常に予定を意識して過ごしてきた。見通しが持てないことに対して不安を持って生きてきたから。

 明日の予定は?今週は?今月は?常に考えていた。そうしたことを考えながらほとんどの人生を生きてきたのだと近頃つくづく感じる。

 小中高の学生時代、いつも予定は頭の中にあった。決められたスケジュールの中で、その日一日の予定を考えながら楽しみを持って過ごしたいと思い描いていた。その中である程度見通しを持って過ごせてきたように思う。

 ただ、大学生になると、受ける講義も自分で、1週間の過ごし方も自分で決めることを迫られるようになった。一人暮らしをする中で思うような予定が組めず、何もすることがないと感じることも多く、暇をもてあまし、レポートなどの締め切りなどに追われるようになった。見通しが持てず、かなり苦労しながら過ごしたという思い出がある。

 教員として送ってきた日々は安定していたのかもしれない。年間予定と月行事、学習の予定と共に生活していたから。ただ、その中で常に追われていることを実感していたが・・・。先の見通しを持つことができるので自分の中では安心感は感じていた。

 でも、それらのほとんどは自分で決めたものではなく、決められていたことだった。そうした生活が34年間続き、しみついていた。

 3年ほど前から障害のある方の相談支援専門員。生活が一変した。

 積極的に自分で予定を立て、行動しなければならないのだ。


 事業所や担当となっている利用者の方との面談や様子を見に行く計画を組むためのスケジュールを自分で立てて日時を調整しなければならない。
 初めの頃は何とかなった。月当たりのモニタリング等を行う利用者数が少なかったのでしっかりアポを取り、日取りを決めて面談することに新鮮な喜びを感じた。自分で仕事をマネジメントしているということへの気持ち良さがあったからだ。スケジュールノートに書き込むときにも、この仕事へのやりがいを感じている。

 しかしながら月当たりの利用者数が20人を超えたあたりから、かなり大変な仕事だと思えるようになってきた。締め切りがあり、いつまでに文書を提出しなければならないのかを頭に入れ、予定表を睨みながら案を立て、電話でアポを取り調整していく。午前中か、午後か、はたまた夕方以降になるのか、場所は?前後の自分の予定は?ということも考慮しなければならない。一度詰め込んで1日に5か所程の訪問を組んでしまった時にはかなり疲弊した。

 また、特に「サービス担当者会議」という会議の企画の際には、本人(保護者)・利用事業所職員や関係者(学校・保育園、行政等)が一堂に会することができるようにしなければならない時もある。4者以上になるとかなり大変である。

 正直に言うと、あってはいけないことだがメモのミスで約束の時間帯や場所を間違えていたり、すっ飛ばしてしまっていたり、ダブルブッキングをしてしまったり、連絡確認ができてなかったりしたこともある。その度に大反省をし、謝罪した。対策を講じることに一生懸命になった。今ではほとんどなくなってきたが、それでも時折やってしまうことがあるのは申し訳ない。

 スケジュール管理してくれる「マネージャー」がほしい・・・。切実な思いだが、個人企業であるのでそれは無理。たぶんスマホで管理できるソフトがあるのだろうが、まだよくわからず使いこなせない。

 やりがいを感じながらも、不安はある。でも何とかなると楽観的に捉えてもいる。

 私の格闘の日々は続く・・・。


 

「あなた方は地の塩である」(マタイによる福音)

 最近この言葉に強くヒットした。新約聖書にあるものだが、塩の役割と人としての役割をイエス・キリストが「山上の説教」で話した、信者にとってなじみのある言葉である。

 同じ説教の中で一緒に言っている言葉に「あなた方は世の光である」という言葉もある。

 最初はこの言葉にヒットした。自分を世の光として捉えるならば、何か与えられた役割があると感じたから。また、人はみな役割があり、その人を通して何かを得られる光があると思うことが、生き方の転換点となった。この言葉によって自分のその後の人生を導かれたと思っている。

 それから20年以上が経過し、同じ「山上の説教」の中のこの言葉に改めてヒットした。
  
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。・・・。」

 この中で「地」は私たちが生きているこの世界のこと。また、「塩」は様々な役割を持つ大切なもの。調味料として味付けになくてはならないものであり、食べ物を保存し、腐るのを防ぐ保存料、防腐剤としての役割、厄払いするという汚れを清める役割を持つ。
  

 また、塩はこの世にあって、生き物にとってなくてはならないもの。体の中の水分量を調節し、食べ物の消化を助けたり、細胞を守ったりして体の状態を整える大切なはたらきをしている。
 そしてまた、貴重な働きをしているだけでなく、その働きは地味で目立たず、誰の目にもとまらない。
派手さもなく、華々しさもないが、その働きは非常に貴重な存在、なくてはならないもの、それが塩。解説文にそうしたことが記載されていた。

 私は「地の塩」としての役割を持って残りの人生を生きていきたいと思った。

 これまで私は自分の人生を探し求めてきた。もちろん今でもこの先もずっとその途中であると思っているけれども。その中で自分に与えられた役割(教員・相談支援専門員・民生委員・父親など)を少しずつ自覚できるようになってきた。

 

 塩としての役割を自覚し、前面に出ることは控えながら自分の味(個性)を生かして今の仕事を行いながら人と接し、支えていく。そうすることで自分の立ち位置を定めていくことが大切だと感じる。

 ピリッと刺激のきいたトウガラシやコショウなどのスパイスでなくていい。メインの味付けでなくていい。でもなくてはならないもの。あくまで脇役であって良いのだ。

 自分の人生の中では、紛れもなく、自分自身が主人公。

 でも関係する他の人の人生の中では当然のことながら私は脇役。その一方でその方にとっての地の塩としての役割を持たせてくれるとしたら、最上の喜びである。

 最近こうしたことを考えながら日々を過ごしている私である。

 

 私が家庭菜園を始めたのは、30代になってからのこと。

 当時は小学校の教員をしていたので、毎年学級園で子どもたちと一緒に土に向かって野菜作りや花づくりをするのが好きだった。自分でしてみることに憧れはあった。でも実家は漁師で、畑にできる土地もなく、自分一人だけでやってみたことはなかった。    

 30年ほど前、借家の庭の余った箇所を一坪ばかり、クワで耕しキュウリやミニトマトを植えてみたのが最初だった。でもすぐに虫に食われ、肥料不足や酸性土壌の改良がうまくいかなかった。一応少しはできはしたのだが、収穫はほんのわずかだった。

 そんな私の様子をすぐに近所の方が見つけ、あれやこれや手取り足取りしてアドバイスをしてくれた。苗や種をくれた。それ以来、かなり失敗するものの、少しずつ自己流に近い形でできるようになり、完全にはまった。学校で率先して子どもたちと一緒に取り組むようになり、学校園や学級園の野菜作りをアドバイスすることも楽しむようになった。

 その後、妻の叔母がやっていた畑を借りたこともあった。でも、家から離れていて、道路から畑へ入るまでの道も草ぼうぼう、道づくりから始めなければならなかった。また、おまけにイノシシが頻繁に出没し、あっという間に荒らされたのでしばらく格闘後、断念。

 20年前、今の場所に家を建てた。運よく隣の畑地(一反の半分より少し広いくらい)を無償で借りてやってみないかという話題になった。以前からうまくいかないことも多々あったので少し躊躇したが、家の横だし、毎日見ることができるということもあって思い切ってやってみようと思った。しっかりはまるためにお金をかけて小型の耕運機(管理機)や草刈り機を購入した。それまで畑として栽培されていた隣のおばちゃんの指導を受けることもできたこともあって、一気にやる気が出た。

 やってみると、土の改良や雑草の草取りがなかなか追い付かず、大変!また、教員というハードな仕事をしていたものだから、毎日見には行っていてもたいした時間が取れず、いろいろなことを見落としてしまい、うまくいかないことの方が多かった。大雨や日照りにも悩まされた。イノシシ除けに鉄柵をしたが、それでも侵入されたり、イタチ、アライグマなどから荒らされることもあったので、断念しようかとも考えた。

 そういうことを繰り返し、毎年失敗をしながらも何とか少しずつではあるが、収量が増えていった。近所の方からもコツを聞きながら形になり始めてきたのだった。

 でも、毎年かなりの失敗はしている。前の年うまくいったからと思っていても次の年は全然ダメだったりする。最近はモグラが住み着き、トマトやエダマメが全滅させられたこともある。虫の被害も多い。

 現在栽培している作物は年間60種類くらいある。家族が食べるためにはほんの少しずつのスペースでいい。でも作りすぎると誰かに食べてもらいたい、喜んでもらいたいという思いももたげてくる。それも楽しい。

 食の安全を考えると、農薬は決して使いたくない。虫が付いたりするのはある程度覚悟している。それも自然の中でたくましく生きる「命」をいただくこと。
 肥料は自然の物にこだわり、化学肥料を入れることもしたくない。妻には「自然農法」「無耕栽培」もやってみてはと言われてもいる。今のやり方で安定できたら、そのうちやってみたい。 

  人生まだあと30年以上は生きていくつもり。できれば親父のように最後の最後まで畑での栽培に携わって土と共に過ごしていたい。

  そのためには心身ともに健康でいなくちゃなあ!


 還暦をを控え、そんなことを考える現在の私である。