花粉が飛び始めたようだ

小学校の頃から酷い花粉症に悩まされてきた僕には、独自のノウハウがある。今日はそれを少し紹介したい

鼻づまり解消方法その1:気絶寸前まで息を止める

鼻づまりが酷いと、酸素元素一つたりとも鼻を通らなくなる。
そんなときは誘惑に負けて口呼吸に切り替えてしまいがちだが、少し我慢してみよう。

では、ご一緒に。

息が吸えないまま30秒経過。口から吸いたくなるだろうが、ここが我慢どころだ。鼻呼吸を続けよう。
1分。少し苦しくなってくる。しかしここも我慢どころだ。
2分。もがき苦しみ始める。しかし苦しいと気持ちいいは表裏一体、ここも我慢。
3分。意識が遠のいてくる。それでも我慢。

と、気絶寸前まで追い込むと、勝手に鼻が開いてくるのを感じるはずだ。
これで鼻づまりは解決される。実にシンプルだが、これだけなのだ。アレグラもアレジオンも要らない。

騙されたと思って試してみて欲しい。
僕はこの方法をよく使うが、気絶寸前まで追い込まれることはあっても、本当に気絶した事は無い。

どうやら人体はそれほどアホではないらしい。
宿主が死にそうになると、それなりの妥協点を勝手に探ってくれるのだ。

ただし、どんな交渉においても鉄則だが、自分が本気である事を示さなければいけない。
中途半端な窒息具合だと「こいつ、気絶するつもりはないな」と鼻腔にナメられてしまう。
「あれ、こいつ本気で気絶するんじゃね?」と思わせてこそ、鼻腔がビビる。
だから妥協せず息を止めてみよう。きっと道(鼻)は開くはずだから。


鼻づまり解消方法その2:ヒルを貼る

鼻づまりのキモは、鼻腔が充血することにある。
つまり鼻に血液が届かなければ良い。

結論、鼻頭に無数のヒルを貼付けておけば安心だ。
唯一懸念点を挙げるとすれば、最初はファッション的な問題があるかもしれない。
しかし、これも藤田ニコルなのかローラなのか誰かしら有名人がヒルを鼻につけ始めたら、瞬く間にデファクト・スタンダードになってゆくので安心してほしい。有名人がやっている事なら大体何でも正当化するのが日本人だ。


鼻づまり解消方法その3:イメージトレーニング

僕がスイスのユースホステルを泊まり歩いていたときのことだ。
鼻づまりに悩まされている僕を見たトルコ人が、コツを教えてくれた。

「いいかいシュン、体の動きをイメージするんだ。通常の人間は自分の体の2割しか思い通りに動かせないが、これは訓練で直せる。座禅を組んで、目を閉じて、鼻腔の動きをコントロールするんだ」

そして僕はローザンヌの湖沿いでトルコ人と瞑想をして一晩を過ごした。
それはそれで不思議な体験だったが、鼻腔はぴくりともしなかった。糞の役にも立たなかった。

その後トルコ人は「ところで君は宗教に興味は無いかい?」と僕を熱心に勧誘してきた。
僕は八百万の神を信じているのでダメだと伝えたのだが、いかんせん上手く伝わっていなかったのか、八百万を信じるなら八百万と一を信じても良いではないかと言い始めた。

よくよく考えると八百万も数える間に何人か数え損ねていそうなので、確かに八百万ピッタリとは考えにくい。もしその中に鼻づまりの神様が居たら、と思うと残念で仕方ない。


鼻づまり解消法法その4:脇の間にペットボトルを挟む

結論、これが一番効く。
どうやら脇の下から鼻にかけてぶっとい血管があり、これを圧迫することで鼻腔が開くらしい。

あとは営業先に脇腹ペットボトルで訪問する理由を考えるのがネックだが、これは「ブレストファイアの練習です」とか「小さい頃からガンタンクになりたくて」と微笑みながら言えば済む。

仕事だと思って身構え過ぎてもよろしくない。脇にペットボトルを挟んでいようと仕事のパフォーマンスに差はないのだから、堂々としよう。(僕はやらないが)



いかがだろうか?
ここまでいくつか鼻づまり解消方法を伝授してきたが、どれも糞の役にも立たないことがお分かりいただけただろうか。

人類はマリアナ海峡を探検し、音速を越え、月面にまで到達したが、未だに鼻づまりは解決できない。

憎き花粉症との戦いが、今年も始まる…
昨日、農業コンサルティングをしている知人の農場に行って、イチゴを食べまくってきた

これがもう、べらぼうに美味かった。
一粒250円。そんな孫正義かビルゲイツにしか食べられないのではないかと思われるような神々の領域の新鮮イチゴをもぎ取り、口に含んだ瞬間、僕は永久に見果てぬイチゴの夢に旅立った

お、おお・・・

これは・・・そう、例えるならば・・・フィレンツェだ
花の女神フローラならぬデザートの女神イチーゴの息吹を感じる。
フィレンツェのドゥオーモで愛する人を待つ、そんな大人の青春風景が口の中に広がるようだ。

早速1パック購入して、今朝の朝食にいただくことにした。
軽く水洗いして、包丁でヘタを切っていた、その瞬間。僕は、痛切に思った。


あぁ、結婚したい


「ヘタを切るのって、意外と手間だよね」
「ふふ、そうね。でもがんばった分だけ、後が美味しいわよ」
「そうだね、がんばろう!」




これで良い。




これで良いのだ。こんな会話がしたい。
お台場のバーでスクリューモヒートオンザカリフォルニアみたいなカクテルを飲む必要はない。
ただほのぼのと、日々思ったことを共有できる妻が欲しい。

例えば、朝起きて青空が広がっているのを見た時。

「うわぁ、すごい青い!これってカラーコードにするとしたら、何だろうね?」
「うーんそうねぇ、#87CEEBじゃないかしら?コード名もLight Sky Blueだし」
「そうだね、今日は#87CEEBな空が気持ちいいよ」
「ふふふ。早くこちらへいらっしゃい、パンケーキが出来てるわよ」

保有している株が先の金融不安で下落したときも然り。

「やっべ、株価下がっちゃった」
「大丈夫よ、最近は投資の自動化が進んでいるからレバレッジが強く効くようになっただけ。あなたはちゃんと将来を見据えて銘柄を買ったんだから、ドンと構えることよ」
「そうだね、早く配当金が欲しいね」
「ふふふ。早くこちらへいらっしゃい、パンケーキが出来てるわよ」


こんな会話で僕は構わない。
妻を求めるのが過ぎた願いなら、日常会話が出来てパンケーキが作れれば、もはやAIを積んだ豆腐でも構わない

とにかく独身社会人の一人暮らしは孤独との戦いだ
高校時代、大学時代と比べて、平日と休日の会話量に著しく差が出ている
条件さえ揃えば休日は「あ、レシートいりません」だけで完結する日もある

人と話すことは心の健康にもつながる。
しかし、腹が減っては戦もできぬ。
ゆえに僕は体の健康のため、今日も一人でヘタを切ったイチゴを食べている。

小学生の頃、僕は高校生が怖かった

シェクスピア「ハムレット」を読みながら、月島駅から歩いているときだった

当時の僕は半年くらい、通学中はシェイクスピアを読んでいた。

当然内容は1ミリも分からなかったが「小学生がシェイクスピアを読む」時点でそれが最高にCOOLでカッコいいと思っていた。

気になるあの子の注意を引くために巷の小学生は何をするだろうか?
運動会で一番になる?クラス内で無理してふざけてみる?
そんな必要はない。シェイクスピアを読めば良い。

シェイクスピアはシルバーアクセサリーやネックレスに匹敵するチャラアイテムだ
試しに町中で、頭の中に脳みそでは無くカニみそが詰まってそうなギャルに
「おれ、シェイクスピア読んでるんだ」と言ってみてほしい。
彼女の視線があなたに釘付けになること間違い無しだ。


それはさておき、シェイクスピアにかぶりつきながら通学していたときのことだ。
自分より一回り大きな高校生にぶつかった。
僕は何も言わずに歩き去ろうとした。ハムレットならそうしたはずだ。

しかし日本でハムレット式は通用せず「おぉ、いてぇな!」と怒鳴られ、肩をつかまれ、壁ドンされ、500円カツアゲされた

それ以来僕は高校生が怖くなった。
早く高校生になって自分がカツアゲされた500円はカツアゲで補填してやろう、と決意した。
これだから世の中からカツアゲは無くならないのだろう。

来るべきカツアゲのときに備えて僕は柔道により一層打ち込み、中国語とスペイン語を始めた。

5年に及ぶ壮絶な修行を終えて高校生になった頃の僕は、一人のカツアゲストとして完成していた。
相手の肩をつかんで引き回す手首の筋力。
壁ドンの体重移動にも耐える屈強な体幹。
英語、日本語、中国語、スペイン語圏のどんな相手でもカツアゲ出来る、抜群の語学力。

その全てを備えた、カツアゲ界のリーサルウェポンと化していた。
大いなる力を得た僕は、あらゆる悪事を働いた。

子供料金で地下鉄に乗り、いつもより多く呼吸して地球を温暖化し、手を拭く時に紙を2枚使った。
ここに書くだけでも心が少し痛む。行きずりの女を泣かせたこともあった。

しかし、とうとうカツアゲはしなかった。
自分の体が屈強になって、特に誰も恐れなくなったのだ。
高校生にカツアゲされたこともほとんど気にならなくなった。

人というのは不思議なもので、体がデカくなると態度もデカくなるらしい。
一見当然のように思えるかもしれないが、自然界では逆に珍しいケースだと思う。
犬を見てみると一番態度がデカくてやかましいのはチワワで、一番謙虚でおとなしいのはゴールデンレトリバーだ。強くなるほど些細な事は気にならず、余裕が生まれるのだ。

しかし朝青龍や清原を見てると、体がデカくて態度もデカい。
人間はどれほど力を得ても心の不安からは解放されない、哀れな生き物なのかもしれない。


そんな態度のデカい高校生になったものの、今度はサラリーマンが怖くなった

というよりサラリーマンになるのが怖くなった。
死んだウニのような目をして地下鉄の席に沈み込むサラリーマンを見て、ニュースで毎日のように大人の不祥事を聞かされ、サラリーマンというのは倫理観を失ったゾンビのようなものだと思っていた。

しかし、いざサラリーマンになってみた今。自分は、そこまで毎日に悲観しているわけではない。

でも地下鉄で納期までの段取りを考えている時、自分の目は確かに死んだウニのようになっているかもしれない。

それを見た高校生は小学生をカツアゲし、小学生はシェイクスピアを読まなくなり、シェイクスピアの印税が減ってゆく。

ただのサラリーマンと言えど日々自分より若い子供達に見られていることを思い出し、少なくとも地下鉄の中では血走った目と満面の笑みで居ようと思った。