愚かだから、生きる権利がないというわけではないだろうが、愚かゆえに墓穴を掘り、自ら生きる権利を放棄してしまっている者が救われ、生き延びることはむずかしい。
自分で自分を貶め、滅ぼす。ゆえに「愚者」というのである。
余計な知恵がなく、素直な者も「愚者」とはいうが、こちらは聖人の可能性がある人である。
破滅に至る愚者とは、大抵、さかしらや倫理をふりかざしたり、ひけらかし、自分を偉く見せたり、他者を悪人に見せたりということに情熱的である。東京にその手の老害の典型が二名いるから、まあ、わかりやすいだろう。
(-""-;) だが、残念なのは多数も似たり寄ったりという点だ。
「人民は、自分の利益が何かを知らない」(ルソー)
これは、かなり、致命的である。買い物に行ったはいいが、何が欲しいかわからないみたいなもんだぜ。
(=`(∞)´=) まるで、ボケ老人!ションベンちびって徘徊して、わけわからんことをくりかえす・・・
(゙ `-´)/ そういうボケ老人の集団が、どうやったら民主主義社会をつくれるだろうと考えてみよう・・・
(◎`ε´◎ ) すご~く、むずかしいよなあ・・・
(ノ゚ο゚)ノ それで、これまで人類史上、すべての革命が最後には失敗し、宗教もやはり形骸化してきた。
(`×´)9m しかし、だからといって、あきらめて捨て置くわけにもいくまい。
川・ε・川b どうせ最後は死ぬんだからと、医者が治療を放棄したらどうなる?
(-。-;) 「神も仏もない」からこそ、神を信じるしかない。生きるしかないのだ。
(>。☆) ん?世間的にはこういった方がわかりやすいのかな?「自分を信じて生きるしかない」と。
民主的な社会は、人民にとってこそ必要なものであるはずなのに、人民自身が壊してしまう。
┐( ̄ヘ ̄)┌ 「バカ」は「不治の病」だ。もっとこの病に人々は真剣に取り組まねばならない。
( ̄Д ̄# それで、「バカ」についていちばん特徴的なことを述べよう。名づけて「バカの定理」
(゙ `-´)/ バカの道徳の基準は、「好き」か「嫌い」かの二者択一である!
(`ε´)b 自分が「好き」なら「善」、自分が「嫌い」なら「悪」と、きわめて単純!
(-з-)b 「好き」だから応援する、賛美する。自分の願望までくっつける。「神」にまでまつりあげて大騒ぎ。
(-_-メ 小澤とか「嫌い」なやつだと、悪口を言う、憎悪する、こき下ろす。「悪魔」として吊し上げる。
((o(-゛-;) 「在日wwwww!」とかいうのも、そうだよな。悪魔狩りの儀式をやるのだよ、野蛮人どもは。
(`×´) 嫌煙権近衛兵や反メタボ親衛隊の鬼畜どもの、あの憎悪に満ちたまなざし・・
あれこそが、愚民大衆の典型である。
こいつが悪いやつだ!やっつけろ!みたいなことやってるやつ・・・
だれそれに失礼ざます!謝るざます!だれそれが傷ついたざます!・・・とやってるやつ。
こういうバカには何度言ってもわからないんだろうなあ。「罪を裁いて、人を裁かず」という法原理が。
(  ̄っ ̄)b 理性のある者は、「善悪」と「好き嫌い」の基準は別である。だから、よく葛藤する。
バカには「葛藤」がない。妙なストレスはやたらあるんだけどね。
(`Δ´) 「好き嫌い」は、自分中心だし、明確であり、絶対的である。
( ̄^ ̄) 「善悪」を判断しようと思えば、自分以外の基準も考慮せねばならず、相対的に思考せざるをえない。
(#`ε´#) 「好き嫌い」で迷うことは少ない。だが「善悪」となるとけっこう迷うし、悩む。わからなくなる。
(`・ω・´)9m だから、理性で「善悪」を考えている人は、そんなに怒りっぽくない。
自分とちがうことを言われても「そんなこともあるのかも」と考える一呼吸がはいる。
「好き嫌い」で判断し、何にも考えてないやつほど「けしからん!」「あやまれ!」と、すぐ怒るのだ。
(=`(∞)´=) ナベツネやシンタロウみたいにな!
( ̄へ  ̄ 凸 もうひとつ重要なことを言っておこう。
韓非子のことばに「君主は好悪を見せるな」というのがあった。
(`(エ)´) なぜだったか、覚えているかな?
( ̄^ ̄)b 好悪をみせれば、重臣や側近はうまく取り入り、調子を合わせ、君主を操ってしまう。
(▼Д▼) だから、テレビ好きのやつほど猿回しを踊り、テレビや官僚に利用されているだろう?
(=`(∞)´=)9m 自分たちの敵の手先になってやがる!
大衆の好みにあうように支配者は、耳に心地よいおとぎ話や、夢を膨らませる冒険談を与える。
大衆はそれを信じ込み、バーチャルな世界に埋没(引きこもって)生きる。
いわゆる一般社会人はテレビのつくりだすバーチャル世界に引きこもっているオタク野郎だ!
(  ̄っ ̄) まさに「宗教はアヘン」そして、「テレビもアヘン」(へたすりゃ、そのうちネットもそうなるのかも・・・)
ヾ(。`Д´。)ノ マスコミが「犯人だ!」と騒ぎ、警察や裁判所が「犯人だ!」と言えば、ウソでもそうなっていく。
人が信じると、ウソでも「まこと」になってしまう。冤罪は人々の(オウム的)盲信の産物なのだ!
人々が、マスコミも警察も裁判所も犯罪組織だと知っていて、信じていなければ、ここまでの冤罪はない。
愚かなる大衆の罪、ありもしないおとぎ話を疑いもせず信じていることの罪、すなわち・・・
家畜として生きることの罪を人々はもっと自覚すべきではないのか?