還暦を祝して久しぶりに中学の同窓会が開催された。卒業から45年、そのとき以来の再会もある。皆「気分は中学生」に戻ったような表情だった。

 私の母校は4つの小学校からきた卒業生が集う中学校で、3クラスあり最大で135名いた。1クラス平均45名で、今では多く感じるかもしれないが、当時は最も少ない学年であった。今回の参加者は50名と恩師1人。区切りの年であり、遠くからわざわざ駆けつけてきた友人もいて、大盛り上がりとなった。

 私は幹事の一人として企画側に立ち、当日は司会進行の役をさせてもらった。 
 はじめに物故者の紹介。2人の早世があったのは大変残念だが、紹介すると皆寂しそうに黙祷しながら、その方の表情や思い出を日々を振り返って共有していたように思う。

 次に恩師からの話。今回は高齢を迎えられたり、所用のため3人の方の参加はかなわなかったが、参加していただいた恩師は、県南から当日、次の日と用事があるにもかかわらず、強行スケジュールで駆けつけていただいた。ありがたかった。現在の生活とあの頃の思い出を感慨深く話してくれた。
(この恩師は当時新任の先生で、私たちが最初の教え子、強く印象に残っていただいておられていた。今回同席がかなわなかった奥様も私たちの恩師であり、私たちが3年生当時の担任と副担任で、運動会でお二人の結婚という大胆な仮装を準備した企み事が直接のきっかけで見事ゴールインされたのだった。)

 乾杯後、参加者全員の一言を設定。人数が多く、吞み始めると収拾がつかなくなるので、名前を一人ひとり名簿順に紹介し、一人30秒以内でマイクを使って一言話してもらうことにした。次々と進む中、皆は「え~!」「あ~!」としっかりと耳を傾け、その人を注目しながら笑顔で聞いてくれていた。そして、残念ながら今回出席がかなわなかった方20名ほどのメッセージを読ませていただいた。

 その後は自由な談笑タイム。円卓で各自の席はあるが、ほとんどの人は動いて立ち回っていた。次々と声をかけ、懐かしそうに思い出を振り返りながら、互いの生活や仕事、家族のことなど卒業から現在までのことを楽しく語り合った。私にとっても45年ぶりに再会した友人もいたが、その間のブランクも話し始めてあっという間に解消。15歳の青春時代の自分たちに戻っていた。また、当時ほとんど話をしたことのない者同士もすぐに打ち解けていた。

 ほとんどの人は1次会が終わっても名残惜しそうに声をかけ合い、2次会以降へ流れていった。私も一緒に行ったが、途中で帰宅した。あの後もかなり遅くまで盛り上がっていたらしい。タクシーが少ない田舎の町、どうやってそれぞれ帰宅したのだろう?・・・。

 同窓生・クラスメイトっていいものだ。人生の一生の財産だと思う。

 以前もこのブログで書いたことがあるが、懐かしく、何かホッとさせる言葉の響きがある。会えなくなって数十年以上経っても、こうやって同窓会を開くことで共通の思い出を振り返ることができ、身近にいるような存在に感じられる。それぞれ日常の中でのストレスを抱えながら生きているが、一瞬にして吹き飛んでしまう。お互い気を遣わず、自然に理解ができ、仲間意識がよみがえる・・・。

 当時の生徒会長を中心に、7人の幹事で今回は私もその中の一人として企画させてもらったが、大変充実したイベントであった。勝手に思うが、大満足のひと時だった。幹事の皆さん大変おつかれさまでした。ありがとうございました。

 同窓会、あと何回開くことができるだろうか?またいつか会えるだろうか?地元に残った一人として、日本各地で生活をしている同級生がいることを想いながら、またいつかこのイベントにかかわり、美しい思い出を共有できたらと思う。

 先のことを考えて生きてきた。夢を常に追いかけながら。

 子どもの頃から将来の自分の姿を思い描いていた。なりたい職業、都会での生活、独り暮らし、そして結婚、子育て・・・。常に私の視点は先の未来のことだった。

 もちろん、その時々を楽しみながら生活はしてきたとは思うのだけど。でも、そうした中でも数日後、数か月後、数年後のことをいつも考えているのだった。

  教員という仕事に就いていたときもそうだった。年度が始まった4月の段階から年間の計画を思い浮かべ、1年後どんな形で終わるかを思い浮かべていた。

 さらには30歳,40歳,50歳代となった自分を想像し、どんな生き方をしているかを模索していることが多かった。究極的には、定年退職後のゆったりした生活まで考えていたことがある。

 それが二男の誕生から、いつの間にか少しずつ変わってきた。

 重度の知的障害を持って生まれてきた二男の成長に寄り添い、ゆっくりと見つめることによって感じたことだった。知的障害のない人が急行列車のようにあっという間に通り過ぎていく人生の道のりを、自転車や散歩のようにゆっくりと時に立ち止まり、後戻りしながらも見えてくる風景があることに気付いた。

 それは命の尊厳であり、この子の成長を見つめる喜びであり、純粋な心であった。

 そうしたことを理解したとき、今(現在地)を楽しみながら生きていくことが大切なのだということに気付いた。私の中で様々なことをとらえる視点が変わっていった。

 今を見つめることにより、いろいろなことが見えてきた。ふと立ち止まると、少しでも変化したことを見つけることができる。皆いつも同じ状態ではないことに気付く。

 畑ではよく種まきの時から収穫時を思い描く。当然最終目標である収穫のことを思い浮かべ、楽しみにする。でも、毎日野菜の成長する「今」を見つめることにより、その変化を感じ喜びとなる。そうしたことを考えながら収穫の時を楽しみにすることで収穫がもっと楽しいものとなった。

 たとえ仕事や対人関係に躓き、今が苦しいとストレスを感じる時も、「人生にとって大切な試練の時、自分の学びの時」と捉えなおすことで、ポジティブに物事をとらえることができるようになってきた。

  私たちは確実に「今」を生きている。だとすると、私は過去にとらわれ過ぎたり、未来を待ち焦がれ過ぎ、思い悩んだりしてして、今この瞬間を見逃すことはしたくない。

 還暦を迎えた現在の私。のんびりとした気持ちで、「今」という人生の中の途中の景色である大切なこの瞬間を眺め,

楽しみながら毎日を充実して生きていきたいと思っている。

  子どものころから学ぶことは好きだった。

 特に、新しいことを知ること、わからないことが理解できるようになること、できるようになることに喜びを感じてきた。

 中でも知識を身に着け、覚えることは好きだった。そのため、社会での地図の地名や産業での統計、特徴など図鑑を読みながら勝手に覚えていた。理科では生き物の特徴や宇宙の仕組みに興味関心を持ち、いろいろななりたい仕事に思いをはせていた。
 読書も好きだった。日本の歴史の中にタイムスリップしたり、物語の中で自分が登場人物となり、一緒に冒険できるからだ。ただ、かなり飛ばし読みをしてしまう傾向はあったが。


 でも、宿題は大嫌いだった。漢字や計算ドリル学習など、毎日同じようなことを繰り返し、したいことではなかった。日記も嫌いだった。
 特に低学年の頃は細かい部分をしっかりと見ることが苦手な私は、漢字学習で鏡文字を書き、はねや止めもうまくできず、線が多かったり少なかったりしたから、常に修正され、叱られていた。
  算数は好きであったが、位取りがうまくいかないことも多く、落ち着きがないために早く終わろうとしてミスが多かった。計算には苦労していたし、同じような問題を何度もさせられることに嫌気はさしていた。

 私の学生の頃は暗記することが中心の学習だった。そのため、短期記憶として詰め込んで一気に覚えることに一生懸命になった覚えがある。それが学校での勉強だった。

 受験は合格することが第一であり、本当の意味で学ぶことではなかった。だから、大人になってから数学や英単語、化学式などはほとんど覚えておらず、いったい現在の自分にとって何に役立っているのか実感はない。

 何とか大学に合格したが、大学の講義はほとんど自分の中には入っていない。教育学部へ入学し、教員としての一般教養や教科の知識、指導技術などを受講し、頭に入れてはいたものの、実際に学んだのは教員になってからのことがほとんどである。

 はっきり言って、大人になってから学んだことのほうが自分の身についている。

 実際に小学校教諭として子どもたちに接してきて、理論は大切だけれども、それだけでは全く歯が立たなかったからだ。だから、仕事の上でも教員になってからのほうが必死にしっかり勉強したのだと自分で振り返って思う。
 学ぶべきものが目の前にあると必死になる。学習指導法、授業の進め方、子どもの理解はここから学んだ。退職するまで学びの連続だった。でも、今でも振り返って思うにまだまだ十分ではなかったと思っている。
  研修会には自分の希望するものには積極的に参加した。とにかく力をつけたかった。極めたかった。学ぶことで自分の身についていくことに喜びを感じた。

 特に、二男が生まれて特別な支援を必要とする子どもや障害があるといわれる方々へのことを学ぶ中で、特別支援教育の世界に身を置くことになってからはかなり積極的に学んだと思う。障害者福祉について学ぶ入口に立った。その時、その先に自分の目指すべきものがあると感じた。そして、現在は相談支援専門員3年目。その学びの現在進行形の中に今の自分がいる。

 「勉強しなさい」「宿題は?」とよく親は言ってしまう。人生の先の方を生きてきて、この子のことを考えるとしっかりと身に着けてほしいと願うからだ。でも、実際子どもにとって必要に思えないこと、興味関心がわかないことをさせられると苦痛でしかない。そうした子は勉強嫌いとなってしまう。

 誰にでも得意・苦手はある。全体的に万遍なくできるようになることは理想だが、ほとんど無理というもの。得意なこと、好きなことに時間を割き、しっかり学びとして伸ばしてあげることで、子どもは自分からいろいろなことを学び始めていくと感じている。

 今年還暦を迎えた。一昔前ならば定年を迎える1年となる。老後の余生?を考える時期となっていただろう。でも私にはまだまだ学びたいことがたくさんある。仕事をしていく中で新しい学びは自分の財産となり、喜びに変わることを実感している。また、学びは進化していくもの。価値観や考え方の変化で変わっていく。固執し、周りに強制すると「老害」となってしまうことも自覚しておきたい。

 一生勉強!これからも楽しみながら学び続けたい。