<奈良県>~生駒縦走コースを往く⑥(十三峠~高安山) | 花咲く旅路

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「鐘の鳴る展望台」を後に、先に進みます。

 

 

 

 

 

草の生い茂る道から、         「信貴生駒スカイライン」の横を往く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十三塚石標      が建ちます。

 

 

 

 

 

十三塚     の説明板。          十三峠の石仏

 

 

 

 

 

「十三峠」から、「信貴生駒スカイライン」越えの眼下の景色。

 

 

「大和国」と「河内国」の国境、「奈良県生駒郡平群町」と「大阪府八尾市神立」に

またがって所在する「十三塚」。

「河内」より大和竜田「法隆寺」へ抜ける「十三街道」の道筋にある峠が「十三峠」です。

「十三峠」の北側上に「王塚」と称される直径6mの塚を中央に、

その両側に6個の小さな塚が並んでいて、合計13個の塚が良好に残っています。

すでに江戸中期に広く知られた代表的な「十三塚」で、

庶民信仰の様相を示すものとして重要なものです。

塚列は計画的に築かれており、標高438mの最高所に親塚を築き、

南北90mの範囲に6基ずつの小塚を配しています。

「十三塚」は神をまつる壇であるとも、また古墳であるともいわれています。

「十三塚」は、全国に330ヵ所程あったといわれますが、

現存しているのは17ヵ所余りで、

中でもこの「十三塚」は大変良く残っている貴重なものです。

 

「十三峠」は商業路として栄えました。

「伊勢物語」に「在原業平」とおぼしき男が、「高安」の女に通う話があり、

今も”業平道”と呼ばれています。

 

「十三峠の石仏」は峠を通る旅人の安全を祈って1765年に村人によって建てられました。

1689年建造の街道の道標や「松尾寺」への道しるべも並んでいます。

 

 

 

 

 

 

お地蔵さんに別れを告げて、またこんな道に。

 

 

 

 

 

 

              ハス池

 

 

 

 

 

 

近畿自然歩道     の標識。

 

 

 

 

 

 

めっちゃ道がぬかるんでいます。

結構、「生駒山上」からぬかるんでる場所多くて、歩きにくいことこの上ない。

 

 

 

 

 

 

「十三峠」からは悪路でした。  草生えっぱなしで道なき道を往く区間もありました。

 

 

他のハイカーと出会ったのも3人くらいかなぁ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またまた「信貴生駒ライン」と並走。    前方になにやら大きなアンテナらしきものが。

 

 

巨大なアンテナは航空保安施設のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲートがある方へ。

 

 

 

 

 

 

「猪出没注意」が出てました。

たしかにそんな雰囲気。。。    と思ったら、またスカイラインに出て展望台。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルで「信貴生駒スカイライン」をくぐります。

 

 

 

 

この辺もよくぬかるんでる。          ふたたびゲート。

 

 

 

 

 

 

 

もうゴールは近い。       

 

 

 

 

 

 

 

 

一元の宮高安山聖地       宇宙念波研究会

 

 

宗教法人の施設のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

登りになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪管区気象台

高安山気象レーダー観測所    高安城跡

 

 

「高安山気象レーダー観測所」

前身の気象レーダーは、1954年(昭和29年)に、日本初の実用気象レーダーとして、

当時の「大阪管区気象台」(生野区勝山南)内に設置されました。

1968年(昭和43年)に「大阪管区気象台」が中央区へ移転するのに合わせて、

新しいレーダー観測所が高安山頂すぐの場所に建設されました。

現在は無人化されて、大阪管区気象台から遠隔操作されています。

観測は通常1日8回3時間ごとに行われ、

南は四国の室戸岬のはるか洋上、西は広島、北は若狭湾北方海上、東は富士山麓と

観測所から半径約300kmの範囲の気象観測を行っています。

 

「高安城跡」は、「大和」と「河内」の境をなす「生駒山地」の

南端にある標高488mの「高安山」に築かれた古代の山城です。

城域は現奈良県「平群町」、「三郷町」と大阪府「八尾市」にまたがると推定されています。

「白村江の戦」で敗れた後、西日本に造られた城の一つで、

667年に讃岐の「屋島城」、対馬の「金田城」とともに築城されました。

672年の「壬申の乱」の際には、「近江朝廷軍」が守備する「高安城」を

「大海人皇子軍」が攻め、「近江軍」は税倉を焼いて逃げています。

何度か修理され、「持統天皇」が行幸することもありました。

廃城後長く城の所在地は不明でしたが、

1978年、「平群町」の山中で倉庫跡礎石6棟分が発見され、

発掘調査により「高安城」の倉庫跡であることが確認されました。

 

 

 

 

 

 

 

雑木林の中を往きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

開運橋      を渡る。        石仏らしきものが建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

ケーブルの「高安山駅」が見えてきました。   バス停もあり、バスも停まっています。

 

 

 

 

 

 

「高安山」にはかつて電車が走っていたそうです。

信貴山電鉄山上鉄道線 高安山駅ホーム跡

 

 

ケーブルカーに乗り、登りきった山の上に電車が走っている例は、

世界でもスイスでしか見ることができない珍しい光景だと云われます。

そんな珍しい光景を、1930年(昭和5年)から1944年(昭和19年)まで、

八尾で見ることができました。

近鉄大阪線「信貴山口駅」からケーブルカーで「高安山」へ登り、

「信貴山門」まで、現在は路線バスが運行していますが、

このバスの運行経路に電車が開通していたのです。

線路は2線、車両は3両在籍、

一気に「高安山」から「信貴山門」までを往復する、窓の大きな山上電車だったといいます。

 

 

 

 

 

近鉄西信貴ケーブル  高安山駅

 

 

「宝山寺」から歩いて4時間ほど、

13時30分過ぎにケーブルカーで下山します。

 

体力的にはまだまだ余裕があったので、歩いて下山するか迷ったのですが、

この後の飲みが、予約していない繁盛店だったので、

少しでも早く言った方がいいかなと、ケーブルカーに下山することにしました。

 

この日は太陽が照っていい天気でしたが、

秋の風が吹き、とても快適なハイキングでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10分弱の乗車で、麓の       信貴山口駅      へ到着。

 

 

 

 

 

ここで「近鉄」に乗り換えです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の夜の宴は、       大和八木     です。

「信貴山口駅」から近鉄を乗り継いでやってきましたニコニコ

この時点で15時。

宴のお店は駅前にあり、16時からなので、1時間ほど時間を潰します。

 

 

橿原市の観光交流プラザ、     かしはらナビプラザ      へ。

 

 

 

 

奈良の妖怪の展覧会がやってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16時になると、口開けの客でお店に吸い込まれていきましたよ爆  笑

 

 

 

期待通り最高の居酒屋で、散策の疲れを癒し、したたかに酔い、

 

21時に贅沢にも近鉄特急に乗って家に帰りました~