我楽苦多通信 -20ページ目

我楽苦多通信

なんやかんやつらつらと。

新しく見つけた蕎麦屋。
古民家をリユースしたお店で、あまりいじっていない感じ。中庭とそこに面する廊下が、なんだか懐かしい。

蕎麦は盛り蕎麦にしたのだけれど、店内は少し寒くてかけ蕎麦にすればよかったと食べだしてから後悔。
蕎麦は美味しかった。
小鉢はふたつ。茄子味噌とそうめん南京のゼリー寄せ。
どちらも美味しい。
つい先日、別の店でそうめん南京を頂いたのだけど、たぶん部位が違うと思うのだけど、歯ごたえが全然違った。

#蕎麦
#古民家
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 珈琲豆を焙煎して売っている店が実は結構あるという事に、ここ数年気づいていた。電車での遠出の際に見つけた店が大半で、都会にしかないのだろうと思っていたんだけれど、自分の生活圏内にも少なからずあることにも最近気づいた。

 豆を売っているところは、だいたいカフェが併設しているし(規模が小さいところが多い気がするけど)、していなくてもテイクアウトは出来ることが多い。なので、豆を買わずともそこで飲んだりテイクアウトは必ずする。

 珈琲を淹れてもらっている間、何かとお話するんだが、美味しい入れ方とか、保存の仕方とか、深煎り浅煎りの味の違いだとか等々。で、焙煎もしている珈琲豆屋さんの人は、みんな優しい。

 そう、とても優しいのだ。質問にはとても丁寧にやさしく教えてくれるし、好みを聞いてくれるし、気さくな人が多い気がする。珈琲豆を扱うに人はそういう人種なのか、と思うぐらいに。

 なぜなんだろう。

 美味しいと評判の料理屋とかは、店長がちょっと怖いだとか拳固だとかつっけんどんだとか店が汚いとか、チョイチョイ聞いたり見たりするんだけど、豆屋さん(豆屋って言い方が正解かどうかわからんけど)の人たちは全然そんな人に当たったことない。そして店はだいたいおしゃれ。

 まぁ、おしゃれに関しては個人的な感想だけど。

 

 

 で、行くところ行くところ、どこもまた行きたい。とはいえ、遠いところにはもともと頻繁にはいけないし、近くの店にしても頻繁に行くほど豆の消費が早いわけでもなく、飲みに行ったりテイクアウトするほどの暇もない。

 なので毎回豆の買い時になると、どの店に行くかとても迷う。それぞれ特徴がるから、どれでもいいというわけではなくて、うれしい悩みではあるんだけど……。

 

 豆を入れてくれる袋のデザインがお気に入りだったところは、最近ただのビニール袋になってしまったのが残念でならない。一時なのかづっとなのか分からないけれど。

 袋が好きなだけじゃなく、珈琲もちゃんと美味しい。美味しさはどの店も変わらないから、余計に悩むのだよ。

 

 一番近い店は、買い物帰りによくとおるのだけど、買い物に持つを持って寄ることもできんので、いつも申し訳ないと思いつつ通りすぎる。まぁ、向こうは覚えてはいないだろうけど。

 

 余談だけど、値上がりしていたよ。

 先日行ったところは、まだ値上がってはいなかったけど、する予定だとは言っていた。初めての店だったのだけど、やっぱりやさしく気さくで豆を量っている間のひと時を楽しく過ごせた。袋のデザインも好みで、一押しの一つになった。ちょっと遠いのが玉にきず。車でしか行けないし。

 

 

 

 

 石田ゆり子氏のインスタの書籍化。

 彼女の家族、ねこちゃんわんちゃんが可愛いのなんのって。

 読んでいると、腹立たしいやら悔しいやら悲しいやら。

 昔より情報が手に入るから、そうそう騙されないように思えるけど、情報が多すぎて選別出来ない。群集心理なんかも考えると、自分の意見を通すことができるのか不安になってくる。

表現の仕方が独特だな~って。物語は共感できるかな〜って感じ。

著者は長野まゆみ氏で、宮沢賢治を題材にしているあたり彼女らしいなとは思う。いつもと違う面を見た気分。

表紙が綺麗なのよ。

 

と、妄想日記に出てきた本の紹介。紹介になっているだろうか。


久しぶりの遠足。

以前から気になっていたカレーのお店、旧ヤム邸でランチ。

2種盛り。2種とも辛いのを注文してしまい、口の中がピリピリです。

でも、美味しかったです。

ちょっとレトロで異国風で落ち着いた感じの店でした。

 

お店から中之島美術館まで連絡橋でつながっていて、迷わずに着けました。

猫ちゃんが出迎えてくれる。

その後、これも気になっていた子ども本の森へ。

歩いて15分ほどで到着。

思っていたより小さい建物でした。入るのが遅かったので少ししか居られなかったんで、次はゆっくりしたいものです。

コロナでしばらく遠出はしていなくて、少々体力が落ちたよう。

暑さも相まって、非常に疲れた一日でした。

 つい先日、十数年かけてようやく読み終えた。十数年といっても、毎日ちょびちょび読んでいたわけではなく、正確には一巻を読み終えたのが2006年6月。二巻が2009年1月。三巻は同年の8月。四巻が2021年の11月。そして最終巻、5巻を読み終えたのが今年の6月である。

 三巻を読んですぐに四巻を読み始めたものの、実に12年間も放置していたのだった。頭の隅では読まなくちゃと、ずっと気にはかけていたのだけれど、他のものを優先していたらこんなことになってしまった。

 

 読むのを再開させたのは、NHKの「100分で名著」で取り上げられていたからだ。解説されていた先生は訳者の亀山先生。

 実に12年ぶりにカラマーゾフを開いた。三巻の感想に、面白くなってきた、などと書いていたくせに12年も放置とはどういうことか。読み始めるとわかった。何だかよくわからない。三巻がどうしてそんなに面白く読めたのか今となってはわからないのだが。

 兎に角、再び四巻目を読み始めたわけだけれど、なんせ12年も間があるものだから、登場人物の関係性やらなんやらがよくわからない。さすがに兄弟三人はわかるのだが、そのほかの登場人物がいまいちわからない。だいたい海外文学は名前がカタカナなので苦手なのだ。

 それでもこれ以上この本を読まぬままほっておくのは気持ちが悪いので、とりあえず読み進める。これは自分の悪い癖だと思うのだけれど、とりあえず読むというやつ。

 文脈がどうとか、描写がどうとか、この時の主人公の気持ちはどうとか、国語のテストに出てきそうなことはまったく考えず、物語だけを追っていく読み方。

 とりあえず、どういう話かはわかった。最期は、なんか悶々する終わり方だったけど。

 

 五巻は本編はほんの少しで、大半は解説に費やされていて、解説がすごい。解説を横目で見ながら、もう一度最初から読んでみたい。今度はキチンと、時間をかけてゆっくりと。そうする面白くてさらに興味が増してくるとおもうのだ。

 なのだけれど、同等に再読したい本は山ほどあって、それらになかなか手を付けられないほど興味深い未読の本がこれまた山ほどあって、当分手に取ることはできないだろうなぁと、思うのだった。

 

 こういう言い訳は使いたくないけれど、時間がない、のである。

 ただ、再読したいという気持ちはほんとなんだけど。

 

余談だけれど、光文社の古典新訳文庫の装丁は好き。そして文字が大きいところも気に入っている。