Dear My Mother | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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お母さんへ

 

お別れが

こんなに突然

やって来るとは

思いませんでした。

今年のお正月に

1週間一緒に過ごした時に、

食事とトイレの時以外は

ベッドから出たがらなかったから

大丈夫なん?

って訊いてたよね。

 

ところが、

2/1の午後、

ふと思い立って

実家に帰った時に、

別人のように

元気なお母さんを見て

驚きました。


髪の毛を切り、

化粧をして、

友達から貰って

一度も来てないジャケットを

おろしたって

嬉しそうに話してたもんね。


料理もできなくなっていたのに、

節分に巻き寿司を作る

と言って張り切ってもいたね。

だから

寝たきりにならないようにと、

嫌がってたデイサービスを

何とか説得して

今年から利用し始めて

良かったのかなって

思ってたんですよ。

歩行訓練も始めて

少し歩き方も良くなって来たし、

お友達も出来て

張り合いが出て来たようだったのに。

 

その日の夕方は

妹のエミちゃんと旦那さんを

食事に連れて行くと

嬉しそうに話していましたね。

いつもお世話になってるから

恩返しに、

なんてしおらしいこと言うので、

珍しいなって感心してたんです。


で、

家に帰って

お風呂に入って

ヒートショックで

亡くなってしまうなんて・・・。


翌日デイサービスがあるから

お風呂に入らなくてもよかったのに。

寒かったからかな?

元気があったらかな?

元々は毎日

お風呂に入る人でしたもんね。

 

常々、

ひっくり返ったり、

寝てしまうと危ないから

お風呂に入らなくていいよ

っていってたのに、

最後まで僕の言うこと

聞きませんでしたね。


亡くなる前の日も

一人で伊勢丹に行ってたのを、

訪問介護の職員さんとの

交換日記で知りました。

2度座り込んで

見知らぬ人に助けらたってのも

書いてあったから、

「一人で伊勢丹に

行ったらあかんで」って注意したら、

「あんたなんでそんなん知ってんの?」

ってびっくりしてましたね。

「なんでも話筒抜けやで」

って言ったら、

「あんたは

何でもお見通しやなぁ」

と嬉しそうに笑っていた時の顔が

今も忘れられません。

 

口が悪かったけど、

いつも冗談ばかり言っていた

チャーミングな人でした。

 

僕が初めて

DJのイベントに招待した時は

「あんた台の上で何してたん?」

って訊いて来たし、

4年前に

大阪のビルボードに

招待した時は

「あんたが歌手って

知らんかったわ!」

と本気かふざけてるのか

わからない反応で

皆を笑わせてました。


小泉進次郎が結婚した時は

「あんた滝川クリステルと

会ったことあるなんて凄いな」

と仕事で褒めたなんかことないのに、

僕を絶賛してましたね。

ちなみに、

彼らはお母さんが大好きな

皇室一族じゃないからね。

あの二人は一般人だからね。

その勘違いも含めて、

全部ブログとかSNSに書いたから

僕のファンの間では

お母さんは

結構な有名人だったんですよ。

勝手に書いてごめんなさい。

 

でも、

本当に仕事に理解がなくて

長年

「早く就職しなさい」

って言われ続けました。

世界中で

活動してるって言っても、

「アンタにそんなことできる訳ない」

って疑ってましたもんね。

22年も役員報酬払ってたのに、

「あんたが社長って嘘やろ」

と信じてもらえませんでしたけど、

全部京都人特有の

キツい冗談だったと思っています。

 

人を笑わせ、

自分も笑うのが好きで、

父が亡くなった後も

沢山のお友達や親類と

楽しく過ごせていたと思います。

 

繰り返すけど、

最後の2日は

力を振り絞って

好きなことやったんですかね?

伊勢丹に行って、

帰って来て

お友達に電話をかけまくり、

亡くなる日は

僕と買い物に行って、

夜はエミちゃん達と

美味しいもん食べれて良かったね。

その後、

カラオケに

行きたがったって聞いたよ。

みんなに

お別れしなきゃいけないのも

わかってたんかなぁ。

 

おばあちゃんの介護で

苦労したこともあって、

「子どもらには絶対迷惑かけない」

って言ってたけど、

本当に

あっという間に

亡くなってしまって、

有言実行でしたね。

親孝行ならぬ、

子孝行ですね。

絶対入るの嫌やって

言い張っていた

老人ホームにも

入らなくてよくなったしね。

あんたの言うことは聞かへんねん

って口癖、

最後まで貫き通したね。


僕、

やっぱりお母さんには

敵わなかったわ。

 

ほんまに言い合いばっかりして、

腹立つことも少なくなかったけど、

今、

お母さんがいなくなって

本当に寂しくなりました。

ここ半年は目に見えて

弱って来たから、

心を鬼にして、

優しくして来て良かったと思います。

後悔はしてません。

おかあさんも知ってる

友達の大沢君の助言を受けて、

一回だけ

抱きしめてあげたことあったけど、

珍しく嫌がらなかったね。

手を繋いで歩いたら

近所の人に

頭おかしいって思われるから

散歩も嫌がってたお母さんが、

僕の感謝の気持ちを

受け入れてくれて

とても嬉しかったです。


あ、

そのことも

SNSに書いたの言わなかったわ。

ホンマにごめん。

 

いつも口うるさかったけれど、

僕や弟のこと

心配してくれてたんですよね。

最後の言葉も

「あんた気ぃつけて帰りや」

でした。

身体に、

車の運転に気をつけます。

もう気苦労することないよ。

ゆっくりして下さいね。

 

もうすぐ、

大好きだったお父さんに

逢えますね。

「この家にお父さんがいるから

離れられない」

って言ってたけど、

「お父さんはこの家にいない」

って僕が言ってた意味が

もうすぐわかると思うよ。

やっと

「やっぱり

修也の言ってたとおりやったわ」

って言ってくれると思う。

お父さんに会ったら、

僕と弟が

世界中にファンがいる

音楽家になってんでって

教えてあげて下さいね。

くれぐれも、

「ホンマかどうか知らんけど」

なんていうキツい冗談は

勘弁してください。

 

じゃあね。

いつまでも忘れないからね。

気ぃつけて行って来ぃや。

 

修也より