日時:2020年11月12日(木)20:00~
会場:上海交響楽団音楽庁コンサートホール
演奏:
1st Violin 宋暁晟
2nd Violin 楊蚕
Viola 施貞莉 王冠
Cello 周潤青
Cotrabass 沈雲軒
Piano 唐瑾
曲目:
モーツァルト:弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K614
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第1番 ト長調 K.80より第三楽章、第4楽章
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21
感想:
上海交響楽団のメンバーによる室内楽演奏会。
今回はモーツァルトとショパンの曲という組み合わせ。
普段は大編成オケばかり聴いているとこういう小さい編成が聴きたくなる。
(というか音楽なら何でもいいのだが)
会場に入ると広いステージの真ん中にぽつんと椅子と譜面台が5個ずつ置かれている。
今回はかなり編成の小さい演奏隊である。
まずはモーツァルトの弦楽五重奏曲。
バイオリン2ビオラ2チェロという組み合わせ。
演奏者が登場するとすぐに、椅子をステージマネージャーが配置した位置より真ん中に椅子を動かして寄り集まった。
どうも今回のステージマネージャーは、リハーサルとかでちゃんと演奏位置を把握していなかったようである。
で、演奏が始まってみると、それぞれ堅実な演奏をするので響きは心地よいのだが、どうもノリが悪いというかモーツァルト独特のリズム感というか色彩感や明るさがない。
何故なのかなと理由を考えたところ、まず指揮者がいないため、演奏の色付けをする存在がいないこと。
さらには演奏の練度が足りない面があるのではないかと察した。
というのは、彼らが楽譜を置いて楽譜を見ながら演奏していたからである。
楽譜なんか当たり前じゃないかと思う人もいるかも知れないが、暗譜せず指揮者もなしで楽譜を追う時点でリズムを合わせる意識は、半減するのである。
故にリズムを合わせるにしても、そこから横の動きを加えて音楽を表現するには至れないのである。
恐らくこれが臨時メンバーで構成されたグルーフの悲しさで、これが室内楽を専門に活動をしているグループなら楽譜を置かずに演奏するだろう。
何故ならそういう常設グループは、世界中を演奏する中で、本番やリハーサルにおいて何百回と同じ曲を演奏しているはずで、そんな中で楽譜なんか見ては演奏してられないからである。
つまり演奏量が圧倒的に違うわけで、その演奏をするうちに暗譜はもちろんのこと、音楽性が練られて豊かな表現が生まれることになる。
ところが、今回のメンバーは普段はオケのメンバーであるがゆえに、練習を始めてからせいぜい多くても数か月であろう。
しかも普段から指揮者の下で指示に従っているメンバーでは、自ら表現するという意識に慣れていないだろうし、楽譜から離れられない状態では、音を合わせるのが精いっぱいということになる。
その傾向は残念ながら2曲目の演奏にも続く。
但し、こちらは男性のヴィオラが1本抜けて、弦楽四重奏となる。
演奏の固さは相変わらずではあるが、音響的バランスとしてはこちらの方が落ち着いた。
チェロの配置が真ん中に来たというのもあるかもしれない。
ただし、やはりモーツァルト的な色彩の表現としては、やや弱く音楽がモーツァルトにならない。
さて後半はショパンのピアノコンチェルトの第2番。
但しコンチェルトと言ってもオケ側は先ほどのメンバーにコントラバスが加わっただけなので、最低限の5人しかおらず、原曲版で演奏される際の管楽器もティンパニもいない弦楽合奏版のコンチェルトである。
さて演奏が始まってみると、このピアニストはうまいんだか下手なんだか良くわからない。
タッチは綺麗に運んでいるが、やはり楽譜を目で追いながら演奏しており、ショパンらしい美しい旋律には至らない。
下手という印象はないのだが、心に残るような旋律が響かないのである。
加えて上述の楽譜を見ながら演奏する小さなオーケストラである。
まあコントラバスがいる分だけ、音響的には落ち着いた状況にはなっていたが、音楽的にはやはり物足りないものだった。
ところがアンコールにソロで出てきたピアニストは、流石に音楽らしい表現を取り戻す。
これが音楽の不思議である。
当然楽譜なしの演奏であり、自由に表現していた印象である。
結局あの演奏は譜面に縛られていたということなのだろうか?
楽譜を初見で弾けてしまうほど能力の高いプロの演奏家たちであるが、更なる上を目指すためには、楽譜に頼っていては駄目なんだろうなということを感じたこの日の演奏会であった。