Q.まずは宮野さんが声優になられたきっかけについて教えてください。
子供の頃から(現在の所属事務所)劇団ひまわりに入っていたんです。
元々は兄が入団していたんですが、僕が「お兄ちゃんと同じことをやりたい」って駄々をこねて一緒に入れてもらったらしいです(笑)。
7歳のときから演技をメインにレッスンを受けてきました。
Q.ということは、最初は俳優を目指していたんですか?
うーん……。
正直言って小・中学校の頃は真面目にレッスンに通ってるっていうような子供ではなかったので(笑)、最初は習い事の延長線上だったと思います。
でも、小さい頃から芸能のお仕事に触れていたので、刷り込みのように「自分の仕事はこれなんだな」とは思ってはいました。
それが、高校に入ったあたりで「そろそろやべえな……」って気持ちが芽生え始めて。
Q.将来のことを考え始めたんですね。
ちょっとレッスンを真面目にやろうかなと(笑)。
その後、高校3年生のときに受けた「私はケイトリン」というNHK海外ドラマのオーディションで運良く拾っていただいて、声優としてデビューすることができました。
Q.劇団では声優の勉強もしてきたんですか?
いえ、当時「声優」としてのレッスンはなかったので。
そもそも、そのオーディションのお話をいただいて初めて、「そっか! 自分が好きで観ていたアニメや洋画の声も演じる人がいるんだよな」と意識したといいますか。
まさに、青天の霹靂みたいな。
なのでオーディションには受かったものの声優のノウハウも知らず演じることになって、先輩の声優さんを見て学んだり、ディレクターさんに教えてもらったりと必死でした。
Q.俳優と声優とでは、演じる上で違いはなかったですか?
俳優も声優も、芝居に対する心構えやスタンス、演じる役への向き合い方は同じだと思います。
違うのはテクニカルな部分ですね。
専門的な収録の方法やルールを身につけるのには時間と経験が必要でした。
最初はマイクを意識しすぎるあまり、マイクと喋っている状態になってしまっていたり。
それを監督に指摘してもらって、環境を気にせず、今まで勉強してきたことを信じてお芝居ができるよう導いてもらいました。
Q.声優としてデビューした後、共演してうれしかった方はいますか?
そりゃもうたくさんいますけど……。
田中真弓さんにお会いしたときはやばかったです。
実はアニメのお仕事ではまだ共演したことがないんですが、僕がことあるごとに「『ONE PIECE』大好き!」って言い続けていたので、ラジオのスタッフが僕に内緒で真弓さんをゲストに呼んでくれたんですよ。
スタジオに入ったらいきなり真弓さんがルフィの麦わら帽子をかぶって「よう!」って……(笑)。
Q.それはすごいサプライズですね。
もう緊張して何も喋れなくなってしまって(笑)。
でも勇気を振り絞って「僕は『ONE PIECE』が好きなんですけど、『ドラゴンボール』も大好きでずっと観てたんです!」って言ったら真弓さんが「ゴムゴムの気円斬」をやってくれたんですよ!
Q.クリリンとルフィのコラボ!
「ワーッ!」って真っ二つにされました(笑)。贅沢な時間でした。
Q.これまでたくさんのキャラクターを演じられてきましたが、印象に残っているキャラクターはいましたか?
印象に残っているというか、声優という仕事を再認識するきっかけになったのが「DEATH NOTE」という作品で演じた夜神月(やがみらいと)というキャラクター。
彼を演じたことで、声優の仕事は「キャラクターを演じるのではなく、生きるんだ」と気付かされたんです。
Q.というと?
月は本当に歴史に残るようなダークヒーローではありますが、確固たる信念を持って生きていた。
だから僕も彼の考え方や価値観、正義感を信じ、彼の人生を生きるつもりで演じようと。
そしたら自然に気持ちの上でもシンクロして……月は最後、とても無様で壮絶な死を迎えるんですけど、シンクロしすぎて「そのシーンを終えたら、僕は月と一緒に死んでしまうんじゃないか」っていう得体のしれない恐怖心に襲われたんです。
Q.よく俳優さんは「役が憑依する」とおっしゃいますけど、声の演技でもそんなふうにシンクロしてしまうんですね。
ただずっとシンクロしちゃうと、今度は別のキャラを演じるときの切り替えが難しくなるので、キャラクターを引きずりすぎないようにも心がけています。
ギアをこう、切り替えるような感じで。
Q.役作りというのは、声優さんご自身でしていくものなんでしょうか。
そのときどきですね。
自分でプランを構築したり、指示を明確にいただいたり。
アニメは現場のみんなで作っていくものなんです。
物語があって、監督がいて、音響監督がいて……何より僕が演じる前から、キャラクターは既に素敵なお芝居をして、素敵な表情を見せてくれているので。
僕もしっかり作品の一員になれるよう、心がけています。
Q.アーティストデビューは2008年のシングル「Discovery」でしたが、リリースすることになったきっかけは?
2007年に出演したテレビアニメ「鋼鉄三国志」の音楽ディレクターさんに声をかけていただいたのがきっかけですね。
そのディレクターさんとは今でも一緒に仕事をしている、とても信頼している方なんですが、その方が「一緒に歌をやってみないか」と誘ってくれて。
僕の歌に対する姿勢や気持ちをとてもよく理解してくれて、最初の曲選びの時点から参加させてもらったんです。
音楽をやっていく楽しさを感じさせてもらいました。
Q.自分名義の歌というのは、それまでのキャラクターソングとは違いましたか?
キャラソンはキャラクターのために作られた、既に完成した曲があって。
僕は歌詞を見たり曲を聴いてキャラクターの気持ちで歌う、最後の息を吹き込むというような感じです。
キャラクターの思いを伝えるのが役割なので。
でも僕自身の音楽活動は、自分をストレートに表現できる、自分の思いを伝えられる場所だと思っています。
宮野真守自身を色濃く出せる場所というか。
Q.声優としてのこだわりも先程聞かせていただきましたが、音楽活動についてもかなりこだわってらっしゃいますよね。
何事も妥協したくなくて。
音楽もただ「好きだ」で終わらすのではなくしっかり突き詰めて、聴いてくださった方に楽曲の素晴らしさや、歌に込めた思いを感じてもらいたい。
だから、しっかり作ってお届けしたいと思っています。
Q.もっとどちらかをメインに活動することもできたと思うんですけど、宮野さんは声優としてもアーティストとしても、両方100%って感じですよね。
ありがとうございます。
やらせていただける限りは、できてるかどうかはわからないですけど100%の力で臨みたいです。
それに、全力でやることがどちらの仕事にも良い影響を及ぼすと思っています。
例えば、初めて一緒に楽曲制作をするクリエイターの方から「言葉を大事にしますね」って言っていただけたり。
それは役者をやっていることが音楽活動にも表れてるんじゃないかなって思います。
音楽的感覚も、キャラソンだったりセリフを言うときのリズムに必要になってくることもあって、相乗効果だなって思いますね。
本日も読んで頂きありがとうございます*\(^o^)/*