DJを辞める? | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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20歳でDJになると決意し、

2017年、

50歳でDJを辞めることにしました。

 

こう書くと誤解を招くかもしれないですね。

もっと正確な言い方をするならば、

DJという行為は続けるけれど、

DJと名乗るのを止める、ですね。

 

僕のことをご存知の方は

驚かれないでしょう。

むしろ、

またか?と呆れられているかもしれません。

 

The Roomという僕がプロデュースする店を

クラブというカテゴリーから離脱すると宣言したのと似てますからね。

 

肩書きからDJを外すということです。

 

理由は二つ。

 

一つは、

もはやDJ業が僕の仕事の中心ではないということです。

 

本来、DJだけで食べて行ける人をDJと呼ぶのではないでしょうか

(平行して作品を作っている人を含む)?

 

2017年、

DJをしたのが90回(KJM、KJSでのライブは除く)。

そして、

いわゆるクラブ(The Roomを除く)で回したのはその内の23回でした。

しかも海外はたったの2回(この10年で最低ですね)!

 

要するに僕がDJをしているのは

フェスやホテル、レストランやバーなんですよね。

 

これでは決してクラブDJとは名乗れない。

DJを本業としている方に申し訳ない。

 

それに、実は90回(毎月ほぼ毎週末)回しても

自分の会社の売り上げに占めるDJのギャラは2%にも満たないんです(苦笑)。

DJで得る収入がこんなに少ないとは僕も調べるまで知りませんでした。

 

僕のキャリアと認知度があってこんなもんかと思うとDJって夢がないですよね・・・。

でも、食べては行けているんです。

曲を選び、曲を作り、プロデュースしたり、イベントを企画したりして

ちゃんと稼げてはいます。

 

僕が所属している音楽ジャンル(クラブ・ジャズ/クロスオーバー系)の

クラブでのDJのニーズが少ないだけで、

逆にこのジャンルだから依頼される仕事も多いのです

(ライブのギャラは20倍以上だったりしますからね)。

だから音楽に関わる仕事として夢がない訳ではありません。

音楽業界(主にCDや配信ですが)が不振と騒がれる時代に、

僕みたいな人間が食って行けてるって逆に夢があるのかもしれませんよ。

 

二つの目の理由は、

DJという職業が

僕の考えていたものと随分違ってしまったなぁと思うことが多くなったからです。

 

初めて会う人に、DJですと名乗ると怪訝そうな顔をされることがあります。

DJを28年もやって来て、いまだにこんな反応があることをとても残念に思います。

 

朝日新聞にも毎日新聞にも日本経済新聞にも取り上げられたから

とっくに市民権も得たものだと思い込んでいたし、

風営法も改正されたというのに!

 

まともな職業だと思われてないんですかね?

それとも50歳の人間が就く仕事じゃないと思われている?

暗闇で、バカデカい音で、大騒ぎしてるチャライ人種、なんて思われてないですよね?

まさかドラッグを摂取して音楽をかけながら頭を振っている人、なんて思われてないですよね?

 

あの反応は何だろう・・・。

 

もちろん、僕が知っているDJってそんな人達じゃないです。

ちゃんとしてます。

 

でもね、これは言える。

大した知識も信念も思想もないのに、

有名というだけでモテはやされているDJがいる。

全然、クリエイティヴじゃない。

いや、むしろ、そういった人達の方がDJと認識されているし、

そうだとしたら僕はDJじゃなくていいかなと。

 

負け惜しみとか嫉妬とかひがみじゃないですよ。

 

脱力からの、離脱です。

 

DJとは、

音楽家であり、

ストーリーテラーであり、

考古学者であり、

予言者であり、

スタイリストであり、

人によっては

魂を救済する宗教家ですらあり、

極言すれば、

価値観を逆転する芸術家であると思って来ました。

 

でも、今、

世間でDJをそんな風に見ている人は珍しいと思います。

 

スターか芸能人の端くれ?

 

おいおい勘弁してくれよ。

 

芸能人に興味なかったよね?

音楽のセンスでのし上がって行ったよね?

 

僕達が若かった頃は・・・。

 

愚痴じゃないです。

強烈な批判です。

 

エセDJに、

そして、彼等をありがたがる一般大衆に。

 

だから、

DJと名乗るのを止めるのです

(このブログ、"DJ"のカテゴリーに入れられてるんですけど大丈夫なのかなw)。

 

僕のスピリットはDJですよ。心の中では生涯一DJ。

収集して

選別して

提案する。

 

それは

ラジオでも

音楽制作でも

プロデュースでも同じ。

 

選曲家であり、

作曲家であり、

プロデューサー。

 

それが僕の仕事。

それでいいかなと。

 

選曲家としてDJもする、

作曲家だけどDJもする、

って感じですかね。

 

なので、クラブでのDJのオファーを断る訳ではありません。

そんなにオファーないけど(悲)。

 

それから、

特に新しい名前を用意していません。

The Roomがクラブというカテゴリーを離脱した時みたいには。

 

僕にとってDJと名乗るのは

むしろ

DJ一本でやっている人にとって失礼なことであり、

個人的にはマイナスでしかない。

 

だから、

肩書きから外すのです。

 

クラブでもたまに回しているけれど、

FM番組や有線放送、インターネット・ラジオでの選曲、

バーやレストランやホテルでのDJ、ファッション関係のパーティーでの音楽演出、

更には企業のブランディングの仕事が元々多かったので、

DJと名乗ることを辞める方が僕の仕事を正確に言い表すことになる。

 

これから僕を人に紹介する時は、

DJの沖野修也さん・・・というのは止めて下さい。

 

選曲家か

作曲家か

プロデューサー。

 

或は、

家元???

 

このブログを書きながらずっと腑に落ちないことがあるんです。

『DJ選曲術』という本まで出した(八回増刷されました)僕が

DJを名乗らないって本当は変なことなんです。

 

僕は敗北したのか?

いや、決してそうじゃない。

 

DJというクリエイティヴな行為を僕は言語化し、

評論の対象としてその価値を認めた。

 

音楽の歴史が始まって以来、最初で唯一の人間。

 

ならば、DJを華道や茶道のように精神芸術に昇華すべきではないのか?

(3年程草月流で華道の修行をしてますがいけばなとDJは驚く程似ているんです)

 

これからは、

選曲家と名乗る以上、"道"を極めます。

さしずめ、沖野流。

家元と呼んで下さい。

音の家元。

 

そして、

作曲家としては

もっといい曲を書き、

プロデューサーとしては

僕のセンスを様々な形で表現して行きたい。

それは、曲であり、アーティストの育成であり、イベントや空間やプロダクトかもしれない。

 

今、

オランダのスキポール空港でこのブログを書いてるんですが、

奇しくも目にした雑誌の表紙がNina Kravitzでしたね。

 

僕がモスクワであげたジョージ・デュークがきっかけで、

レコードを集めることになった女の子。

 

いつしか彼女は立派なDJとなり、

僕は今、DJと名乗るのを止めた。

 

奇遇なもんです。

 

また何処かで彼女に会うことはあるのでしょうか?

 

 

PS

 

DJをするってのと

DJであるってのは違うんですよ。