もう我慢出来ない(まとめ) | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

上海で行われたフェスティバルの
ギャラの残り半額が
未払いだけど、
それでも僕は
中国人は
とか
中国は
と言って
そのいい加減さを糾弾しなかった。

おそらく
それは個人の怠慢で
国籍や人種の問題ではないのだ。

実際に
フェスのアテンド担当だった
(殆ど役に立たなかったけれど)
素朴で一所懸命だった女の子達や
フェスで自分の立場を
まるで忘れたかのように(いい意味で)
アーティストに笑顔を振りまき
時に
一緒に写真を撮りまくっていた
警備員を
僕は
憎めなかった。

それでも
ある事で
僕の堪忍袋の緒は切れる事になる・・・。

今回
ロシアに向かうのに
AIR CHINAを利用し、
関西空港でチェック・インしたのだが
空港スタッフに
「お客様は、
本日北京までのご旅行ですよね?」
と言われた。

僕が、
「乗り継ぎで
モスクワに行く筈なのですが」
と答えると、
北京-モスクワ便は
欠航になっていると言うではないか。
北京で一泊して
翌日の同じ便で
モスクワに行くしか選択肢はないらしい。

そのスタッフ曰く、
何とそれは
10/31に既に決定していたとの事。
判っていれば
便を変える事もできたのに・・・
(後で旅行代理店にも
連絡が行ってなかった事も判明)。

幸いにしてプロモーターの
イリヤ君の粋な計らいで
モスクワには
前乗りする事になっていたから
翌日の到着でもギグには影響ない。
ただ、今回の楽しみでもあった
ロシアのジャズを発掘する為に
レコード屋に行く事は難しくなる。
でも僕は
散財を回避できると
都合良く考える事にした。

当然
AIR CHINAが
ホテルを用意してくれるという。
しかし、
上海のフェスでは
ギャラの半金が払われないどころか、
出演前日の食費は全部自腹だったし
(契約では主催者が払う事になっていた)、
同じく前日は
会場にも入れなかったので(出演者なのに)、
僕は、
中国では何があってもおかしくない!
とスタッフに伝え
口約束は信用出来ないと
強く言い張った。

そのスタッフは親身になってくれて
(JALの職員が代行)、
AIR CHINAから
FAX(HOTELを手配する指示書)を取り寄せ、
北京空港で何処に行くべきかをマークした
地図も渡してくれた。
ちなみに、
彼女も僕の心配は理解出来たようで
「ここがダメならここで、
そこもだめならここで」
と都合3箇所のカウンターを
記してくれていた。

幸いにAIR CHINAの日本人職員が
同じ便で北京に出張とかで
最初のカウンターまでは
同行してくれる事にもなった。

しかし・・・。

(つづく)

北京空港に到着後
最初のカウンターに行くも、
ここのスタッフが
かなりぶっきらぼうで、
対応が悪い。
いきなり一階下の階の
AIR CHINAのカウンターに
行くように言われたものの
ホテルの事は何も知らされなかった。
しかも、
ここまでしか日本人職員に
付き添って貰えなかった
(彼はいい感じの人だった)。

入国審査を終え、
荷物を受け取り、
AIR CHINAの
2つ目のカウンターに向かう。
列に並んでいると、
どこからともなく
ホテルのボーイが二人組でやって来た
(制服で僕はそう推測した)。

僕の番が来たので
ホテルの事や明日の便を聞こうとすると
「モスクワでしょ?
その二人について行って!」

カウンターの女性スタッフは
僕を追い払うように
手を振るではないか。

相手が日本人なら
「その態度なんやねん!」
と詰め寄る所だが
ここは中国・・・。

無礼なスタッフに
かまけていては
ホテルに辿り着けない恐れがある、
しかも、
モスクワ便に乗れなかった人は
もう一人いて
二人のボーイ達は
その乗客を連れて
出口の方に向かって
どんどん歩いて行くではないか!
僕は、
慌てて彼等を追った。

このボーイ達は
可もなく不可もなく・・・
と言った感じだったのだが
(というか無表情)、
ホテルに向かうシャトル・バスの
運転手が
最低だった。

「ニイハオ」と
挨拶したにも関わらず、
僕を無視して
ボーイ達を怒鳴りつけている。
車内には乗客が既に数人いたから
おそらく
僕達の事を
随分待っていたのかもしれない。

そう言えば上海でも
感じのいいタクシー運転手に
会った事がない。
知り合い曰く、
上海で運転する人は
渋滞でいつもイラついているらしく
不機嫌なのが普通だとか。
決して怒っている訳ではない
と言っていたが、
彼等はどう見ても
怒っているように見えた。

そして、
北京のシャトルバスの運転手は
どう考えても怒っていた。
その証拠に
乱暴な運転で爆走し、
赤信号でも止まらなかった・・・。

ホテルは
空港から10分もしない所にあった。
星の数は判らなかったけれど、
結構大きくて
コンファレンスのような
ベントも行われていて
賑わってもいた。

チェック・インすると
僕が尋ねる前に
「明日の朝、
11:20分にシャトル・バスで空港に戻って下さい」
とスタッフが言った。

これで
送迎は無事無料である事が判った。
移動交通費を
払わされる事も覚悟していたから
これは朗報だ。

しかし!
「他のお客さんと
相部屋なら無料ですが、
個室を希望されるなら
別途料金が必要です」

スタッフが
冷たく僕に告げるではないか!

空港会社のミスで
一泊しなければいけないのに、
ホテル代を払わされるとは・・・。

(つづく)

もう我慢出来なかった。

僕は
「何故有料なのか?」と
抗議した。
しかし、
スタッフは
申し訳なさそうな顔をする事もなく
全く動じていない。

「お前、おかしいやろ!」
思わず、
苦笑しながら日本語で
声を荒げてしまった。

そして、
遂に
僕が
考え方を変える時が来た。

きっと、
中国にはサービスという概念がないのだ。

確かに上海のヒルトンはマシだった。
でも、
日本のホテルの対応に比べると遥かに
レベルは低いし、
僕の方がスタッフより丁寧だったと思う。

日本のホテルが
世界最高だとは言わないけれど
(NYやバリには
もっと素晴らしいサービスがあるから)、
それでも、
日本のサービス業のアベレージ
(タクシーやコンビニの店員まで含めて)は
世界最高だと思う(あくまで主観)。

対して、
中国のサービスのアベレージは
僕が行った事のある国に限って言えば
世界最低である。

これは
僕の偏見かもしれない。
それでも、
北京に行くまでは
感じが悪かったり
態度のわるい人は
きっと一部の人で
マナーのいい人も
中国の何処かにいる筈と
思い込もうとしていた。

でも、
止めた(笑)。

事実を
ありのまま受け入れる事にした。
まだ会った事のない
何処かにいるであろう
素敵な中国の方には
申し訳ないと思いつつも、
僕は
その人達には
きっと会えないだろうと確信した。

やむなく
僕はホテル代を払った。
3食無料だという事なので勘弁してやった。

僕は繁華街に出ない事を
決めていたからだ。
どうせタクシーで
気分が悪くなる
(車酔いじゃなくて、運転手のせいで)。
しかも、
街で食べれば
それなりの金額を払う事になるだろう。
それに比べれば
追加料金は安いものだった。

僕はチェック・インを済ませると
荷物を部屋に置いて
ランチを食べる為に
レストランに向かった。
よく考えてみたら
前の晩から何も食べていない。
しかし、
そこで僕は
恐ろしい光景を目にするのだった・・・。

(つづく)

レストランのスタッフに
カード・キーを見せると
不機嫌そうな顔で
「モスクワね」
と呟かれ、
ある方向を指差した。
そこには
ビュッフェ・コーナーが見えた。

何種類かの食事を
選択できたのだけれど、
どれも食欲をそそらない。
鶏肉、牛肉、豚肉、野菜・・・。
肉ものは
どぎつい色付けがされている。
雑にカットされた野菜は
時間が経ってしなびていた。
素材は安全なのだろうか?
放射能の汚染より
食品添加物の方が
マシと自分に言い聞かせ、
キャベツのソテーと
ミート・ボールを食べる事にした。

僕が
4人掛けのテーブルに座ろうとすると
レストランのスタッフが
「大きいテーブルに座って!」
と大声で捲し立てる
(怒ってないんだよね?
それが普通なんだよね?)。

僕は相席の必要のない
大きな丸テーブルに座った。
他のテーブルには
誰かが座っていたからだ。
ただ、
一つ問題があった。

そのテーブルの上には
誰かの食べ残しがあって
まだ下げられていない。
しかも、
テーブル・クロスの
あちこちが汚れている。
一気に食欲が減退。
そして、
恐ろしい事が起こり始めた。

スタッフが
他のテーブルにあった残飯を
僕のテーブルに持って来て
目の前で
食べ残しを一つの皿にまとめ始めた。
効率良く片付けたいのかもしれないけれど、
僕は食事中だ。
もう、
怒りを通り過ぎて悲しくなって来た。

フライトがキャンセルならまだしも、
自腹でホテル代を払い、
僕は
残飯を見ながら食事している・・・。

世界35カ国、
140都市を駆け巡り、
47歳でDJ生活25周年を迎えたというのに
このザマだ・・・、

実は、前夜、
僕は財布を落とし、
通った道を探しながら戻って
家に一番近くて
かなり大きな交差点の中で
それを発見するという
レアな事態に遭遇していた。

車に轢かれ
破れた財布からカード類が飛び出し、
路上に散乱していたけれど
中身は全部回収できたのだ。

俺はなんてラッキーな男なんだ!
と思っていたのに・・・。

ちなみに
食事は
全部平らげた(苦笑)。
親の躾(洗脳?)が厳しくて
僕は注文した食事を残せないのだ。
この時程
自分の性分を恨んだ事はない。

刑務所に入った事はないけれど
きっとこういうものを
食べさせられるのではないか
と獄中の生活を想像した。
味気ないキャベツに、
やたらと塩気の強いミート・ボール。
確かに何処へも行かないと決めた僕は
一泊だけ
このホテルに幽閉されるのだが。

箸を揃えて皿の上に置くと
合掌して席を立った。

(つづく)

部屋に戻ると
ネットに接続し、
メールのチェックをした。

ちなみに、
中国では
Facebookも
Twitterも
Instagramも閲覧できなかった。
Wetransferで
ダウンロードもできないのだ。

日本は確かに
右傾化が進んでいるように思える。
それでも、
まだ発言の自由はある。
なのにどうして僕達は
その加速を止められないのだろうか?

ここは
FacebookもTwitterもない社会・・・。

しかし、
同時に
僕は不思議な集中力を獲得していた。
誰が僕の投稿に興味を持っているか
という事も気にならないし、
誰かが何処で何をしているかという事に
関心を持つ事もできない。

ひたすらメールを遡り、
丁寧に返信してゆく。
ツールバーを
右往左往しない自分が
新鮮だった。

機内で寝る為に
前の日は徹夜で仕事をしたので、
睡魔が忍び寄って来た。

外出もしない事だし、
思う存分眠る事ができる。
ただ、
僕は、
夕食をどうすべきか迷った。
食べずに就寝するか、
それとも・・・。

結局、
僕は空腹に抗えず、
レストランに向かった。

昼間に
酷い目に遭ったのに、
夜は
メニューが違っているだろうと
かすかな期待を抱いて
もう一度
トライする事にしたのだ。

スタッフに鍵を見せる。
彼女が何か言おうとしたが、
僕は遮るように
「丸テーブルに
座ればいいんでしょ?」と
判り易い英語で
先手を打った。

ビュッフェ・コーナーに
並べられた
長方形の浅い鍋の蓋を
一つづつ開けて行く。
でも中身は
昼間と大して変らなかった。

僕は
見るからに乾いた白米に
白菜だけの八宝菜
(一宝菜か?)をかけ、
キャベツと人参とハムを
それぞれ千切りにしたサラダを
副菜として
皿に盛った。

そんなに遅い時間では
なかったけれど
意外に店内は空いている。
僕は
一番きれいなテーブル・クロスが
かけてある席に座り
受刑者にとっても
見窄らしいであろうディナーを
渋々口にした・・・。

(つづく)

そして、
白菜だけの八宝菜と
白米を口に入れた瞬間の事だ。
身体に衝撃が走った!

思わず
何だこの味は?
と叫びそうになった。

鶏肉から取ったであろう
中華風のダシは
コクがあって
濃厚なのに
程よい塩加減。
にんにくの香味が
ステルスに効いていて
食欲をそそる。
しかも、
唐辛子がもたらす清涼感が、
味を引き締めているのだ。

口の中に広がる
極上のハーモニーに
僕は心打たれた。

こんなに美味しい
八宝菜(一宝菜?)を
食べた事がない。
いや、
僕は
こんなに素晴らしい
中華料理を
食べた事がなかった。

化学調味料の仕業か?
それにしては、
味付けが繊細過ぎる。

白菜の旨味が噛む度に
口の中に広がる。
そして、
その繊維質までもが
舌の上で
溶けて行くような
感覚は
京都の
高級料亭で食べた
柔らかなカブを
彷彿とさせた。

僕は
その奇跡を
何度もスプーンで掬って
口の中に搔き込んだ。
少し乾いた白米に
八宝菜にかかっていた
とろみのあるスープがしみ込んで
なんとも言えない食感になっている。

正直、
最悪の事態すら
想定していたので
この感動的なギャップは
僕に至福の時を与えた。
しかも、
野菜くずにしか
見えなかったサラダも
絶品だった。
胡麻油と
塩と
胡椒を使っただけなのに、
そのバランスが完璧で、
ジューシーな八宝菜との
コントラストを際立たせる
食感が
僕を更に満足させた。

それにしても
こんな事で上機嫌になる自分が
ちょっと恥ずかしかった(苦笑)。

奴隷や兵士を
手なずけるのはきっと簡単な筈だ。
飢えさせて、
上手い飯を与えればいい。
僕は
恐ろしい妄想に取り付かれた。
食事がもたらす幸福は、
自由を剥奪する事すら
可能にする・・・。

僕は
同じメニューを反芻した。
白米の八宝菜がけと
キャベツと人参とハムの
千切りサラダを
2皿も平らげたのだ。

満たされた僕は、
もう
スタッフのサービスの質の低さが
気にならなくなっていた。
視界に入る人全員に対し、
優しい気持ちを抱けそうな気がした。

部屋に戻るとシャワーを浴び、
ベッドに潜り込み、
僕はそのまま13時間も眠り続けた。

(つづく)

普段、
4~5時間しか寝ない僕が
北京で
思わぬ休養を取る事ができた。

翌日の
朝食は、
焼きそばにパンという
不思議な選択をしてしまった
(それしか食べたいものがなかった)。
昨夜とは打って変わって
何の変哲もない味だったけれど、
ディナーの記憶が強烈過ぎて
失望しなかった。

あれは一体なんだったのだろうか?
未来の天才シェフが
見習いで働いていて、
誰かの代役で
急遽、調理を担当させられたとか・・・。

チェック・アウトする際に、
女性スタッフが
11時20分に
シャトルバスが到着するから
それに乗って
空港に戻るように
再度伝えてくれた。
彼女が
かすかに微笑んだような気がした。

10分前に外に出る。
バスが早く到着して
せっかちな運転手が
20分になる前に
出発してしまうかもしれない。
十分に起こり得る。

すると、
ホテルの男性スタッフが
僕に向かってこう言った。
「まだ10分ありますので、
中でお待ち下さい(実際外は寒かった)。
バスの到着を
お知らせしますので」
と・・・。

中国人の話す英語だから、
正確なニュアンスは
掴めなかったけれど、
気の効いた話し方に思えた。

あの素晴らしい食事の後、
世界は変ったのだろうか?
それとも僕が・・・。

シャトル・バスが
発車する。
空港へ向かう間、
乗り込んで来た
5、6人の労働者風の男達と
運転手が
ずっと冗談を言い合っていた。
豪快な笑い声が
車内に響き渡る。
彼は
僕をホテルまで送ってくれた男と
同じ人物だろうか?

僕は
車窓越しに
北京空港の管制塔を眺めながら、
中国のどこかにいるかもしれない
無愛想ではなく、
短気でもなく、
無神経でもない
誰かに思いを馳せた。

中国国内での
サービスの
アベレージの低さに対する考え方を
変えるつもりはなかったけれど、
全員が
ろくでもない
と思う事は
止めようと思った。

実際に
AIR CHINAの
北京-モスクワ間の
フライト・アテンダンスも
他社と遜色なかったし。

僕をケアしてくれた
刈り上げで
ザンギリ頭の
女性乗務員の
勤務中の振る舞いは
実にクールで洗練されていた。
そして、
僕達を
機内から送り出す時は
満面の笑みで
皆に挨拶してくれた。

モスクワの気温は
マイナス7度だったけれど
外気の寒さは
それほど気にならなかった。
むしろ僕は
胸の奥の方で
くすぶる灯火に
芯から
身体を温められているような
錯覚を
感じてすらいた。

一部で
民主化の危機が
懸念されるロシアに
Facebookも
Twitterも
使えない国から
大勢の旅行者が到着する。
静かな行進の開始だ。

僕は多くの中国人乗客に紛れて、
同じペースで
入国審査場に向かった。

(おわり・・・)













































































と思ったのだが、
その後、
入国審査の行列で
ハプニング発生・・・。

審査官が1人増え、
新しい窓口がオープンすると
大勢の人が
そこに向かって
猛ダッシュで移動した。

ところが
順番の事で中年中国人男性と
中年中国人女性が口論を始め、
しまいには握り拳で
互いの顔面を殴り始めたのだ!

長身の男性
(多分ヨーロッパの人だろう)が
止めに入って治まったものの、
そのもの凄い剣幕に
恐怖すら感じた。

あれは夫婦だったのかな?
いや、
でも家族が順番で揉めないよなぁ・・・(苦笑)。

やっぱり、
あの人達、
どうかしてるよ。






PS
そう言えば、
ロシアの入国時と出国時の
審査の遅さは異常
(ルーペを使って
パスポートを調べたりする人もいるのから)。
僕の経験でしかないが、
あれは世界最低レベル。
ついでに言っておくと、
日本の入国管理局の職員は
絶対に英語を話さないらしく、
僕の知人曰く、
あれは日本に住む外国人の
日本に対する印象を悪くしているから
改善した方がいいと・・・。
どこの国にも
短所があり、
長所がある。






PPS

モスクワと
サンクトペテルブルグのギグは
どちらも大盛況だった。
共に会場は小さかったけれど、
美女達が大挙押し寄せ
僕のDJプレイに大興奮してくれた。
男性陣もとてもフレンドリーで
5年振りのロシアは
(サンクトペテルブルグは11年振り)
最高に楽しかった
(ギグが成功していなかったら
このブログ書かなかっただろうな)。

会場はともに
スタイリシュなレストランで、
バーが併設されていた。
モスクワは一角にDJブースが作られ、
サンクトペテルブルグは、
入り口に近いバーの端に、
DJ用の機材が
一式セッティングされていた。
ロシアでも
僕の音楽を聴きに来る人は
食事も楽しみたい大人層のようだ。
クラブではない場所に、
ダンス・ミュージックの需要が
押し寄せている。