仕事疲れた…



最近、そう思うことが多い。

しかし「仕事疲れた」と言うことで更に心が疲れる。疲れた心で働くと、些細なことで疲れが蓄積する。日本経済のデフレも裸足で逃げ出すようなネガティブスパイラルっぷりだ。

どうすればこの意識が切り替えられるのか、本気で論理的に考えてみた。

こう見えて僕は某MBAスクールのロジカルシンキング(体験講座)を受けた事があり、ロジカルなシンキングに関して一日の長があるのだ。



そして気づいた。

「仕事疲れた」と思うたびに、遠い北欧の地でいたいけな小鳥が死ぬと。

そう思い込めばいいのだと。



生まれたばかりの小鳥を見た事はあるだろうか?

心細そうに震え、ぴよぴよ鳴きながら、すり寄ってくるのである。

そんな小鳥が無情にも、僕の身勝手な気持ち一つで苦しむとしたら…

とても「仕事疲れた」等とは言えないはずだ。



人の行動を短期で変えたければ、ペナルティを課すのが一番早い。

本能的に人は、何かを得られる期待より、何かを失う恐怖を感じやすいのだ。



きのこの山を食べている今この瞬間も、僕はきのこの味を楽しみつつ、徐々に、しかし確実に禿げ山と化す山を見ながら、言いようのない恐怖を感じている。



いつから僕は失う恐怖に負け始めたのだろうか。昔の僕は違ったはずだ。



僕は中学校・高校とアメリカ系の進学校に通っていた。

周りは裕福な家庭ばかりで、彼らの家には専属のシェフが居たり、目黒にプール付きの豪邸を構えていたりした。

ガキのくせに送迎車が放課後に来たり、日本に上陸して間もないiPodを見せびらかしていた。

対して僕の小遣いは月1000円だった。

動物に例えるなら、ペガサスとダニが同じ学校に通っているようなものだった。



しかもその頃、僕は育ち盛りだ。猛烈に腹が減るのだ。

腹が減るのに、月1000円ではおにぎりすら買えない。

そんな時、あなたならどうするだろうか?バイトをするか?親に値上げ交渉をするか?否。そんなものは愚民の発想だ。



僕はゴミ箱の前で待機した。



ひたすらに、ただひたすらに待った。

深海で獲物を待つアンコウのように、待った。



そして裕福な糞ガキがゴミ箱に食いかけのピザを捨てる時、話しかけるのだ。



「Hi there, let me throw away that trash for you」(待ちたまえ。僕が代わりにそのゴミを捨てよう)



そして、渡された残り物をその場で食べる。

どん引きしている裕福な糞ガキに「Watcha lookin'at?」(なにみてんだ?あ?)と貧民の威圧をかけながら、貪る。



こうして僕は育った。



プライドと見栄をゴミ箱に捨てることで、ゴミ箱行きの食べ物を得た。

これこそ等価交換の原則、残飯の錬金術師だ。

今でこそ身長174cmまで育ったが、うち23cmくらいはゴミ箱の前で恵まれた残り物で構成されている。



そんな僕が、今の僕を見たらなんと言うだろうか。

「失うほどの物でもあるまいし、何を気にしているのだ」

そう諭されるはずだ。



失うことを恐れてはいけない。

僕たちは常に、前を向くべきなのだ。
僕は、いずれ結婚したい。

そして結婚したからには浮気など、もっての他。

異性と出かける事はおろか話すことに恐怖を覚え、目が合おうものなら嘔吐・痙攣・めまいなどの症状に襲われ写真を見れば死に至る。

それほどに、僕は真摯で潔癖な人間である。



しかし。

公僕である政治家が育休を取るという前代未聞の取り組みで世の中のイクメン・主婦層の注目を一身に集め、引き付け、

体をコンパクトにたたんで力強いスイングで逆転マン塁ホームラン(性的な意味で)を決めた宮崎議員を見ると結婚制度の仕組みに疑問を感じざるを得ない。



あまりに速すぎるブーメランだ。

所詮男は本能に抗えないのではないか。

オスは可能な限り自身の種を撒かなければならず、その本能が遺伝子のどこかに刻み込まれている。GCTAでいうとCとTの間辺りだと思う。



これは僕がカブトムシを飼っていた頃の実体験に基づいている。

やはりカブトムシ界にも速水もこみちのようなイケメン(以降はモコムシと呼ぶ)が居る。とにかく猛烈にモテまくるモコムシが居るのだ(便宜上モテモコムシと呼ぶ)



そんなモテモコムシは節操無くカブト界の黒木メイサ(オレのメイサと呼ぶ)やらカブト界のペネロペ・クルス(ペロペロ)を漁りまくり、

残ったブサムシはこんにゃくゼリーぶどう味にしけ込むしか無いのである。

新橋の立ち飲み屋で一人寂しく熱燗を啜るサラリーマンの風格が、そこにある。



僕ら人間の遺伝子は99%がチンパンジーと一致するらしい。

更に調べてみるとバナナとも遺伝子が50%一致する。

論理的に考えてバナナよりかは人間に近そうなカブトムシの遺伝子であれば、どこか中間の75%くらいが一致するのではなかろうか。



つまり僕がケージ越しに眺めていたカブトムシ達の酒池肉林は、ともすると人間社会にも起こりううる。



想像してみてほしい。周りの女が全て、一度はイケメンに抱かれた事のある世界を。

僕らブサメンは永遠に新車のレクサスに乗る事は出来ないのか。

永遠に10万km走ったダイハツのタントにしか乗れないのか。



「そんな世界は嫌だ!」



そう声高に立ち上がったのが我らブサメン界のスティーブ・ジョブスこと結婚制度を導入したと思われるキリスト教祖である



「一生一人を愛するって、かっこよくね?」

とステマすることで、逆に「何人も手にかける男はダサい」というブランディングを確立させ、イケメンによる独占市場を公平な経済競争へと変革したのである。



まさしくブランド戦略が市場を変えた好例であり、今後ビジネススクール等で研究事例として取り上げられる事を切に願う。



しかし人工的に作り上げられたブランドの力は永遠では無い。

新たなるブランドの確立まで、ひとまず宮崎議員は股間の育休に専念して頂きたい。





日本に居る限り、テレビをつければ清原を見ない日はありません。

我々にとっては非常に一般的な光景となりましたが、外国人から見たらどうでしょうか?



「毎日テレビに出ているコイツは何者なんだ」



こう思うのではないでしょうか?



僕も海外で生活していた時、テレビに出ている人がどういう人物なのか背景が分からず

「私は信じた事は必ずやり抜きます。何があっても」という部分だけ聞いて感銘を受け、

翌日会社の同僚に嬉々と報告したところ、その人物は外国人排斥運動の主導者だったことがありました



見えている部分だけを元に解釈を進めると

外国人が外国人排斥運動を支持するという珍妙な事になりうるわけです。



では話を戻して、清原とは何なのか?

野球界に、期待をかけてくれたファンに、そして唯一の収入源として生活を依存していたリトル清原に迷惑をかけ、

世間ではあれほど騒がれている清原ですが、そもそもあなたは清原を肉眼で見た事がありますか?

「UFOは信じない。肉眼で見た事がないから」と言う人が多いにも関わらず

「清原は信じない。肉眼で見た事がないから」と言う人は居ません。



見た事もない人をなぜ僕らは信じるのか?

あまつさえ、実在するかも分からず、フルCGの可能性も否定しきれない清原の

素行になぜこうも過剰反応するのか?



世の中には気にするべきことがもっと沢山あります。

なぜ最近スーパーの白菜が品薄なのか?

JRの駅員はなぜ新幹線のチケットを発券する際、異常に画面端を突くのか?

なぜ僕の目の前のおっさんは改札の目前までPASMOを取り出さないのか?



もっと真理に迫る疑問を持ちたいものです。

何事も、清原も程々に。