とあるフレンチレストラン。
僕は目の前に置かれたナイフ、スプーン、フォークを見ながら、怒りで肩が戦慄いていた。
ナイフは素晴らしい。
人の手では切れないものを切るのだ。
ステーキを素手でひきちぎろうとしても手が汚れるだけだ。
そして欠片が小さくなると掴み所が無くなり、それ以上小さくすることはできない。
だからこそナイフには存在価値がある。
掴めないほどの欠片も自在に際限なく切れる。クオーツまで分解できる気がしてくる。
そんなナイフからは自分にしか出来ない仕事を確実にこなす職人感すら溢れ出す。
だがスプーンは何だ?こいつは何なんだ?
ボウルを持ち上げて傾ければ済むことに粋がって出しゃばるスプーンを、僕は許せない。
誰でも出来る仕事をダラダラとしながらナイフと同格であるかのようにテーブルに鎮座するその姿は、まさしくナイフの威を借るスプーン以外に他ならない。
極めつけはフォークだ。
もはや絶句するしかない。こいつに関しては、糞の役にも立たない。
刺すならナイフで良いではないか。
豆をすくうならスプーンで良いではないか。
にもかかわらず肉は切れず、スープはすくえない。
双方の短所だけを抽出して生み出されたのが、フォークだ。
例えるならアメリカ人と日本人が結婚して
日本人の短足+顔のデカさ+アメリカ人の胴の太さ+訴訟癖を兼ね備えたサラブレッドが生まれたようなものだ。本来フォークは、この世にあるべからざる存在だ。
事実、中世ヨーロッパではかろうじてフォークの存在が文献に散見される程度で、
まったくもって我々人類の生活には浸透していなかったことが分かる。
キリスト没後1600年もの間、フォークは土でジャガイモを愛でる程度の役割しかなかった。
こんな無駄なモノのために人類は木を伐採し、アルミニウムを溶かし、上流階級に至っては銀を使っている。実にもったいない。
なんでも箸で済ませる日本人を見習ってほしいものだ。
※昨夜読んだ自己啓発本に「違和感に敏感であれ」と書かれていた。
世の中で起きる事の8割は慈悲の心で許す僕にとって日常の違和感を探すのは至難を極め、気がついたら罪も無い食器を罵倒する記事をインターネットに公開してしまいました。
スプーン同好会、フォーク研究会の皆様、ならびに世間の皆様に多大なご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫び申し上げます。
僕は目の前に置かれたナイフ、スプーン、フォークを見ながら、怒りで肩が戦慄いていた。
ナイフは素晴らしい。
人の手では切れないものを切るのだ。
ステーキを素手でひきちぎろうとしても手が汚れるだけだ。
そして欠片が小さくなると掴み所が無くなり、それ以上小さくすることはできない。
だからこそナイフには存在価値がある。
掴めないほどの欠片も自在に際限なく切れる。クオーツまで分解できる気がしてくる。
そんなナイフからは自分にしか出来ない仕事を確実にこなす職人感すら溢れ出す。
だがスプーンは何だ?こいつは何なんだ?
ボウルを持ち上げて傾ければ済むことに粋がって出しゃばるスプーンを、僕は許せない。
誰でも出来る仕事をダラダラとしながらナイフと同格であるかのようにテーブルに鎮座するその姿は、まさしくナイフの威を借るスプーン以外に他ならない。
極めつけはフォークだ。
もはや絶句するしかない。こいつに関しては、糞の役にも立たない。
刺すならナイフで良いではないか。
豆をすくうならスプーンで良いではないか。
にもかかわらず肉は切れず、スープはすくえない。
双方の短所だけを抽出して生み出されたのが、フォークだ。
例えるならアメリカ人と日本人が結婚して
日本人の短足+顔のデカさ+アメリカ人の胴の太さ+訴訟癖を兼ね備えたサラブレッドが生まれたようなものだ。本来フォークは、この世にあるべからざる存在だ。
事実、中世ヨーロッパではかろうじてフォークの存在が文献に散見される程度で、
まったくもって我々人類の生活には浸透していなかったことが分かる。
キリスト没後1600年もの間、フォークは土でジャガイモを愛でる程度の役割しかなかった。
こんな無駄なモノのために人類は木を伐採し、アルミニウムを溶かし、上流階級に至っては銀を使っている。実にもったいない。
なんでも箸で済ませる日本人を見習ってほしいものだ。
※昨夜読んだ自己啓発本に「違和感に敏感であれ」と書かれていた。
世の中で起きる事の8割は慈悲の心で許す僕にとって日常の違和感を探すのは至難を極め、気がついたら罪も無い食器を罵倒する記事をインターネットに公開してしまいました。
スプーン同好会、フォーク研究会の皆様、ならびに世間の皆様に多大なご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫び申し上げます。