昔から、仏壇や神棚に手を合わせることがあたりまえの私にとっては、手を合わせることは、「神頼み」ではなく「感謝」を意識した祈りのはずでした。
「神様や仏様には、自分のお願いをするのではなく、今、生かされていることに心から感謝をしなさい!」
そう教えられてきたからです。
だから私は、「神頼み」を避けるようにして、「生かしていただいてありがとうございます。」そう祈り続けてきました。
でも、実はその祈りの半分が偽りだったことに気づいてしまいました。
今夜、仕事帰りに仏様に備えるお花や、神様に捧げる榊(サカキ)を買いながら、自分の奥深くにある「欲望」や「エゴ」、「下心」や「本心」を思い知ったからです。
「神様、どうか私を助けてください。私の願いを叶えてください!」
実は私の本心が‘そこにある’ことに気づきました。
明日、私は精密検査を控えています。
(年に一度の難病申請のための検査 ←6月人気記事ランキング一位より)
今では、ほぼ完治して、全く心配する必要はないのですが、どこか不安だったのでしょう。
今夜、身体が勝手にお花屋さんへ向かい、お花と榊を買って、帰宅してすぐに仏壇と神棚に手を合わる自分を見つけた時、
「まだまだ未熟でごめんなさい。どうか許してください。どうか明日の検査で異常がみつかりませんように!」
もう、嘘、偽りなく、仏様と神様の前で正直な自分でいたいと思いました。
無理をしても、見栄を張っても、どんな私も天は御見通しです。
でも、きっとどんな私も許してくれるはず。
だったら、もう無理はせず、これからは本心で祈りたいと思いました。めいっぱいの感謝の気持ちを添えながら…。
私は神様じゃないんだから…
欲望やエゴがあってもいい。今の私には仕方のないこと。
せめて、自分の心には素直でいよう。
自分を許せた時、自分に優しくなれた気がしました。
天にストレートに想いが届いていくような感じがしました。
偽っていた自分と向き合えた時、自分の心が喜んでいるように思えました。
今夜は早く寝て、明日の検査に備えます。
おやすみなさい。