昨日の残忍な、飴玉お汁事件から一夜明けて皮肉にも雨が降るなんて、悪い冗談にもほどがある。
昔観たタイトルを忘れた映画をずっとマイケル・マンの作品だと思ってたのに、検索したらピンと来るタイトルが在らず、もしかしてマイケル・マンの作品じゃなかったのだろうか、とすると、もうその作品に関する情報が何一つないので、二度と目にすることが出来ないのだろうかと、それと同時に過去の、その映画を見たという数時間さえ消えてしまいそうな、曖昧な記憶の断片でさえも思い出すことが無くなって行くのだろうなぁ。
そこには何も情報がなく、欠けた記憶はやはり日々薄く広がって、やがてはそこには元々何もなかったさら地のように、ただただ「そこには何かがあった」という空気や残像にしかならないわけで。
気づけば、そこには目新しいコンビニや駐車場がかさぶたのように出来るのです。
そんなかさぶたは無理やりにでも剥いでしまいたいのだけれども。
と、まぁ着地なんて全く考えてなかったのだから、散漫な言葉の羅列、お散歩のつもりがすっかり迷子になってしまいましたけど。
犬のお巡りさんがいたらいいのにね。
雨の日のコンクリートはきらきらキレイです。