1周忌 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

母が亡くなって

丁度一年が過ぎた。

 

あれから

7年続いたラジオ番組が終了し、

The Roomが休業に追い込まれ、

半年間国内外のギグが全てキャンセルになり、

ライブを前提にバンドで録音した

18年振りの

Kyoto Jazz Massiveのアルバムの発売は

無期延期になった。

 

それでも、

The Roomは

店長冨永が踏み出した

クラウドファンディングで

多くの方からご支援を頂き、

The Room RadioがInterFMで始まり、

Miyashita Parkに出来た

The Shibuya Souvenir Storeで

The Room ft.Shuya OKinoの

Pop Up Shopもスタートし、

STYLIN'なる焼酎をプロデュースし、

動画配信のイベントにも出演したし、

青山トキオ展を京都のJazzy Sportで開催し、

京都新聞社の動画配信スタジオのロゴをデザインし、

壁画を描いた。

2020年に4回足を運んだ野沢温泉村では

2日で4会場のDJなんてこともやったし、

山中湖では野外イベント、

The Room Campも実現した。

そして、

12月にThe Room COFFEE & BARを

オープンさせた。

 

収支でいうと大赤字の1年だったけれど、

この状況下で、常に攻めの姿勢を貫いた。

 

だって、もう失うものがなかったから・・・。

 

母が生きていたら

心配しただろうなぁ。

 

車には事故するから乗ったらあかん。

東京に行ったらコロナに感染するから危険。

お店出すなんてやめときよし!

 

とにかく

僕がやることなすこと

何もかもが気に入らなくて

いつもキレまくっていた(笑)。

 

有名人や学歴に弱く、

職業蔑視も厭わない。

戦後に教育を受けたにも関わらず、

戦前に生まれた人達の子供世代にありがちな

アジア人への拒否反応。

そして、

自分の意見を否定する者のへの

露骨な嫌悪。

 

どれを取っても

僕とは決して相容れない価値観に

随分悩まされたし、

苦しめられた。

 

血を呪うこともあった。

 

自分の歪んだ性格。

心配性。

そして、

自意識過剰。

 

過保護と過干渉と溺愛は

時に

僕の憎悪として

彼女に襲いかかった。

 

それでも、

弱って行く母の姿を見て

僕は改心し、

友達の助言もあって

母を赦し、

受け入れた。

 

後悔はないけれど、

その時期がもう少し早ければ・・・

あり得ない仮定を

反芻することもなくはないが、

記憶の美化は、

日々

彼女への感謝と反省の気持ちを募らせる。

 

思い出を喚起させるモノを

想像する度に

その前向きな転換は、

野に咲く花のように

ありふれた、

それでいて

はっとさせられるような

香りの錯覚となって

僕の鼻腔を

くすぐるのだ。

 

果たして

彼女から

僕が学ぶことはあったのか?

今日

墓前で自問自答した。

 

反面教師としてではなく・・・。

 

一つは倹約か?

風呂の電気は点けない。

夏もクーラーは使わない。

携帯は持って出て失くすと困るからと使わなかった

(代金払ってたの僕なんですけど)。

イベントと車以外には(その二つが大問題なのだが)

贅沢をしないのは母譲りかもしれない。

堅実な貯蓄や手堅い投資も敵わなかった。

株も外資も全敗の僕だから・・・。

 

母に知性を感じた事はなかったのに、

少なくとも金銭感覚は

僕より優れていたと思う。

 

もう一つは面倒見の良さ。

 

気に入った人には(苦笑)

惜しみなく尽くした。

 

見返りを求めない愛。

 

それは、

最近亡くなった友人、

Phil Asherもそうだったな。

 

愛だ。

 

僕には愛が必要だ。

ただ

僕が

愛に飢えている訳ではない。

 

"与えるだけの愛"が

僕には不足している。

 

母が、

僕にくれた愛情は

押し付けの側面もあったものの、

姪や姪の子供達、

旅行仲間といった

近い肉親とは違う

少し距離のある人々への

無償の愛は

ささやかであったれど

微笑ましく、

とてもまめであったことには

随分

感心させられた。

 

余計なお世話と言ってしまえば

それまでだけど。

 

とにかく

ものをあげるのが好きで

絵を描いたり

リサイクルで役立つ品?を作っては

人にあげていた。

旅のお土産もか。

 

僕がお祝いで頂いたお花も実家に送ると

全てご近所の皆さんにお分けしていたな。

 

かけ終わったレコードを

希望者にプレゼントするなんてのは

まさに遺伝!

 

血を呪うのはよそう。

母を今、改めて愛し、

僕は与える愛を獲得する。

あげる前に、持ち合わせていないと!

 

それにしても

母のいない実家は

凍える程寒かった。

 

正月に捧げた花が枯れていたので

僕は捨てる為に入れるモノを探した。

 

生前、

大量のスーパーのレジの袋を

溜め込んでいたことを

思い出した。

 

必要ないし、

買い物袋で代用しろと言っても利かないので

黙って処分したら、

形相を変えて烈火の如く怒っていたよな。

 

小型の衣装ケースに

1個分だけ残していたっけ。

 

帰りに仏壇の蝋燭を消した。

 

「お母さん、レジ袋役に立ったわ」

 

手を合わせて、

僕の理解の遅刻を

彼女に詫びた。

 

買って来て

新たに供えた

菜の花とチューリップの組み合わせは

きっと母なら

 

「何なんこの組み合わせ」

 

と皮肉を言っただろう。

そう考えると

ちょっと可笑しくなり、

何だか身体の芯が暖かくなった。

 

悪ふざけも受け継いでいるのだ。

 

あれから1年か。

あっという間だったな。