織田信成 現役引退 お疲れ様でした | フィギュアスケート研究本

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フィギュア 織田が現役引退

12月24日 23時58分 NHK

フィギュアスケートの織田信成選手が、ソチオリンピック出場を逃したことを受けて来月の四大陸選手権への出場を辞退し、現役を引退しました。

織田選手は23日までさいたま市で行われた全日本選手権の男子シングルで4位に終わり、ソチオリンピック出場を逃しました。
ことし1月に今シーズンかぎりで現役を退く意向は示していましたが、24日、記者会見で「オリンピックの代表になれず若い選手も強くなっている。今が引き際だと思った。幸福に満ちあふれたスケート人生でした」と述べ、来月行われる四大陸選手権への出場を辞退し、全日本選手権を最後に現役を引退しました。
大阪府出身の織田選手は26歳。
初めて出場した3年前のバンクーバーオリンピックでは演技の途中で靴のひもが切れるアクシデントがありましたが、7位入賞を果たしました。
織田選手は今後は指導者を目指すということで、「自分がオリンピックの金メダルに届かなかった分、若い選手の指導に力を入れて頑張っていきたい」と話しています。

信成 引退表明「涙が印象的なスケート人生だった」

エキシビション

 フィギュアスケート男子で10年バンクーバー五輪7位の織田信成(26=関大大学院)が24日、現役引退を表明した。

 既に今季限りでの現役引退を決めていたが、全日本選手権のエキシビション出演後、氷上で涙ながらに「きょうをもちまして現役から退くことを決意しました」と報告した。全日本で4位に終わってソチ五輪、世界選手権代表をともに逃したことで決断。戦国武将・織田信長の末裔(まつえい)として注目された26歳は今後、指導者を目指す。涙もろいことで知られる織田の競技者としての“辞世の句”は「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」で「涙が印象的なスケート人生だった」と振り返った。

[ 2013年12月25日 05:30 ]スポニチ

織田が引退表明…四大陸選手権を辞退、指導者へ/フィギュア

2013.12.24 21:20サンスポ

 フィギュアスケート男子でバンクーバー冬季五輪7位の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を表明した。さいたまスーパーアリーナでエキシビションに出演後「きょうをもって現役を退く決意をした。ソチ五輪代表になれず、今が引き際だと思った。幸福で満ちあふれたスケート人生だった」と涙ながらに話した。

 四大陸選手権(来年1月・台北)の出場は辞退し、補欠の無良崇人(岡山国際リンク)が繰り上がる見通し。今後は母の憲子コーチの下で後進の指導にあたり「目指すのは五輪の金メダル。自分が届かなかった分、若い選手(の指導)に力を入れたい」と抱負を語った。アイスショーでの活動も視野に入れるという。

 織田は大阪府出身で、戦国武将の織田信長の末裔。2005年に世界ジュニア選手権王者に輝き、08年に全日本選手権で初優勝した。2児の父は今季限りでの引退を表明してソチ五輪代表最終選考会だった全日本に臨み、4位に終わった。(共同)


エキシビションの最後に引退を表明し、涙の織田信成(手前)。右は村上佳菜子、左は浅田真央=24日、さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ(撮影・大里直也)


エキシビションの最後に引退を表明し、涙の織田信成(手前)。しのぎを削ったライバルらの拍手で送り出された。後列左から、羽生結弦、高橋大輔、町田樹、小塚崇彦=24日、さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ(撮影・大里直也)


エキシビションの最後に、引退を表明し、高橋大輔(左)と抱き合う織田信成(右)。左から、羽生結弦、町田樹、小塚崇彦、浅田真央=24日、さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ(撮影・大里直也)


エキシビション後に引退を発表し、浅田真央(右)と村上佳菜子に花束を渡され涙ぐむ織田信成=さいたまスーパーアリーナ


エキシビション後、引退を発表した織田信成(左端)を抱きしめる高橋大輔ら=さいたまスーパーアリーナ


エキシビション後に引退を発表し、ファンに手を振る織田信成=さいたまスーパーアリーナ


引退を発表し、涙ぐむ織田信成=さいたまスーパーアリーナ


涙ながらの引退会見を行う織田信成=24日、さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ(撮影・大里直也)


会見から引き揚げる織田信成=24日、さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ(撮影・大里直也)

信成引退 鳴かぬなら泣きに泣きます

2013年12月25日デイリースポーツ

 「フィギュアスケート全日本選手権・エキシビション」(24日、さいたまスーパーアリーナ)

 全日本の男子で4位に終わり、五輪代表入りを逃した織田信成(26)=関大大学院=がエキシビションに出演後、「今日をもちまして、現役生活を退く決意をしました」と現役引退を表明した。

 戦国武将・織田信長の末裔(まつえい)としても知られた。「最初は名前ばかり注目され、抵抗があった。でも、それをきっかけにスケートを見て、応援してくれた方もいて、自分の名前も得だったのかな」と振り返った。

そして、うれしいときも悲しいときも涙を流し続けたスケート人生を、有名な「鳴かぬなら…」の句になぞらえ、「『鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス』かな」と総括した。

 織田は08年に全日本選手権で初優勝。10年バンクーバー五輪は7位に入賞した。2児の父は今季限りでの引退を表明して、今大会に臨んでいた。

 今後はコーチとして後進の指導にあたる。「五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。2人の息子たちが、もし選択してくれるなら、自分の成績を超えてほしい」と、愛息にも“未来”を託した。


花束を贈られ号泣する織田信成

フィギュア織田が引退発表

フィギュアスケート男子で10年バンクーバー五輪7位の織田信成(26=関大大学院)が24日、現役引退を発表した。

 埼玉県内で行われ、自身も出演したアイスショーの最後にマイクを持って登場し、「僕ごとなんですけど、今日をもちまして現役生活を退く決意をしました。4大陸選手権の代表に決まっていましたが、若い選手にも頑張ってほしい。違う道で頑張りたい。ファンの皆さん、スケートを愛してくれる皆さんに感謝しています。本当に本当に感謝します」と涙ながらに謝辞を述べた。23日に閉幕した全日本選手権で4位に終わり、ソチ五輪代表切符を逃していた。

 [2013年12月24日20時42分]日刊スポーツ


エキシビションでの演技終了後、感極まり涙する織田(撮影・井上学)

織田が引退表明 泣きに泣きますホトトギス

2013年12月25日 朝刊 東京新聞

 フィギュアスケート男子の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を表明した。
 全日本選手権の上位選手によるエキシビションに出演し、最後に「今日をもちまして現役生活を退く決意をしました」と報告。共に日本男子を引っ張ってきた高橋大輔と抱き合うなど選手に送られて涙を流しながらリンクを後にした。
 織田は2008年の全日本選手権で初優勝し、10年バンクーバー冬季五輪では7位入賞。ことし1月に今季限りで引退する考えを表明。ソチ五輪を目指して競技を続けていたが、出場を逃し引退を決めた。代表に決まっていた来年1月の四大陸選手権(台北)の出場は辞退する。
 織田は大阪府出身。戦国武将の織田信長の末裔(まつえい)。今後については「指導に興味がある。スケートに携わっていけたら」と話した。

◆織田一問一答

 エキシビションでは涙を見せた織田は引退の記者会見では悔いのない表情で思いを語った。

 -決断したのは。
 
 ソチ五輪代表になれず、若い選手も強くなってきている。今が引き際だと思った。

 -悔しかった大会とうれしかった大会は。

 悔しかったのは(スケート靴のひもが切れた)バンクーバー五輪。自分の演技を出せた時はどの大会もうれしかった。

 -最初は織田信長の末裔(まつえい)で注目を集めた。

 最初は名前ばかり注目され、抵抗があった。でもそれをきっかけにスケートを見て、応援してくれた方もいて、自分の名前も得だったのかな。

 -心境を「鳴かぬなら…」の句で表現すると。

 「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」。涙が印象的なスケート人生だった。

 -子どもにスケートをやってほしいか。

 自分の子どもに教える難しさは、コーチの母と20年やって痛感している。やってほしい気持ちはあるけど、それは息子たちの選択に任せたい。


エキシビション後に引退を発表し、浅田真央(右)と村上佳菜子に花束を渡され涙ぐむ織田信成

織田信成、ソチ逃し引退表明「引き際と思った」

 フィギュアスケート男子でバンクーバー五輪代表の織田信成(関大大学院)(26)が24日、現役引退を表明した。

 記者会見で織田は「今日をもって現役生活を退く決意をした。ソチ五輪代表に選ばれず、その思いを強くした。若い選手がどんどん強くなり、引き際だと思った」と述べ、今後は指導者を目指すという。

 織田はソチ五輪代表選考を兼ねた23日までの全日本選手権で4位に終わり、代表入りを逃していた。

 織田は2008年の全日本選手権で優勝。10年バンクーバー五輪は、靴ひもが切れるアクシデントがあって7位に終わった。

(2013年12月25日07時26分 読売新聞)


花束を贈られる織田(24日)=小西太郎撮影

フィギュア織田が引退表明 四大陸選手権を辞退

2013/12/24 21:26日本経済新聞

 フィギュアスケート男子でバンクーバー冬季五輪7位の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を表明した。さいたまスーパーアリーナでエキシビションに出演し、ソチ五輪代表を逃したため「きょうをもって現役を退く決意をした。四大陸選手権(来年1月・台北)代表に決まっていたが、若い選手にも頑張ってもらいたいので違う道で頑張っていこうと思う」と話した。

 今後は母の憲子コーチの下で後進の指導にあたり、アイスショーでの活動も視野に入れるという。

 織田は大阪府出身で、戦国武将の織田信長の末裔(まつえい)。2005年に世界ジュニア選手権王者に輝き、08年に全日本選手権で初優勝した。今季限りでの引退を表明してソチ五輪代表最終選考会だった全日本に臨み、4位に終わった。〔共同〕


エキシビション後に引退を発表し、浅田真央(右)と村上佳菜子に花束を渡され涙ぐむ織田信成(24日、さいたまスーパーアリーナ)=共同

フィギュア:織田信成が現役引退を表明

毎日新聞 2013年12月24日 21時11分(最終更新 12月24日 22時09分)

 フィギュアスケート全日本選手権エキシビション「メダリスト・オン・アイス」で演技を終えて涙ぐむ織田信成=さいたまスーパーアリーナで2013年12月24日、山本晋撮影
フィギュアスケート全日本選手権エキシビション「メダリスト・オン・アイス」で演技を終えて涙ぐむ織田信成=さいたまスーパーアリーナで2013年12月24日、山本晋撮影
 2010年バンクーバー冬季五輪で7位入賞したフィギュアスケート男子の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を表明した。全日本選手権後にエキシビションが行われたさいたまスーパーアリーナで記者会見し、「(ソチ五輪や世界選手権の)代表になれず、今が引き際だと思った」と語った。

 織田は大阪府出身。柔らかい足首を生かしたジャンプを武器に、日本男子の中軸として活躍した。今大会は4位にとどまり、ソチ五輪代表選考で落選。来年1月の4大陸選手権(台北)代表に選ばれたが、辞退する。

 涙もろい性格の織田はこの日、祖先とされる織田信長の性格を表した「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」との句を踏まえ、「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」と詠んで笑いを誘った。【芳賀竜也】


フィギュアスケート全日本選手権エキシビション「メダリスト・オン・アイス」で演技を終えて涙ぐむ織田信成=さいたまスーパーアリーナで2013年12月24日、山本晋撮影

織田信成、号泣で引退表明「違う道で…」

2013年12月25日

 フィギュアスケートの14年ソチ五輪代表らによる全日本選手権のエキシビションが24日、さいたまスーパー行われた。終了後、全日本4位に終わり、五輪代表入りを逃した織田信成(26)=関大大学院=が現役引退を表明した。

 号泣しながら登場した織田は「今日を持ちまして、現役生活を退く決意をしました。四大陸の代表に選ばれていましたが、若い選手に頑張ってもらいたい」と、絞り出した。その後、五輪代表の真央、高橋ら同じ時代を戦った仲間たちがリンクに現れ、みんな涙流しながら、抱擁を交わした。

 「五輪、世界選手権の代表になれなかったことで思いが強くなった。若い選手も強くなっている。今が引き際かなと思い、決断しました。幸せなスケート人生でした」。

戦国武将・織田信長の末裔。一部からは『殿』の愛称で親しまれた。先祖の存在が重荷になったこともある。それでも「最初は抵抗がありました。でも、そのおかげでフィギュアを知ってくれて、僕のスケートを見てくれる人もいた。自分の名前も得だったのかなと思う」と、いつしか感謝することが多くなっていった。この日、現役最後に滑ったプログラムは『ラストサムライ』。渾身の演技を先祖に捧げた。

 世界大会ではあと一歩頂点には届かなかった。加えて05年トリノ五輪の選考会では採点ミスにより順位が入れ替わり五輪行きを逃した。ジャンプの回数ミスや、バンクーバー五輪で靴ひもが切れたこと。不運などで涙を流すことも多く、信長同様に天下統一はならなかった。ただ、それでもこの日、自身のスケート人生を「『鳴かぬなら泣きに泣きますホトトギス』かな。涙が印象的なスケーターだったと思う」と、総括。ライバルとして常に比較された高橋大輔の存在にも「大ちゃんがいてくれたから、自分も頑張れた。ライバルとしても人としても尊敬できる。一緒に同じ時代にスケートができてよかった」と、感謝した。

 今後はまず大学院の卒業が目標。将来的にはコーチとして後進の指導にあたる予定だ。私生活では2児の父。自身が母憲子さんとともに歩んできただけに、“将来”の期待も高まる。「五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。自分が届かなかった分、力を入れて頑張りたい。2人の息子たちが、もし選択してくれるなら、自分の成績を超えて欲しい」と、楽しそうに笑った。

 コミカルな演技と、愛くるしいキャラクターで日本男子をけん引してきた26歳。織田らしい“涙”と“笑顔”で、競技生活に別れを告げた。





10年バンクーバー五輪7位/織田信成略歴

 フィギュアスケート男子で10年バンクーバー五輪7位の織田信成(26=関大大学院)が24日、現役引退を発表した。織田の略歴は以下の通り。

 ◆織田信成(おだ・のぶなり)1987年(昭62)3月25日、大阪・高槻市生まれ。阿武野―関大―関大大学院。05年NHK杯でGPデビュー2戦目にして初優勝。06年4大陸選手権優勝。08年NHK杯、全日本選手権優勝。10年バンクーバー五輪7位。織田信長から数えて17代目の末裔(まつえい)。164センチ、52キロ。家族は夫人と2男。

 [2013年12月24日20時54分]日刊スポーツ


エキシビションでのびのびとした演技を見せる織田(撮影・井上学)

↓こちらで、織田選手の引退記者会見動画が見られます。

http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312240331.html

フィギュア織田、引退表明 スケート人生の印象は「涙」

2013年12月24日21時47分 朝日新聞デジタル

 フィギュアスケート男子の織田信成(26)=関大大学院=が24日、さいたま市内で行われたエキシビションで、「今日をもって現役生活を退く決意をしました」と引退を表明した。スケート人生の印象を「涙」とし、「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」と、戦国武将の織田信長の子孫らしく振り返った。今後は指導者を目指す。

 バンクーバー五輪7位の織田は、2回目の五輪出場を目指して23日まであった全日本選手権に臨んだが4位となり、代表の座に届かなかった。来年1月の四大陸選手権(台北)への出場は辞退し、代わって無良崇人(岡山国際スケートリンク)が出場する。織田は世界選手権には5回出場し、2006年の4位が最高だった。


引退を表明し、セレモニーで高橋大輔と抱き合う織田信成(左端)=飯塚晋一撮影

織田信成が現役引退 四大陸代表は辞退
「大ちゃんがいたから僕も頑張れた」


スポーツナビ2013年12月24日 22:43

 フィギュアスケートの織田信成(関大大学院)が24日、現役引退を発表した。織田はこの日、全日本選手権明けのアイスショー「メダリスト・オン・アイス」に参加。全選手の演技が終了後、会場に詰めかけたファンの前で発表した。織田は全日本選手権で4位に終わり、目標としていたソチ五輪出場を果たせなかった。四大陸選手権への出場が決まっていたが、「若い選手に頑張ってほしいので、(自分は)これからは違う道で頑張っていこうと思います」と引退の理由を明かした。

 長年わたり苦楽を共にしてきた鈴木明子は「ノブの我先に泣いてくれる優しい気持ちが大好きでした」と、涙で言葉を詰まらせた。

「悔いはないです」

 今日を持って現役生活を退く決意をしました。今回代表になれなかったことで、その思いも強くなって、若い選手もどんどん強くなってきているし、今が引き際かなと思って今日という日に決めました。本当にたくさんの方に祝福していただいて、引退できたので、すごくすごく幸せでした。本当に自分のスケート人生も幸福で満ち溢れたスケート人生でした。今まで練習してきたことに悔いはないですし、今日この日に引退を発表できて、新年迎えて新たな気持ちで頑張っていきたいと思います。

――引退を最終的に決意したのはいつですか?

 昨日です。代表発表があって、五輪と世界選手権の代表から漏れてしまったので、自分の実力の至らなさなんですけど、仕方ないなということで、今日という日に決めました。

――代表がダメだったら引退しようと思ったのはいつ?

 今シーズンで現役を引退しようと決めていたんですけど、少し早くなっただけというか、いつ辞めてもいいようにというのは変ですけど、それぐらい悔いなく日々を過ごせていたので、悔いはないです。

――思い出に残っている演技は?

 今回の全日本でのフリーの演技ですね。ショートは失敗してしまったんですけど、全日本という舞台で戦えたという実感があったので、それが一番良かったかなと。

――五輪(10年バンクーバー五輪)にも出場しました。今、振り返ってみてどうですか?

 本当に良いことも悪いこともいろいろな経験をさせてもらった舞台だと思います。これからソチ五輪がありますが、みんなに頑張ってほしいなという気持ちです。

――五輪では演技中に靴ひもが切れるというアクシデントもありましたが、振り返ってみてどうですか?

 その悔いを晴らすべく今季頑張っていたんですけど、それもかなわなかったので、そこが自分の実力の至らなさかなと思います。これからもっと頑張っていこうという決断もあったと思うんですけど、本当に若い選手もたくさん育ってきていますし、そのなかで戦っていくのは厳しいのかなと思いました。
信長の子孫としても注目 「鳴かぬなら……」

――当初は織田信長の子孫ということで注目を集めた部分もあったと思いますが、トップスケーターとなり、織田信成という選手として認知されています。それはご自身でどう感じていましたか?

 最初は名前ばかり注目されるのに抵抗はあったんですけど、本当にそういうきっかけでスケートを見てくださる方がいたり、そこから自分だけじゃなくフィギュアスケートというものも知ってもらえて、そういう面では自分の名前は得だったのかなと。

――名前に関連して、スケート人生は「鳴かぬなら……」?

 少々お時間いただいてもよろしいでしょうか(笑)。難しいです。今日もそうなんですけど、トップの選手から花束をいただけたりするとは思わなかったので、泣き泣きの一日だったんですね。「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」とかです(笑)。涙が印象的なスケート人生だったと思うので、それで締めくくりたいと思います(笑)。

――これまでのスケート人生で一番印象に残っている試合、一番悔しかった試合、うれしかった試合は何ですか?

 一番印象に残っている試合は、初めて出場した世界選手権(2006年)ですね。本当に緊張していて何も覚えていなかったんですけど、初めて世界のトップ選手たちのなかで滑ることができて、自分のなかで印象に残っています。悔しかったのはやはりバンクーバー五輪です。うれしかったのは、自分の力を出せた大会ですね。

――引退の意思を最初に伝えた方はどなたですか?

 まずは母に伝えました。やめる決意をしたなら、それは否定はしないという感じでした。それから周りの人に伝えました。自分のなかできちんと決めてから、言おうと思っていたので、家族や友人に伝えました。

――どんな言葉を言われた?

 今まで頑張ってくれてありがとうとか、温かい言葉をいただきました。


織田信成が引退表明「すごくすごく幸せでした」【坂本清】

指導の道に興味「目指すところは五輪の金」

――今後やりたいことは?

 コーチングにも興味ありますし、大学院生なので、修論を書いたりしないといけない。ただスケートに携わっていければいいなと思います。

――指導の道に進まれるとのことですが、どんな選手を育てたいですか?

 目指すところは五輪の金メダルだと思うので、自分が届かなかったぶん、若い選手には力を入れて頑張っていきたいと思いますし、自分の力をどこで発揮できるかは分からないので、いろいろなことに挑戦していきたいし、やってみたいと思います。

――昨日、四大陸選手権の代表に選ばれていますが、その時点で続けていこうとは思ったのか?

 正直、五輪と世界選手権のどちらかの代表に選ばれなかったら、もう引退しようと思っていました。

――発表したあと、多くの選手に囲まれていましたが、どんな言葉を掛けられ、どういう気持ちになりましたか?

「本当にいままでありがとう」という言葉を掛けてもらって、ただただうれしかったです(涙で少し言葉を詰まらせる)。

――今日、ファンの皆さんの前で滑るときは引退を決めていたと思いますが、どんな気持ちでどんなことを伝えたくて滑っていましたか?

 演技する前はまったく緊張していなくて、これが最後なんだと。自分の全部を出し切って終わりたいと思ったので、失敗してもしなくても、全部を出し切りたいと思っていました。その気持ちひとつだけでした。

――終わったあとは思わず号泣していましたが、どんな気持ちが沸き上がっての涙だったのでしょうか?

 本当にこれで現役として滑るのが最後だと思うと、ちょっと悲しくなりました。
高橋の存在「同じ時代にスケートができて良かった」

――高橋大輔選手と比較されることも多かったと思うんですけど、高橋選手の存在は織田選手にとってどういうものでしたか?

 大ちゃんがいてくれたから僕も頑張れたと思うし、ライバルとしても人としてもすごく尊敬しているので、同じ時代にスケートができて良かったです。

――直接伝えたときはどういうやりとりがあった?

 大ちゃんも泣いて抱きしめてくれました。みんなが泣いてくれて、泣いているのが自分だけじゃなくてうれしい気持ちになりました。

――今後、アイスショーなどに出演される予定は?

 せっかくここまで磨いた技術なので、そのレベルは若さが保てるかぎりは、保ち続けたいと思っていますし、アイスショーでもどんなオファーでも全力でやりたいと思うので、皆さんよろしくお願いします(笑)。

――ご自身もお母様がコーチでしたが、2人の息子さんにもスケートを教えたいと思いますか?

 やっぱり自分は満足できる成績で終わらせることができなかったので、それを超えてほしいなとは思うんですけど、自分の子どもに教える大変さを僕自身痛感しているので、やってほしいとは思うんですけど、それは子どもたちの選択に託したいと思います。

――最後にさまざまな方への感謝の気持ちを話してもらえますか?

 今まで応援してくれたファンの方々、連盟やアイスショーの関係者の方々、こうやってインタビューをしてくれる記者の方、メディアの方に感謝の気持ちでいっぱいです。自分も恩返しができるように頑張っていきたいと思います。

<了>


全日本のフリーで、こん身の演技を見せる織田【坂本清】


殿、現役お疲れ様でした。・°・(ノД`)・°・

本当はソチ五輪に出場してから引退という、悔いのない形で引退して欲しかった、またさせてあげたかったですよね。

今後は、指導者として、優しく面白い先生となって、沢山の子供達に、フィギュアスケートの楽しさと、辛い時に励まし、どう乗り越えたらよいのかを、教えて上げて欲しいと思います。

全日本が終わって、直ぐの引退発表にはびっくりしました。

今シーズンの最後まで、4大陸選手権には行って欲しかったのですが、ソチ五輪に行かないので、これ以上の試合に出る(無理は)意味はないと思ったのでしょう。

殿も一昨年、膝の調子を悪くしたり、また家庭がある身です。次男も誕生したことから、現役だけに集中できません。

今まで家族に世話になった分を、一日でも早く返していきたいのでしょう。

アイスショーでも活躍してくれそうですので、彼の滑りは、まだまだ見られますよね。

今後、プロとしての一層の活躍を期待したいと思います。



↓本当に本当に、お疲れ様でした。



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