「名護屋城址」を見学した後は、「呼子」に向かいます。
もちろん、、お目当ては、 イカ です
「呼子のイカはうまいぞ~」とSさんもおっしゃってます。
「名護屋城跡」から10分くらいで、 呼子 に到着です。
九州の北西部、「東松浦半島」の突端に位置する佐賀県唐津市の「呼子町」。
目の前に横たわる「加部島」が「玄界灘」の荒波から港を守る「呼子」の地は、
昔から天然の良港として栄えてきました。
そんな小さな港町は、全国に知られる“イカの町”でもあります。
透明度抜群の「イカの活き造り」を目当てに、年間で90万人以上もが訪れるそうです。
「呼子」の名は全国に響きますが、 「名護屋城跡」からもよく望めた、
漁港自体はそんなに大きくもない。 「加部島」に架かる、 呼子大橋
「呼子大橋」
「呼子」本土と「加部島」をつなぐ全長728mの橋。
ハープを2つ並べたような優美なフォルムから、 ハープ橋 とも呼ばれます。
車道に沿って歩道が整備され、歩いて渡ることができます。
遊覧船が出航する、 マリンパル呼子 貨物フェリー「どんがめ」が停泊。
イカ丸 ジーラ
「呼子」の豊かな海に触れられるクルージングも、人気の観光メニュー。
「イカ丸」は、その名のとおりイカをモチーフにした船で、
国の天然記念物にも指定されている、「七ツ釜」探検を楽しめるのが特徴です。
「七ツ釜」とは、奇岩景勝の地として古来から知られている海蝕洞窟で、
自然が生み出した芸術品、「イカ丸」だと、洞窟の中まで入って間近で見られます。
鯨をモチーフにした船体が特徴的な「ジーラ」は、半潜水型海中展望船。
船内の左右の大きな窓から海面下1,2mの海中で泳ぐ魚たちの姿を鑑賞できます。
呼子らしい風景♪
イカ、乾燥させるために回すやつ まわってます、まわってます
こん中に、イカ、入っとります。
呼子台場みなとプラザ 呼子台場の湯
「呼子」の新鮮な食材を提供する、漁協直営の「呼子台場みなとプラザ」。
直売所では、新鮮なイカやウニ、サザエ、アワビ、アジ、タイなどの魚介類をはじめ、
精肉、青果、特産物など多数取り揃えています。
「呼子台場の湯」は、「呼子大橋」や「呼子湾」を一望できるお風呂です。
波の音、磯の香りが豊かな、ここでしか味わえない空間が味わえます。
新鮮な魚がたくさん売られていました。 これから食べるイカも泳いでまっせ
この日のお昼は、もちろん「呼子のイカ」。
中でも有名店の 河太郎 に行きたくて、お店をのぞきました。
11時頃にお店に着きましたが、大混雑、待ち多数
すげぇなぁ、「河太郎」。
地元のSさんは「河太郎やなくても、このへん、どこで食べても美味しいよ」と言ってくれたのですが、
せっかく来た佐賀、そんなに何回も来る機会のないであろう佐賀で、
やはり納得のいくお店で食べたいと駄々をこね、結構な待ち時間を付き合わせてしまいました。
Sさん、ごめんなさい。
待ってる間、ほんまにもうやることが無くなって、最後のへん、お互い無口になってた
結局入店できたのは1時間30分後の、12時30分過ぎでした。
念願の「河太郎」で「イカの生き造り」を堪能した後は、腹ごなしに港町「呼子」の町なか散策です♪
いいですね~港町の風情。
”白鶴まる”って感じです 烏帽子島灯台吏員退息所の日時計
「烏帽子島灯台吏員退息所の日時計」
この日時計は、「烏帽子島灯台」を見渡せる丘の上に置かれた、
「灯台吏員退息所」と呼ばれる施設の中庭に設置されていたものです。
作曲家の「木下忠司」は、第2次世界大戦中、船舶兵として呼子に駐在していた時、
「烏帽子島灯台」をはじめとする「玄界灘」の灯台をみた感動をもとに、兄「木下恵介」監督の映画、
「喜びも悲しみも幾年月」の歌を作りました。
現在は「呼子台場みなとプラザ」に敷地に置かれていました。
愛宕神社 朝市の案内板と「呼子イカ検定の石碑」。
朝市通り
元旦を除いて、朝の7時30分から昼の12時まで、毎日開催されているのが、
”日本三大朝市”に数えられる「呼子の朝市」です。
その歴史は捕鯨で栄えた江戸時代までさかのぼり、鯨肉や水揚げされる鮮魚と、
農家が作る農産物との物々交換が始まりとされています。
200mほどの「朝市通」りが歩行者天国になって、
平日で約40店、休日で約60店ほどの露店が並びます。
近海でとれた海産物や、野菜や果物の農産物などさまざまですが、
中でも特に多いのは、イカの一夜干しやアジの干物などを取り扱うお店。
呼子の朝市で元気いっぱいのおばちゃんたちが活躍していますが、
そのほとんどが70歳~80歳代だとか。
ゆるキャラもいてます。
サキちゃん ケンちゃん
「呼子」で昼食時間も含め3時間ほど滞在し、この日の最終目的地、 唐津 へ。
まずは 舞鶴橋 を渡って、
「唐津」の市街に入ると、お城が見えてきました。 有名な松原へ。
虹の松原
「唐津湾」沿いに、虹の弧のように連なる松原。
17世紀初め、「唐津藩」初代藩主「寺沢志摩守広高」が、防風、防潮林として植林したのが始まりで、
全長約4.5km、幅約500mにわたって続くクロマツは、約100万本と言われています。
静岡清水の「三保の松原」、福井敦賀の「気比の松原」とともに、
”日本三大松原”のひとつに数えられています。
”日本三大松原”の中でも214haと、最大の面積を誇っています。
「虹の松原」には昔から語り継がれた数々の不思議があります。
①豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中この松原を通り、
あまりセミが鳴くので「騒々しい」と叱った時以来、セミの声が絶えたと言います。
②豊臣秀吉が松原を通っている時、松が高く邪魔で眺望がきかなかったので、
「低くなれ」とグッと一睨みして以来、高くならない「睨み松」があります。
③豊臣秀吉の軍隊の槍を立てかけた「槍掛松」があります。
④100万本の松はクロマツばかりです。
⑤松原の中に海岸近くであるが塩分を含まぬ真水を湧出する井戸があります。
⑥高島の東端と神集島の西端を結ぶ延長線が松原の中心です。
⑦浜崎にある諏訪神社にまつられている諏訪姫の願により松原には蛇はいません。
⑧松原の南側、松浦川河口付近の千人塚砂丘に「根上りの松」があります。
海岸に出ました。
「唐津城」が見えます。
後で行きます「唐津城」。
「虹の松原」では、こんなお店もありました
(つづく~)