先日
朝の日課の
武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」を
ポッドキャストで聴いてると


九州のお坊さんから
聴いたエピソードが
頭の中に残りましたので
ここにシェアしておきます。




定年後
1番何が大切か

という説教なんですが

「教養」と
「教育」。


きょう、何しよう

きょう、いきよう

なんつって…。。。



大切なことですよね。
ありがたきお言葉です。




こんばんは。
ミヤモトです。


突然ですが
皆さんは
セーフワードってご存知ですか?



まあ
パッと浮かぶのがパートナー同士で行う
SMプレイなどで使う
言葉の約束事。


行為をするにあたり
つい
「…いや♡」
「やめて♡」

なんて言葉が
出てしまうのが女性。

嫌よ嫌やも好きなうち

なんて言葉があると同時に
誤解されてしまう言葉になるかもしれぬ
どちらかわからないという言葉を発する際は
前もって
「NGワード」と言うものを決めておくと
絶対嫌な時にことを進まず
逆に好きな行為の際に
誤解をされずに進められるそうです。





と、いうのも
最近、友人カップルの間で
冗談が言い合えず
喧嘩に陥る。
と、いう案件に苦しんでいるトラブルを
耳にしました。



皆も経験があるでしょう
「えーそういうのちょっと嫌い。」

コミュニケーションの間で
つい
こう言う言い方をして
相手を困らせてしまうという魔法の言葉ですね。



ミヤモトは
以前
目上の友人へ
そんな言い方をしてしまった際に
頭ごなしに「それやめた方がいいよ。人として。」
と、怒られた経験がありました。


その際
「え?こんな事で怒るの?器が狭いな…」

と、思いましたが
今覚えば
人によって解釈の仕方や
誤解を招くワードとしてされてしまうから
ミヤモトの道徳や
人としての知識を埋めてくれたんだと
感謝しております。



人によってありますよね。
言っていい言葉と
言ってはいけない言葉。



どこの国語の教科書にも
どこの本屋さんにも載っていない
テキストがない
日本語の闇だと
ミヤモトは思います。



しかし
日本語は昔から「言葉遊び」という
遊びがあるほど
いろんな言い回しや
大切な言葉や
いろんな文法があります。



使い方がとても難しく
日本人でさえ
言葉の意味や使い方
いまだに上手く使われてないことに
最近気づきました。




話は
友人カップルの会話に戻ります。

友人がパートナーに伝えた
「嫌い。」
というワード。


話す本人としては
パートナーのその行動、言動に
▪️苦手
▪️生理的に受け付けない
▪️許さない

など
何かしら
ネガティブなイメージを持っているので
そのワードを相手に伝えます。


ただ
友人としては
自分が嫌なことは相手にしたくないから
相手も同じように
自分にしてほしくない。
と、思って放ってしまった
なんと言うか
そこまで人格を否定するようなワードではなく
行動を変えて欲しいと相手を思ったワードなのだ。




しかし
パートナーとしては
「自分を徹底的に拒否されて酷いと感じた」
と、避難の声が出てきたと言う。


不思議ですよね。
相手を思った
自分に対しての冗談みたいな言葉なのに
相手と喧嘩に発展するほど
冷めている様に
受けてしまう言葉に変わってしまったのだ。


そこには
実は
自分基準値で思う
言葉のセレクト
よろしくなかった。



自分が嫌なことは
相手にはしてはいけない


これは
小さい頃に
親や先生から言われて育つ
大切な道徳です。


自分が言われたら嫌と思う言葉は
言ってはいけない。


自分が嫌な行為は必ず
相手にしてはいけない。


間違ってはいないのですが、
それって裏を返せば
全て自分基準
なんです。



だからこそ
自分が嫌でも
相手にとっては嫌ではない
事であったりもして
匙加減というものがどうも
人によって違うのです。



最近では
ニュースのコメンテーターなどで
「女性ならこうしないといけない」
「スカートを履く男性っていうのはユニークですね」

なんていう言葉が
どうもよろしくないと言われ
その後
アナウンサーによる
「誤解した言い方を招いてしまって申し訳ありません」
という訂正事項が追加された謝罪が見られますよね。



この咄嗟に出てしまった言葉
の裏には
自分が思っていた
常識知識が裏にあって
自分が正当化している方が多いそうです。


その後
何故言ってはいけない発言
だったのだろう。
と、考えさせられるのですが
このコメンテーターとして思わなくてはいけないのが
時代の風潮
古い言い方が
未だに
アップデートされていない。

と、いう案件だったのだと思います。


今では問題視される
学校の体罰は
昔ではよくある話。

いい思い出。

いい経験。


など綺麗に美化された意見として通りますか
今となればどうでしょう?


問題案件となされて
干されてしまうのだ。


そう言った
言葉のアップデートや
知識のアップデートが
未だに自分の頭で出来なくて
こう言った
自分基準の言葉や行為
が行われているのです。



今の時代でこんなことを話したら
こう傷つく人がいるから言わない。

相手のことをよく分かりもしない
知ってる様で知らない
基準を自分にしないで
一度よく考える

こんなことを考えたら
上手くコメントができるのです。



そこから
友人のあのいけなかったワード
という背景には
アップデートと相手の知識が
必要ではなかったのかとミヤモトは思います。

不思議ですよね。
相手を思った行動、意見なのに
相手をよく知らず
こう言う事が普通なら嫌だろう。
と言った行動が招いた喧嘩なんです。



それを踏まえたからといって
では
これから一体
相手中心でしか自分が動けず
言葉選びも慎重にしなくてはいけないのか。

それは
かなり辛い。


と、思いがちですが
それならそれで諦めていいのです。
人には十人十色というのがある様に
自分が嫌なことを押し倒そうとしたり
我慢してでも
その相手と一緒に居なくてはいけないことは

ないから。




ただ
少しでも
相手のことを思ってから
意見や行動をすることで
すこし空気感が違って
上手く伝えられる事が




実は奇跡だと言う事を
その友人は知らない。




いつか
わかる相手が
居るかもしれないし
この国には居ないかもしれない。


いや
見つけながら生きなくてもいい。


そんな人間なかなか
居ないことの方が多いんですから。




このご時世
皆さんはNGワード、
言いたいこと、
たくさん我慢してることも多く
ストレス社会
なんて言われながら生きてると思いますが

どう向き合う事が出来てるのか
今一度
考えてみてはいかがでしょう?





そんな大口を叩いているミヤモトも
実は
未だに自分基準で話をしてしまい
後で
プチ反省会をしていることも多いのですし
間違ってる人に
なっているんですけどね




相手が
寛大
なんです。笑



付き合う人
付き合う人が
全て
そんな自分を理解して
付き合って楽しんでくれるんです。



今覚えば
試合後にボヤく野村監督だって
あの
ボヤき
が彼らしい。彼の愛情だ。

彼を慕う人は寛大で好きだと言ってくれたからこそ
成り立っていたのだ。


そこには
野村監督の
裏の心の優しさ、芯が通っている心
を知っているからこそ
ファンが多かったんだと思う。




ミヤモトは
今日も



皆様に
支えられて
生きています








アディオス。