意味があるの?と思っていた | 春の日

春の日

母であり、仕事に奔走し、名前がある1人の女性のブログです。韓国が大好きです。
フィクション、ノンフィクション織り交ぜてます。※※お仕事も受けております(*´`)

私がヨボと一緒になれるのは、はやくて10年後だろうね。もちろん法律婚の話。


そんな結婚になんの意味があるの?


て思ってました。若いうちに出会い

苦楽をともにし子育てをともにし そうして 60歳くらいになり 色々あったけど良かったね。


て言えるんだれう、て。


そんな迷いを見透かしたように  先日どうしても話がしたい

コーヒーを飲んでって


と言われ85歳のご老人と1時間ほどお話をしました。


私は時計をちら、と見て「仕事が詰まってるんだよな」


と話をはやく終わらせる体制に入っていたかと思います。


でも 多分こういうのもなんだろう。このタイミングで 


「私ね、再婚してるの。49歳のときに10歳上の人と」



て。部屋には母の日の花束などがいっぱい。


聞けば、とても苦労をした人生だった。


子供も、酒乱の元旦那のとこに置いてきたと。

あの時代で

女が子供を連れて生きていくことはできなかったと


死ぬ気で働いて

子供の幸せを願い


それでも10歳上の人と40歳くらいに出会い

それで49歳で、子供が就職したと知らせを聞き

やっと前の旦那と籍を抜き

(昔は就職先に戸籍などを提出しなければならなかったから子供のことを思い籍を抜けずに生きていた)

 

その10歳上の人も離婚歴あって、成人した子供がいて



母の日の花も、その連れ子たちが送ってくれて

毎日LINEもしていると。


10歳上の旦那さんとは結婚生活が送れたのはたった10年弱

10年前に亡くなったから、と。


でも 私は 良い母ではなかったし苦労ばかりしたけど、その旦那さんと過ごした10年が本当に幸せだった


て話してくれて。


なんか、今、私が知りたかった答えを

教えて貰えた気がした。


どうして私に急にそんな話をその方はしたのだろうか


不思議だな…


私も普段は、絶対、「次の訪問がありますから」と退室するのに

なぜか話を聞きたい 、て思ってしまったんだよね。



ご主人が亡くなったけれど

ご主人が遺してくれた小さな一軒家と

遺族年金と 自分が仕事をしていた時に納めていた厚生年金で


今も不自由なく暮らせて

きちんと会社勤めをしてくれた旦那さんに感謝をしてる。て

話していた。


なんか

きっと私はヨボにしてあげたいこと、て

もし日本に来てくれたら、亡くなられた旦那さんのような福利厚生を与えてあげたいし


何より たった10年の結婚生活でも

2人の間に子供がいなくても 幸せだったよ


て思えるための一筋の光が欲しかったんだと思いました悲しい



本当に仕事をしていて日々学びですね


私は兄のように頭もよくなくて

文系しかできないし

辛抱もないし  母から「不出来ね」と言われてまして

父だけは、私を誉め続け私の光だったことがありました。


とにかく真面目に誠実に積み重ねるしか能力がなけて

やっと実になりましたが、高学歴や高収入とはほど遠く

でも自分のしている仕事が好きだし誇りなんです。



 なんだか

頭のモヤが晴れました。

ずっとずっとヨボと一緒にいたいです。


今は無理でも

ヨボの娘といつか会える日が来たらいいな…


韓国語で話せるように

勉強を頑張ろう。