DEGOのプライド | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

本日、
代官山のAIRで
4Hero/2000 Blackの
Degoの来日公演が行なわれる。

巷ではブロークン・ビーツの復活!
と騒ぎ立てる
往年?のファンも少なくないが、
僕は
その見方を肯定的には捉えていない。

確かに
一世を風靡し
今も根強いマニアが世界に点在する
ブロークン・ビーツが
再注目されること自体は
決して悪いことではない。
しかし、
そもそも
Degoを今、ブロークン・ビーツと捉えていいのか?
ということが僕の中にある疑問なのだ。

2000年代の前半、
HIP HOP、ジャズ、ブラジル、
アフロ、ハウス、ドラムン・ベースといった
あらゆる音楽を混在させた
ブロークン・ビーツはとても魅力的だった。
複雑なリズムの中から
聴衆が自らグルーヴを掴み出す快感は
特殊な楽しみ方だったし、
プリミティヴなビートと
近未来的なサウンドのミスマッチは
実に斬新だった。

その盛り上りの収束の原因は色々あるが
BUGZ IN THE ATTICがメジャー契約してから
急速に
求心力がなくなっていったように記憶している。

話を元に戻すと、
そんなブロークン・ビーツ・シーンで
コンスタントにリリースを続けて来たのが
Degoであり、朋友のKAIDI TATHAMだった。

確かに、
そのリズム・フォーマットを
ブロークン・ビーツとカテゴライズすることに
異議を唱えるつもりはない。

それでも、決してDegoは復活したのではなく、
ずっと現役で活動を続けていたことを
忘れてはいけない。

しかも、
最近では
Sound Signatureと
Egloという世界的に影響力のある2つのレーベルからも
リリースを実現し、
ブロークン・ビーツの支持者とは違う層からも
高く評価されている。

Theo ParrishとFloating Pointsの2人に
同時に
認められる現行クリエーターは
非常に珍しいのではないだろうか?

Theo Parrishが
「Footwork」で
ブロークン・ビーツの要素を取り入れていたり、
Floting PointsことSam Shepherdが
フュージョンの影響を受けていることを考慮すると
彼らがDegoやKaidiのサウンドに惚れ込むことは
当然の帰結かもしれない。

いずれにせよ
デトロイト・テクノや
ディープ・ハウス
(とFloeating Pointsを括るのに抵抗はあるが)の
アーティストやリスナー達が
Degoの世界観に
興味を持ってくれたり傾倒したりしてくれるのは
大歓迎だし
こういった事実は
Degoの音楽がブロークン・ビーツという
かつて栄えた音楽の復興を代表するのではなく
ジャンルを越えた普遍的な音楽として
認められている証拠であると僕は考えている。

この10年
「ブロークン・ビーツなんて終ってる」
という声を国内外で何度も耳にしたが、
Degoは終るどころか前進し、
結果、
その先鋭性、
更には
表現者としての信念と力量が浮き彫りとなった。

大体にして
一部のブロークン・ビーツは
とっくにレア・グルーヴ化しているし、
Theoのように
他ジャンルにその血は脈々と受継がれている。

インタビューでは、
ドラムン・ベースもブロークン・ビーツも
過去にジャズやファンクがやった事の
現代化でしかない・・・
みたいなことを答えていたDegoだけれど、
彼による唯一無二の音楽は
決して単なる現代化ではなく、
偉人の系譜に位置しながらも
テクノやハウス、モダン・ブギーといった
同世代の音楽と異種配合することによって誕生した
紛れもなく
新しい時代の
クロスオーバーなダンス・ミュージックだと思う。

とにかく
誰がなんと言おうと
愚直に自分の道を歩み続ける
Degoのプライドに
敬意を表したい。

今夜
彼がかける音楽は
ジャンルの呪縛をすり抜け
ダンス・フロアーに
未来のヴィジョンを
写し出すに違いない。

DJとしてサポートできるのは
光栄なことだけれど
むしろ
僕は彼が何を繰り出してくるのかが
楽しみで仕方ないのだ。