アショーカ王と秦の始皇帝は、ほぼ同時代を生き、かたやインド、かたや中国を統一した英雄です。
ともに暴虐非道、情け容赦のない政治でのし上がりましたが、統一を果たしたのちのふたりは対照的な道をあゆむことになりました。
まず、アショーカ王ですが、父親からはあまり可愛がられなかった…という話です…
(´0ノ`*) そういえば、黒田長政も、官兵衛から可愛がられなかったという説がありますね…
(ノ゚ο゚)ノ それでやたらと武術の練磨にいそしみ、戦場でもイノシシ武者ぶりが目立ったとか…
(=`(∞)´=) アショーカ王も、ちょっと似ているのだそうですよ!
暴虐アショーカとして恐れられ、敵対すれば兄弟とて皆殺し…
言い伝えでは、99人の異母兄弟を殺して即位し、彼を軽んじた大臣500人と宮女500人を自ら処刑…
インド南部のカリンガ平定の際には15万人がその地から移送され、10万人がその地で殺された。
さらに、その幾倍かが、その関連で死んだといいます。
秦も、投降してきた趙兵40万を生き埋めにして殺しましたし、さらに大国の楚を滅ぼし、北の匈奴も征伐しましたから、数の上ではアショーカ王を凌駕しているかもしれません。
さらに始皇帝は万里の長城はつくるわ、壮大な宮殿や墓もつくるわで、土木工事が大好き…
どこぞの国の大臣や総理そっくりですが、連中は、皇帝気取りってことなのでしょうか?
建てた宮殿は270に達し、日本の”ハコモノ”政治の原型がここにあります…
アショーカ王の方は、ある日罪悪感に苛まされるようになり、仏道に帰依しましたが…
始皇帝の方は、自分が天才だとうぬぼれて、さらに暴走していったのでした。
その姿…まさにラスコリニコフではないですか…
…アーベン…