子どものころから学ぶことは好きだった。

 特に、新しいことを知ること、わからないことが理解できるようになること、できるようになることに喜びを感じてきた。

 中でも知識を身に着け、覚えることは好きだった。そのため、社会での地図の地名や産業での統計、特徴など図鑑を読みながら勝手に覚えていた。理科では生き物の特徴や宇宙の仕組みに興味関心を持ち、いろいろななりたい仕事に思いをはせていた。
 読書も好きだった。日本の歴史の中にタイムスリップしたり、物語の中で自分が登場人物となり、一緒に冒険できるからだ。ただ、かなり飛ばし読みをしてしまう傾向はあったが。


 でも、宿題は大嫌いだった。漢字や計算ドリル学習など、毎日同じようなことを繰り返し、したいことではなかった。日記も嫌いだった。
 特に低学年の頃は細かい部分をしっかりと見ることが苦手な私は、漢字学習で鏡文字を書き、はねや止めもうまくできず、線が多かったり少なかったりしたから、常に修正され、叱られていた。
  算数は好きであったが、位取りがうまくいかないことも多く、落ち着きがないために早く終わろうとしてミスが多かった。計算には苦労していたし、同じような問題を何度もさせられることに嫌気はさしていた。

 私の学生の頃は暗記することが中心の学習だった。そのため、短期記憶として詰め込んで一気に覚えることに一生懸命になった覚えがある。それが学校での勉強だった。

 受験は合格することが第一であり、本当の意味で学ぶことではなかった。だから、大人になってから数学や英単語、化学式などはほとんど覚えておらず、いったい現在の自分にとって何に役立っているのか実感はない。

 何とか大学に合格したが、大学の講義はほとんど自分の中には入っていない。教育学部へ入学し、教員としての一般教養や教科の知識、指導技術などを受講し、頭に入れてはいたものの、実際に学んだのは教員になってからのことがほとんどである。

 はっきり言って、大人になってから学んだことのほうが自分の身についている。

 実際に小学校教諭として子どもたちに接してきて、理論は大切だけれども、それだけでは全く歯が立たなかったからだ。だから、仕事の上でも教員になってからのほうが必死にしっかり勉強したのだと自分で振り返って思う。
 学ぶべきものが目の前にあると必死になる。学習指導法、授業の進め方、子どもの理解はここから学んだ。退職するまで学びの連続だった。でも、今でも振り返って思うにまだまだ十分ではなかったと思っている。
  研修会には自分の希望するものには積極的に参加した。とにかく力をつけたかった。極めたかった。学ぶことで自分の身についていくことに喜びを感じた。

 特に、二男が生まれて特別な支援を必要とする子どもや障害があるといわれる方々へのことを学ぶ中で、特別支援教育の世界に身を置くことになってからはかなり積極的に学んだと思う。障害者福祉について学ぶ入口に立った。その時、その先に自分の目指すべきものがあると感じた。そして、現在は相談支援専門員3年目。その学びの現在進行形の中に今の自分がいる。

 「勉強しなさい」「宿題は?」とよく親は言ってしまう。人生の先の方を生きてきて、この子のことを考えるとしっかりと身に着けてほしいと願うからだ。でも、実際子どもにとって必要に思えないこと、興味関心がわかないことをさせられると苦痛でしかない。そうした子は勉強嫌いとなってしまう。

 誰にでも得意・苦手はある。全体的に万遍なくできるようになることは理想だが、ほとんど無理というもの。得意なこと、好きなことに時間を割き、しっかり学びとして伸ばしてあげることで、子どもは自分からいろいろなことを学び始めていくと感じている。

 今年還暦を迎えた。一昔前ならば定年を迎える1年となる。老後の余生?を考える時期となっていただろう。でも私にはまだまだ学びたいことがたくさんある。仕事をしていく中で新しい学びは自分の財産となり、喜びに変わることを実感している。また、学びは進化していくもの。価値観や考え方の変化で変わっていく。固執し、周りに強制すると「老害」となってしまうことも自覚しておきたい。

 一生勉強!これからも楽しみながら学び続けたい。

 相談支援専門員として2年半になる。
 特にこの1年で自分のスタイルが決まってきたように思う。自分なりの現在の大まかな生活をふりかえってみた。

 一日の流れ・・・・・・・・・・。

 自宅横にある事務所に入り、パソコンを立ち上げてから朝8時勤務開始の前にウオーキング、約30分。ぼーっとしていたり、その日のスケジュールを頭の中でシミュレーションしたり、周りの風景を眺めたりしながらウオーミングアップ。仕事が詰まっていることもあるが、できるだけ確保している。慌てたってしょうがない。

 事務所についてからは一日の予定を書き出し、必要な文書を準備、ラジオ体操。そしてモニタリング等の文書作成。10時くらいまでのこの2時間が最も事務仕事がはかどる。

 10時くらいになると取材に出かけることが多い。事業所訪問をして聞き取りをし、利用者の様子を見に行く時間となる。

 昼食は予定が推していなければ自宅で。妻と二人で昨日の残り物など、簡単に済ませている。昼休みは自宅のニワトリの世話も大事な仕事。

 午後はまた、事業所や家庭の訪問、事務仕事等その日の予定に沿って行動。訪問は多い時は3~4か所くらい回ることもある。その際は先方の都合に合わせて1時過ぎ~夕方5時過ぎくらいになる。利用者や保護者の帰宅に合わせた自宅訪問もする。事務所で相談者の訪問や電話対応もある。

 勤務終わりは17時30分だが、その日の仕事の具合で異なる。早く終われば4時前に終了。その際は自宅横の畑に行ったり、夕方のウオーキングに出かけたりしている。遅い時には6時半くらい。気持ちのノリにも左右されている。(個人事業主であるから、誰にも咎められない)

 ひと月の流れ・・・・・・・・・・・・。

 月の上旬が勝負の時。サービス等利用計画案の更新の方の文書提出期限が中旬に設定されているので、その仕事が最優先。取材を一気に行い、作成をしていく。モニタリング報告だけの文書を作成するのと異なり、1~3年分の計画を立てるのだから提出文書量が多く、最もハードである。残業も多く、休日仕事もすることがある。

 その提出が終わると、ホッと一息。場合によっては一日休日を設けることもある。

 中旬の10日間はほぼモニタリング文書の作成が中心。この2年半でずいぶん慣れてきたので、がんばって詰めれば一日に8人ぐらいの方の文書はできあがるようになった。でも手抜きはしていないつもり。集中するとくたびれるので、途中気分転換にウオーキングを入れながら頭を冷やすこともしている。20日までにできるだけその月のモニタリングを完了させることを目標としている。

 下旬の10日間はサービス担当者会議を企画。モニタリング等のサインをもらって自治体へ提出する期間でもある。担当者会議は中旬ごろから利用者の就労や生活介護の事業所、居宅介護、グループホーム等へ事前に連絡を入れ、スケジュール調整をして行う。司会進行も当然行う。これが大変!

 また、この期間は翌月のスケジュール立てる時でもある。モニタリング予定者の数と事業所への連絡をし、都合を聞きながら少しずつ予定を立てていく。

 こうして私なりのこの仕事のサイクルができている。でも当然のことながら突然の予定や計画の変更、相談があり、他の仕事(民生委員、地域の障害者団体の事務等)が入ってくることもある。それらも最優先で取り組んでいきたい。

 ハードであると言えばその通り。でもやりがいとやる気も感じているから、充実している。適当に休みも入れている。無理はしすぎない。

 責任は大きいのだが、楽しみながらやらなきゃなあ!自分に余裕がないときちんとした支援はできないと思っているから。

 「今日も一日ようがんばったやん!」。夕方事務所の施錠をして自宅に入る前に、夕暮れの空を眺め、畑の野菜を見つめ、ニワトリに声をかけて小屋に入れながら、自分に話しかけている。

 

 通級指導教室を8年間担当した。その間100人以上担当してきたが、20人ほどの子どもの言葉の通級指導も兼ねていた。

 ことばの通級指導教室とは、構音に課題があり、言葉をうまく発することが困難な小学生がその改善に通う教室である。はっきり言えば医療分野でのST(言語聴覚士)の役割を学校の先生が担うものである。

 通級指導教室は数種類あり、子どもの困難さに合わせて細分化されている。LD・ADHD傾向の子どもたちの通う教室もあれば、自閉的傾向を示す子どもたちの教室がある。また、それらとは別に言葉の発達に課題のある子どもが通うのがことばの通級指導教室なのだ。

 私の住む自治体は人口2万人程度のとても小さな自治体なので、私の担当した当初は「何でもあり」だった。それぞれが少数であり、とにかく困難を抱えている子どもの指導を余儀なくされた。それぞれの特性に合わせて指導を行っていくのだが、とりわけ言葉の指導は難しかった。

 言葉の発達に課題のある子どもとは、
 ①  発音がはっきりしない
  ・つくえ→ちゅくえ、かさ→かた、等の置換。
  ・発音するときに歯と歯の間から舌が出る。(歯間化構音)
  ・発音するときに音が歪んだような音になる。(側音化構音 口蓋化構音など)
    ・口唇裂や口蓋裂等の生まれた時からの機能的な問題。
 
  ② ことばが詰まる(吃音傾向)
   ・「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは~」とか、「わーーーたしは、」等
 

 ③使える言葉が少ない(語彙力の低さ)
 ④ことばによるやり取りが通じにくい(会話力の不足)

等がある。

  幼児期はそこまで本人も感じないが、小学校に入学すると自分でも気づくことになり、周りからの指摘も多くなる。自分でも改善しようとするが、なかなか難しいため、訓練が必要となってくる。

 1対1であるため、来室当初は関係作りが大切なカギとなる。言葉を発することに自信をなくしていたり、口や舌を見せたりするのだから、どれだけその子の心をつかみ、やる気を引き出し、信頼してもらえるかがポイントとなる。また、訓練とはいっても、教育の中に位置づけられているので、指導技術をしっかりと習得し、遊びを取り入れながら楽しめるような内容、児童自らが気づき、改善したいと思うような気持ちにさせていくことが必要となってくる。

 また、吃音傾向のある子どもについては、そのほとんどが解消することが難しいので、「自分に合った出し方を少しずつつかむ」「楽な気持ちでどもることも大切」「どもることは悪くない」とポジティブに構えることを助言し、訓練をしていく。

 出なかった音が出せるようになり、改善へ向かっていく表情を見た時はかなり嬉しい。やってきてよかったと心から思う。やりがいを感じる時であった。

・・・・・・・・・・・
 令和6年度で、本県のことばの教室の先生方を導いてこられた方が一線を退くということを耳にした。
 この方は小学校教諭として現役時代は長年特別支援学級を担当してこられたが、いつの頃からか言葉に課題のある子どもの改善をライフワークとして取り組まれるようになったと聞く。そして退職後は、ボランティアとして講師料も交通費も取らず、本県の研修会の講師として20年ほども尽力された。

 

 私が電話で相談すると遠くから時間を取って駆け付けてくれ、具体的な助言をしてくれた。県内至る所にも出かけられていたと聞く。その生き方は現在の私にも多大な影響を与えてくれている。・・・尊敬しています、本当にありがとうございました。

 少しかじっただけかもしれないが、現在は相談支援専門員として幼児・児童の担当になった時にこうした経験から気づき、保護者にも伝えることがある。その際は言葉の発達過程を話し、焦らないことを伝え、療育施設やST、学校への橋渡しも行っている。

 8年間の間に学んだことも私にとって大切な財産。こうした財産を基に、私は現在の自分の立ち位置を自覚し、人生を楽しんでいる。