”虚無”の時代を生きる~ニーチェは虚無主義者だったのか? | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

ニーチェにしろ、日本の西田幾多郎にしろ、書かれたものは難解です。

 

が…西田の場合は録音などが残っており、ふつうに気さくにしゃべったことというのは、とても明快だったのです。

 

 

それが正式な文章となると、なぜむずかしくてわかりにくいものになったのかといえば、

 

当時は軍国主義まっしぐらの世相で、どいつもきつもクルっていたからで、下手なことを言うと酷い目に遭わされたからです。

 

 

軍や政府の検閲などを極力受けないように、表現を工夫して書いていたので、暗号みたいになってしまったらしいのです。

 

 

資本主義は、現代の奴隷制です。

 

チャップリンの『モダンタイムス』で表現されているように、人間は機械の部品として扱われます。

 

そこに”人間の尊厳”はありません。

 

雇う側も、カラッポの人間が欲しいわけで、教育もカラッポの人間作りが求められます。

 

 

人々は、そこに生じた”虚無”を、”代用品”で埋めようとします…

 

しかし、”代用品”はどこまでいっても”代用品”であり、飢餓感が満たされることがありません。

 

 

みんな、”幸せ探し”をし始める…”自分探し”をし始める…

 

 

そうやって適当なものをみつけては、飛びつくのです…

 

そして、資本家や支配層は、そんな心理につけ込んで、モノを売りつけ、政治的支持を訴えてくるのです。

 

 

機械の部品は、そんなときだけ人間として扱われるので、うれしくなってしかたがない。

 

すぐに商品やタレントのファンになってしまう…

 

 

しかし、それこそが”試練”なのです…

 

人間として生きようとどれだけしてきたか…

 

自己に忠実に生きようとどれだけしてきたか…

 

 

そうするには、勇気がいるから。

 

だから、多くは諦めて、”本当の自分”を捨ててしまう。”自分の魂”を捨ててしまう。

 

 

探したってあるわけがない。

 

あなたがとっくに捨ててしまったものだもの…

 

 

西田やニーチェが生きた時代、すなわち現代とそっくりの時代…

 

この人も同じことを言っていますよ…わかりますか?

 

⇒ 堀江貴文氏「なぜみんな本音を言わないの?」それで失うものは、大したものではない

 

 

「上司の言うことは理不尽! でも、そのことを言えないでいる」

「会議でも意見が言いづらい雰囲気……。雰囲気にのまれて、いつも何も言えない」

「下手なことを言うと、上司から嫌われて職を失ってしまう」

「本音を言うと人間関係が悪くなって、職場にいられなくなってしまう」

こんな話を聞くことがある。多かれ少なかれ「言えない本音」を持ちながら仕事をしている人は少なくないようだが、僕はまったく信じられない。むしろ、「なんで? 言っちゃえばいいのに!」と、心底不思議に思う。

 

まあ、伝え方はよく考えなければいけませんが、「言えない」というのは、「いじめられる側」がますますいじめに油をさしてしまうケースとよく似たことです。

 

 

本音を言うと「人間関係が悪くなる」と思っている人もいるかもしれない。しかし、職場になじんでいようが、浮いていようが、仕事の結果には何の関係もない。同僚に陰口を叩かれるというのなら、相手に面と向かって「陰口を言わないでください」ときちんと言えばよいだけの話だ。

それであなたがやるべき仕事にどんな実害が及ぶのだろうか。

 

 

僕にとって、仕事で望ましいのは、「セミドライ」な関係だ。仕事として相手には尽くすけれど、互いに寄りかからない距離がいちばんいい。

 

( ̄0 ̄) あ~、そういうやついるね~。自分もやっちまったことあったかも…

 

「ワンピース」では、「あいつは仲間だから」というだけの理由で、落ち込んでやる気を失った仲間にいつまでも構い続ける。しかし、仕事は、自立した個人が、目的を達成するためにつながって行なうものだ。慣れ合いではなく、目的を達成するために与え合う。そうしたベタベタしない少しドライな関係が僕にとっては気持ちがいい。

 

( °0°)ノ 目的意識がハッキリしている人は、こうだよね~

 

(‐。‐)b  「みんなといっしょ」に「ワイワイ」やってるが楽しいという人たちとは、ちょっと違う…

 

群れに生きる人間と、個人主義で生きる人間の違いとでもいうかね…

 

それから、日本人はとにかく議論を避けて、「意見」を同じにしたがる。僕はこれまでにさまざまな人と対談してきた。なかには、議論がまったくかみ合わなかった人もいる。でも、だからといって、相手を嫌いになることはないし、尊敬の念が減るわけでもない。

しかし、「お互いの価値観が異なっていることがわかる」というのは、とても大事なことだ。

 

( ̄0 ̄) 自分と同じ意見の者を集めようとするのは徒党本能(ギャング本能)だよな…ろくなもんじゃないのよ。

 

(‐。‐) 「運動」も徒党本能に基づいて「みんなといっしょにワイワイ」が楽しいというのは、多分マズイ…

 

そうやって、「自分と同じ考えの者を増やそう」という考えも、その延長線上にある…

 

 

大事なのは、違う意見や認識を交換しながら、一致点を探り、これなら同意できるという合意形成をすることでしょう?

 

そういう”一致点”というのは、「マルかバツか」の両端にはふつう存在しないの。

 

「正しいのはどっち?」で、ずーっとやってると、いつまでも”一致点”がみつからない。

 

 

(°∇°)b ビジネスだって、”一致点”をみつけることの積み重ねで進んでいくんだもんね~

 

「議論は一致しなければ意味がない」

「意見が一致しない」=「相手のことを嫌いなんじゃないか」

という意識は、いい加減やめよう。

「わかり合えないことがわかり合えた」でいいのだ。

 

あ…「”一致点”を見つける」というのは、「議論を一致させる」ことではないからね…

 

確かに意見が異なる人間を、自分たちの輪の中から全力ではじき出そうとする人もいる。

実際、著名人であっても、支持者やファンにそっぽを向かれないよう、自分に貼られたレッテルから外れた意見を言わないように振る舞っている人は多い。

 

こういう「徒党本能」だけで生きているゲス野郎は、かなりいるな…

 

そうやって、自分が仕切りたいとか、中心で注目されたいとか思ってやがんだよ…ヤダね~、こういうヤツ!

 

タレントなんぞは、スポンサーとか事務所がうるさいから”ゴーイングマイウェイ”ってのもむずかしいんだろうが、一般のカンケーないザコに限って過剰に気を使うんだよね~。ほどほどでいいのにね…

 

そのとき考えてほしいのは、そんな人からも好かれたいのか、ということだ。一緒にいて嬉しくもない人にまで好かれようとするから、本当の必要なことが見えなくなるのだ。

 

誰かがあなたについてどう思おうが、それは自分の問題ではなく、相手の問題だ。他人が誰を嫌おうと、何を考えようと、それはあなたの人生にはかかわりのないことだ。

 

それに気づいたら、好かれたくもない人のことなど、「放っておく」こと。「相手が自分をどう思っているのか」なんてことにかかわりあって、自分の人生がなおざりになるなんて、本当にもったいないと思う。

 

 

まったくもったいないと思うよ。