白いカーネーション | 彼岸へ

彼岸へ

還暦になったパートおばさんの日々。
徒歩圏内に住む息子達。
長男桐はうつ病、次男桜は発達障害。
定年退職した夫と死ぬ気がしない姑との3人暮らし。
人生も終盤なので、「彼岸へ」とタイトルを変えました。

おはようございます、間々宮です。

ご訪問、ありがとうございます。


昨日は、母の日。
意外にも白いカーネーションってなかなか売ってないのね。
亡くなった母には、白いカーネーションって刷り込まれてたけど。
姑にあげようとは思わなかったし。
母が亡くなって、我が家の仏壇に供えようと思ったのです。
で、白っぽいカーネーション。
母の遺影、まだ用意できてないのです。
母ひとりで写っている写真が我が家になくて。

母の日。
ま、我が家は何もないです。
『一生分』と言って、長男桐に電動ベッド買ってもらってますから。
次男桜は、言えばくれるとは思うけど、それも面倒だから。息子達は、元気で楽しく真っ当に生きてくれたら、それがプレゼント。

だーりん君。
たまに言うのです。
「あの時に死んでた方が幸せだったんじゃないか。」と。
姑、だーりん君の母。
対応の悪いシュガー病院から、転院させてABC病院の緩和ケア。
病院の先生が言うには、2、3週間で最後を迎える。はずだった。
とてもきれいで、看護も完璧だった。
(だーりん君・桐も手術入院経験あり)
がっ、なんだか死にそうになくて、老健へ回され、更に老人ホームへ。
1ヶ月程で病状悪化でABC病院に戻り、翌日亡くなった。
だーりん君が言う「あの時」とは、最初に入院した緩和ケアの事。
仕方ないけど、たらい回しみたい移動させられ、本人も「まだどこかに行くの?」ときいてきた位だった。8ヶ月の間に5ヵ所も移動。
しんどかったよね。
決して、早く死ねばとかの言葉ではない。
終の棲家として、最良と思った緩和ケアが息子として、良かったのにと思ったからだ。
きれいで居心地の良い場所で過ごさせたかった、息子の思い。

そして、私も自分の母を思う。
父のおかしな考えから、認知症が悪化して認知症の病院への入院。
退院決まって、グループホームの空き待ちの中での、コロナ感染のあっという間の死。
遺体をきれいに整えてあげられもせず、棺に納めた。亡くなる20日前に面会できたのがせめてもだ。不憫でならない。
グループホームに入れていたら、穏やかな晩年だったと思う。悔しくてならない。
認知症病院の相談室の担当者も言ってた。
「ここは古いから、早くきれいで明るいグループホームに行けるようにしてあげたい。」と。