RYO-BLOG
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冬の夜の寒さが緩やかに解けてきた。
こうして、少しずつ、あの桜さく春に近づいて行くのだと思うと、少し息がつまる。
とくん、とくんと命を持続させる臓物らへんに鈍痛が走る。
冬の冷気で痛覚が麻痺したままならば、どんなに楽だろうか。
無痛ならば、どんなに楽だろうか。


春、というと、どうしても、三島由紀夫の「春の雪」を思い出す。
思い出す、というのは的確ではないのだけれど、とにかく思い出す。
実家の本棚、亡き祖父の残した書物の中に「春の雪」があったからだ。
だから、僕にとっては、少し大切な物語であり、いつか読まなくてはと思っていた物語。
輪廻転生の、物語。



その「春の雪 豊饒の海」の314Pの文章を引用して、とりあえず今日の、久しぶりの更新を終えます。

”そしてこの終末について、二人が子供のように無責任な気持ちでおり、なす術もなく、何らの備え、何らの解決、何らの対策も持たないそのことが、純粋さの保障のような気がしていた。しかし、それにしても、口に出してしまえば、終末の観念は二人の心にたちまち錆びついて離れなかった。

終わりを考えずにはじめたのか、終わりを考えればこそはじめたのか、そこのところが清顕にはわからなくなっていた。”

勉強しようと思ったら、なぜかブログさんの存在をふと思い出して、勉強そっちのけでツラツラ文字を、言葉を紡ぎ始めてしまいました、手編みのマフラーのごとく。

停滞しすぎて、もはや続けているとも言えないのだけれど、知り合いが少ないここでは思い切り思いのたけを吐き出すことが出来る場所なのだ、とは言えどもされども、何気にしれっと知り合いも見ているという事実、イメージを確実に壊しつつ前に前に未来に進んで行こうではないか。

先日、一年で、一生で、一番辛い日を乗り越えました。
乗り越えた、というにはいささか落ちすぎていた気がしなくもないのだけれど、体は元気に生きているので、ここはひとつ乗り越えた、と盛大に言ってもよかろうかな。
早いもので色々、色々あった、ある日から数年が経ち、難越えては難が降りかかり、浮かぶことなく沈む一方で、救いの手があったかと思いきや、それはより底に引かれる迷子の手、一体いつになったら幸福の絶頂を迎えられるのか、と期待なんぞせずに待てども来ず、どこに行ける訳でもなく、どうにもならない現状に半ば諦めが肝心なのだよなぁと嘆いております。

「今世は諦めて来世に掛けよう、夢の架け橋」を目下テーマに掲げて、11月を向かえ、12月を目指し、じきに来る誕生日をどうにか否定したい意気込みです。

今年最後に迎える誕生日で22歳、ふぉーえばー。てへっ。


と、そんなこんなで、僕は生きています。
君がいないこの世界でまだ生きています。
久々の久々ながらの更新で、もう存在を全く忘れておりました、一寸残らず忘れておりました、完璧に完膚なきまでに忘れていました、ごめんなさい。

10月はね、かれこれおおよそ5年、かれこれ5年、もう5年経つのだね、5年前から10月は嫌いな月なのです。
得ては失い、それこそ完膚なきまでに打ちのめされた24歳の、あの頃の僕。
あのひ弱で非力で、威勢だけが良く、結局何も出来ずに、ただひたすらにすり減らし消失させ、ただただ悲しい記憶だけが残り、ただただ悲しい追憶だけを繰り返し、悲しい事柄しか残されなかった、たった3ヶ月の出来事の成れの果て。

というわけで10月は嫌いな月なのです。
というわけで10月は卑猥な月なのです。
というわけで10月は怖い月なのです。
というわけで10月は暗い月なのです。
というわけで10月はcry月なのです。



更新でもないけれど、これでまた少し放置することが出来ましょうぞ。
あでぅー。

ゆらゆら帝国「ドア」