ノーマン・コーンの著作などを読み込んで、突っ込んで議論したいところですが、それも進まず…
ちょいと、はしょって、簡易版での議論で失礼いたします。
「在日陰謀論」や「中国陰謀論」そして伝統的な(?)「ユダヤ陰謀論」…
いずれもお話の構造がワンパターン…一種の”神話”(つくり話)であります。
第一、最初から「悪者」が決まっております。それも最初から「正体不明」であり…
固有名詞として具体的に使われるのではなく、集合名詞としてレッテルとして使われるのです。
だれそれは「在日」だ。だれそれは「ユダヤ」だ…
これは…だれそれは「アカだ。だれそれはサヨクだ…というのと同じです。
差別なんですよね…単なる…
お話の構造が決まっており、「悪者」が決まっており、レッテルを貼ってなんか批判した気になる…
むかしのサヨクの「階級闘争観」もこれでしたね~。悪いのはブルジョアだ…と。
そして、気に入らないやつがいると…「あいつはプチブルだ!」と…
いまは、バカウヨという「サヨク」が、「あいつは”反日”だ、”在日”だ」とやっている…!(´Д`;)
そうやって「敵」を設定して、それに対して「二分間憎悪」の儀式をやっていると高揚してくる…
自分が戦う正義のヒーローか、国士であるかのように錯覚していく…カラオケにも似たり…
サッカーや野球の試合を見て興奮しているのにも似ています…
自分が名監督であるかのように…まあ…一人前の御宣託です…
戦いの演出…戦っているかのように錯覚させる…だが、何もやってはいないのだ。傍観する以外には…
しかも、「敵」が設定されているので、我が身は常に安泰…安全地帯だ…
「敵」が設定されているから、それ以上もう考えない…思考停止だ!
人々の多くは「悪者」が決まると物事の原因が明らかになったかのように錯覚する…
「あぁ、悪いのはあいつだったのだ」と…
そいつを「処刑」すれば「解決」なのである…
だが、それは「解決」なのだろうか?
そいつは「悪者」でよかったのだろうか?
「待った」をかけると、お楽しみのひと時を邪魔したかのような反応が返ってくる…
「情けをかけるのか!」とか「逃がす気か」とか…
「悪者」をでっち上げて、すべての罪を着せて「処刑」して、問題が「解決」したと思う…
これは「悪魔狩り」にほかならない。それは常に権力側を助ける”ガス抜き”となる…
会社の上司にもときどきいる。手柄は「自分のせい」にして失敗は「部下のせい」にする…
まわりの連中も、これに迎合する…。「叱られ役」を決めておくと、これまたスムーズ…
裏社会の洗礼を受けた者たちは、おうおうにしてこのテクをもっている…
いちおう、社内が治まるので、こういう手合いをそのまま管理職にしてしまう会社が多いのだろうが…?
だが、「悪魔狩り」は、問題を何も解決していない。悪党をのさばらせているだけである…
「悪者さがし」や、その「処刑」は、エロビデオを観て”抜く”のと同じで「快楽の追求」に他ならない。
ルサンチマン感情に基づく悪魔の祝祭にほかならない。
「殺した者は死刑だ」と叫んでいる連中も、”抜き”たいだけで、問題の解決など考えちゃいない。
「解決」を目指すものは考えるし、知りたがる。被告人を殺しちゃ、もうわからなくなるではないか…
わからないままに裁きをすれば、それは間違っている可能性が高い…
”抜く”のが第一の連中は「わからない」状態にやきもきし、「はっきりせよ」とせっついてくる。
それで、「それらしい話」が与えられると飛びついて、「思いを遂げる」のである…
ついでだから問うておこう。
「人を殺した」というが、それはどういうときだ?
ナイフで刺しても死なないやつはいる。逆に、刺してもないのに死ぬ奴もいる…
刺してからすぐ死ぬ奴と、一週間二週間たってから死ぬ奴といる…
どのケースで、どの時点で「人を殺した」ことになるのか、考えたことがあるか?
「人を殺した」とは、そもそもどういうことかと、考えたこともない奴に「殺人罪」が裁けるのか?
人々の陰謀論を巡る、思考停止と祝祭執行衝動の構図は、陰謀論を巡る構図ににている。
つまり、そんなに別々の話というわけではないのだ。
さらに、あとふたつばかり述べておこうか…
サヨクの「階級闘争史観」は、一種の陰謀論とみなせる構図をもっているが、当時はリアリティーがあった。
世界は「資本主義陣営」と「社会主義陣営」に二分され、日本社会の中でもブルジョア対プロレタリアという対立構造になっており、自分たちの陣営を強化すれば、「勝てる」と思われたのだ。
いまにして思えば、「リアリティー」を与えたのも「ユダヤ」の「陰謀」だろう。
え?「陰謀論」を使うのかってか?…では、権力側のトリック、常套手段と言おうか…
でも、「ユダヤの陰謀」と言ったほうが、もうわかりやすいよね?
人はイメージが与えられていると「わかりやすい」のだ…(わかったような気になってるだけだが…)
かつての「民主化運動」も一種の「陰謀論」的物語に囚われ、「与えられた敵」に対し、「与えられた作戦」で「戦争ごっこ」「革命ごっこ」をやらされていたのだ。
結局、人々は「本当の敵」を捕らえることに失敗し、問題の構造を捕えることに失敗した。
解決するより、お祈りして、踊って、運動していることで得られる「安心」や「一体感」が大事になった。
「階級闘争」と「陰謀論」には、共通する問題がけっこうある感じがする。
それと、もうひとつだが、
たとえば「在日」とか「ユダヤ」とかいえば、人々は被差別マイノリテーを想像する。
「在日の特権」などという言い方はまさに、そうした錯覚を意図的に広めようという悪意を感じた。
どうせ言うのであれば「特権在日」であろう。筆頭はもちろん白人である…
最初に嫌韓論や中国脅威論を広めておいて「在日陰謀論」を展開する意図がわかるというもんだ。
「ユダヤ陰謀論」は、ナチスが使ったもので、常に「敵との戦い」というのを国民に訴える道具だった。
いまのアメリカの「テロとの戦い」に相当する。
だが、アメリカが中東で戦争をした本当の理由は、その後の原油価格の推移 をみれば明らかである。
「敵」を設定し、「敵との戦い」をなぜ演出するのかは、このアメリカとナチスの例で明らかだろう。
そして、ナチスの場合、「ユダヤの悪事」はすべてナチスの仕業であったのであり、にも関わらず…
ナチスがその悪党と戦う最前線にいると宣伝していたのである…究極の”自作自演”…
だが、小泉が「抵抗勢力」を設定し、自分が「構造改革」を進めて戦っていると国民に思わせた…
我々は一度「抵抗勢力の陰謀」論に騙されているのである。
またナチスの「陰謀論」は、悪魔狩りとしても使われた。
処刑されるべきは、むしろナチスであったのに、被差別ユダヤ人が抑圧の対象になったのだった。
救済しなければならぬ人々を「敵」として攻撃し、本当の敵を喜ばせる…
「陰謀論」やその類の「物語」は、常にそうした意図のもとに語られていることに注意するべきであろう。
(θωθ)/~