」が陸地へ還着することを極度に恐れるため、

潮の干満を重視します。

このため祭日は旧暦6月15日大潮の日に決まっていましたが、

明治に太陽暦が採用されてからは8月第一か第二日曜日の何れかが充てられ、

毎年一定していません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本牧神社」の前にある、     新本牧公園

 

 

 

 

 

 

 

閑静な町並み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふたたび、「本牧山頂公園」へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

大きな木の根元で子どもたちが遊んでいました。

 

 

 

 

 

 

緑が溢れていて癒される公園ですな。

 

 

 

 

 

 

 

里山の遊び場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ坂

 

 

 

 

 

「本牧中学校」の正門前から「本牧山頂公園」の西側へ至る、全長約240mの坂道。

坂の名は、かつて本牧一帯が米軍による接収地であったことを伝えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひととおり公園をめぐり、市街地を通って、JR根岸線「山手駅」へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑静な住宅地には、ほかにも公園がありました。

展望のいい公園です。

 

池袋公園            池袋第2公園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街を往きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細かい道を往きます。

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

JR根岸線沿い。

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山手駅    に到着しました。

時間は15時です。

 

 

 

 

 

駅前には、     横浜山手夢絵巻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の夜の宴は東京の「久我山」だったのですが、まだ時間があるので、

 

「山手駅」から「関内駅」に出て、横浜をぶらぶらすることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)