”みそか”と言うからには、「30日」のはずだが、31日である…
旧暦なら、ちゃんと30日じゃないのかと思ってカレンダーを繰ってみたら…
旧暦の元旦は来年は2月10日で、その前日は何度数えても「29日」であった…
今年は”大晦日”は、旧暦で数えても「30日」にはならない。
それから…なんで大晦日は、”年越しそば”なのか?
まあ、かるく食べられて、からだもあったまるから、神社で初もうでのときに食べるのがよいのだろう。
年が明けたら、そのままお雑煮で、”もち”に移行すりゃいいのだ…
だが、なんでもお手軽ですますことができる昨今のこと…
みそかはみそかつ!!…
ってなことを、だれかが言ってもよさそうなものじゃないか?
おせちにしても、日本は”ダジャレ”が伝統だろーに。
さて、なんの根拠もないが2013年は”よい年”になると思う。どういう意味で”よい”のかは知らない。
こういう気分になっているのは、徐々に心身が回復してきているからだろう。
頭重感やめまいで寝込むということが減ってきている。
まあ、人はショックなことが続いたストレスや絶望で私が体調を崩したと思うかもしれない。
だが、私は自分の身の上に絶望したり、ショックを受けたのではない。
私の親しい者たちを含め、日本人がことごとく鬼畜であり外道であり、地獄行きまっしぐらだと気づいたことがショックであり、絶望だったのである。
それで、こりゃたいへんだと思っていろいろ言うのであるが、豚に真珠、馬の耳に念仏である。
まさに原発爆発以降、忠告しても、のほほんとしているアホどもを見る気持ちそのものなのである。
だがまあ、自ら積み上げた悪行や罪業は自分で引き受けねばならない。
いくら言っても勉強しない受験生みたいなもので、もう放っておくしかない。
さて、いわゆる”善人”どもが落ちていく”地獄”とはどんなところだろう?
現世がすでにそれではあるが、絵にするとまたわかりやすかろう…
沖縄県知事だった太田昌秀氏が、「カネは人を変える」と言ったそうだが、少し違うと思う…
カネは、人間の本性を引き出させる。
普段、鬼畜は人間のフリをしており、”善人”のふりをしている。
それを誤魔化すために日々他人と比べあい、礼儀作法を競い、人をののしるのである。
彼ら鬼畜は人の罪を責めるのが大好きである。
怒りや憎悪が「生きている実感」で、その延長で「愛国運動」や「選挙運動」をやっている。
敵を見つけ出し、それを倒し、勝利する興奮、踏みつける快感を味わいたいのであろう。
一日も早く天使の軍団が、この者たちを始末しつくして、地上を清めてくれることを祈る。
鬼畜たちにとって、天使はまさに”死神”、”悪魔”であろう。
その死の陰に怯えるがよい。
目覚めた者たちも油断することなかれ。
「神」は、自ら「信じる」こと、つまり実践する間だけ「存在」する。
よく野球の試合をたとえに出すのだが、「勝利を信じる」というか、淡々と向かうというか、
あきらめずに立ち向かっている間は、常に奇跡の逆転の可能性が残る。
そのときに、何を勘違いしてか、「神様、神様」と願を掛けることが主になったら勝てるだろうか?
さらに「信心」とは、神様を拝んだり、お願いをしたりすることではない。
むしろ、「すべてはあなたの御心のままに」と投げ出して、「勝ちたい」とも願わないのだ。
常に罪びとである自分を自ら十字架にかけて抹殺し、神に同化して神を作り出すのでなければ、
この裁きのとき、たちどころに自分たちも処刑されてしまうだろう。
常に、人間であろうと意識し、意図していなければ、人間でありそこねる。
人間が「霊長」であり、「精神的存在」というのは、そのためである。
ただ食って寝て遊んで仕事して、快楽や欲望を満たすだけでは、「人間」とは認められない。
多くの日本人が「人間」になり損ねてしまった。
それでも、隣人のために何かを続けている者たちは希望があるだろう。

