314 | RYO-BLOG
冬の夜の寒さが緩やかに解けてきた。
こうして、少しずつ、あの桜さく春に近づいて行くのだと思うと、少し息がつまる。
とくん、とくんと命を持続させる臓物らへんに鈍痛が走る。
冬の冷気で痛覚が麻痺したままならば、どんなに楽だろうか。
無痛ならば、どんなに楽だろうか。


春、というと、どうしても、三島由紀夫の「春の雪」を思い出す。
思い出す、というのは的確ではないのだけれど、とにかく思い出す。
実家の本棚、亡き祖父の残した書物の中に「春の雪」があったからだ。
だから、僕にとっては、少し大切な物語であり、いつか読まなくてはと思っていた物語。
輪廻転生の、物語。



その「春の雪 豊饒の海」の314Pの文章を引用して、とりあえず今日の、久しぶりの更新を終えます。

”そしてこの終末について、二人が子供のように無責任な気持ちでおり、なす術もなく、何らの備え、何らの解決、何らの対策も持たないそのことが、純粋さの保障のような気がしていた。しかし、それにしても、口に出してしまえば、終末の観念は二人の心にたちまち錆びついて離れなかった。

終わりを考えずにはじめたのか、終わりを考えればこそはじめたのか、そこのところが清顕にはわからなくなっていた。”