「保守」「伝統」というのだけれども、
それは、いつを基準にしたものか?
「右」も「左」も自己主張に忙しくて、
そもそも論を「効率化」してしまっている。
「どこでまちがえたのか?」というのは、かなり丁寧にやらないと…
江戸時代、女性はもっと地位が高かったという話が、けっこう「意外」。
「左」も「右」も歴史を学べ。
「離婚に対するわるいイメージ」…
「よいイメージ」がついていたら、もっと変だけど?
要するに、ポリコレ型で、
根拠もなく決めつけている「世間」という存在がある…
これ結局…クソ大衆が作っている。つまり、ブタども、サルどもが作っている。
「離婚」など、ケース・バイ・ケースで判断すべきことなのに、
それは、ワク・マス問題でも同じなんだが…
これが「被害妄想」と「(反差別)ヒステリー」になっていく…
すると、そこに悪魔が宿り、つけ込んでくるのである。
イルミズムである。
子どものころから「多様性」を教育しようとか…
法律で「離婚の多様性」を幼児から教育しましょうって…
この調子だと、そのうちやらかすよね?
(--)b 「道」と「徳」が必要。
悪魔教とは、「人民征服」のための「宗教」であり…
本来の先住民的なものとは、まるで異なるものである。
悪魔教は征服した民から「信仰心」を奪い、隷属させるニセ「宗教」のこと。
つまり、その本質は「無神論」。
また、「坊主丸儲け」みたいな腐敗した「宗教」も、これである。
信仰心を奪うために「偶像」と「ものがたり(ナラティヴ)」を与えるのだ…
田母神推しの高須の弁が、もろに「平和ボケ(あ)保守」で、
『九条の大罪』で描かれている医師たちをイメージしてしまう。
所詮、「上級市民」なんだよな…こいつ…
カネがあるやつにはわからないさ…
自分たちが「搾取している側」って、わかってないんだもの。
「利益は自分に、コストは他者(下民)に」
上官たちは、二等兵の苦労や不条理とは無縁である。
死ねば手厚く弔ってもらい、恩給も(いまのわたり官僚ぐらい)しっかり。
そりゃ~肯定もしたくなるんだろうね~
自分たちが頂いた「恩寵」は「正当なもの」だと言いたいのだろう?
フィリピン攻略で、「行き場を失った良家の娘たちが慰安婦になった」と、
そのとき上官たちは…
それはそれはよろこんで「お召し上がり」になられておった。
そういう文化が、現に芸能界に連綿と受け継がれているではないか?
『九条の大罪」には、もっとやばい表現があるが使わないでおくよ。
作品が穢れるからな!!
二等兵が死んでも、まさに「犬死に」…
境遇は「従軍慰安婦」と大差ない。
彼女たちは、本国では酷い差別を受ける。
稼いだ金も、そのカネは「軍票」で紙切れに…
だから、おれたちが「わるもの」ってことにならないと、
彼女たちには立つ瀬がない。
そもそもは、そういう話だ。
「芸能界での性加害」程度のことは、なかったわけがない。
それが政治問題になって…
上級市民は「言い逃れ」したくてしかたがない…
「おまえも楽しんだんだろう?」みたいな薄汚い感覚だよ。
(「自虐史観」などという言いぐさが、まさにそれだ)
そして、朝日がいつものことだが「話を盛る」んだよな~
「草の者」って、言うんだよね…
それは、「しのび」を示している場合もあるが…「民」のことだ。
「ご身分」のある方と「民草」とでは、「扱われ方」は「天地の差」だ。
見えている世界は、まるでちがう。
いまの日本を見ればわかるじゃないか。
アベノミクスで潤った人たちと失った人たちがいる…
円安は、日本に有利ではあるものの…政府はそれに対応しない…
円安だろうと円高だろうと、政府は「二等兵」クラスの国民を虐める。
その産業を潰して、「人身御供」としてグローバル企業に差し出す。
守れよ、底辺の国民を!
でも、まあ…都知事選を見ればわかるように…
都民自身が、売国奴どもを「応援」しているのである。
日本の弱体化は、円安のせいではない。
円安によって「可視化」されただけなのであって、
円高にすればいいという話ではない。
アベノミクスは、ある種の「日本経済」を強くした…だが…
庶民を犠牲にした。
恩恵を受けた人たちからは税を取らないで、割を食っている層に課税した。
庶民にすれば、イジメミクス、イビリマックスだったのだよ。
国民を底辺から順に「生贄」にする悪魔の経済…バンパイア・エコノミクス。
人食い資本主義…
政治家に最も「向いていない」「キチガイ」医師が、なにゆえ出たか…
大天罰でしかない不毛な選挙に、唯一与えられた逆転の選択肢…
それさえも掴み取らないのであれば、
「都民が合意した」ことになるので…
今後起こる災いのすべてが「都民の責任」ということで「下る」のである。
【おまけ】最後は「保存版」ということで預言天狗さんの動画…
特殊な音波・音楽で人々の感情や思考が「操れる」らしい…
河童がみえたり、UFOや霊が見えたりする人が増えたのも、そのせい?
自分の「降りてくる」は以前からだが、そのようには認識していなかった。
うちのおやじなどは戦車隊で戦死した「おじき」が帰ってきたのを見たらしいが?
最近は、「ある」人にはふつーに「ある」ことなんだと解釈している。
「正体」はわからない。
わからないから、ただ「信じる」だけである。
とくに、1年ほど前から顕著でね…「広島サミット」前後から?
とても「きもちがいい」んだよ。
五条悟開眼「天上天下唯我独尊」…あんな感じだね…
わたしは、「守護神様」の「式」である。
…なのに…「放し飼い」状態…
「まちがった」ときは、なおしてくれるだろうと「やりたい放題」だよ。
みなさんは、ご自分のペースで一歩一歩やられるのがよいのではないでしょうか?